第29話 ずっと、待っていた
木漏れ日が優しく差し込む白い森の中で、将斗は古びた切り株に腰掛けていた。
少し向こうで、様々な動物達が列をなし、暖かい日差しが差し込む「奥」の方へと静かに進んでいく様子が映る。
隣には、銀髪の美少女エルフが膝を抱えて座っている。
緑と白を基調とした服装。エスニックさを感じるその民族衣装は、漫画でよく見たエルフそのものだった。
レヴィ達から聞いていた特徴と一致していたこともあって、彼女がアリスだとすぐにわかった。
死んだはずの自分がここにいるのだから、二年前に死んだはずの彼女と出会っても、不思議と疑問には思わなかった。
「ここは、死後の世界ってやつ?」
「うーん、その直前の場所……って感じかなぁ」
唇に人差し指を当てて、彼女は少し悩むように首を傾げた。
「それは完全には死んでないってこと?」
「うん。でも、どうかな。戻る人は稀だから」
彼女がそう言って、淡々と歩いていく動物達を指差した。
「皆、あっちに向かうでしょ? あなたもあっちに『行かなきゃいけない』って、思わなかった?」
将斗は頷いた。
光の差すあの方角へ行けば、解放されて楽になれるような、そんな強烈な引力を今も感じていた。
「ここは、死んだ生き物の魂があの『向かうべき場所』に向かうための通り道。私はあの向こうのことは何も知らないけど、多分、向こうに行ったら、その人としての生は終わりになるんだと思う」
彼女は悲しそうな顔で、通り過ぎる動物達を見つめていた。
「誰に強制されたわけじゃないけど、生き物として向かわなきゃいけない場所なんだと思う。だから、あの流れに逆らって戻るなんて思う人は稀なの」
三途の川のようなものかと、将斗は思った。
その理屈は理解できないが、向こうには、確かに抗いがたく引き寄せられる何かがあることは、将斗の魂も理解していた。
「アリスは……ずっとここにいたのか?」
「うん」
「二年くらい前から?」
「そう。ずっとここでみんなを見てたの」
エルフは長寿のイメージがあるから、二年はなんてことないのかもしれない。
しかし、こんな寂しい場所でたった一人で、ずっと止まり続けることは辛いことなんじゃないかと、将斗は心配になった。
そこまでする理由が彼女にはあるのだろう。
「それは……クリスさんが来るまで?」
彼女はふるふると首を振った。
「ううん、もっと会いたいがいるの。その人が来るまでは、待ってようかなって……」
「会いたい人って……?」
アリスは答えなかった。
動物達から目線を戻し、将斗の方を見てきた。
吸い込まれそうな綺麗な淡い水色の瞳が向けられ、照れながらも将斗は視線を外すことができなかった。
更にどういうわけか、彼女も目を逸らさない。
見つめ合っていると、本当に綺麗な瞳だと思った。その輝きはどうしても、死んでいる者のようには見えなかった。
「……ちょっと恥ずかしくなってきたんだけど」
「でも、目は逸らさないんだね」
いたずらっぽくそう言われ、将斗はついに根負けして目を逸らした。
きゅるっとした可憐な声で、彼女は笑った。
「ふふっ。ねぇ、こんな暗い話じゃなくて、もっと別の話をしよ?」
「別って?」
「あなたの世界の話とか、聞きたいな」
「俺の? そうだな――」
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異性との会話は久しぶりだった。
住む世界も種族も違う彼女と話が合うとは思わず、最初は緊張していた。
しかし、意外なほどに話は盛り上がった。
話した内容は様々だった。
自動車という鉄の箱が走ってる話や、美味しい料理の話。
魔法が無いことや、学校という場所の話。
好きな小説の話。
小さい時にした失敗の話。
やっていたスポーツの話。
家族の話。
初めての一人暮らしの寂しさの話。
バイトで大ミスをかました時の話。
大学で友達がなかなかできない悩みの話。
適当な神様の話。
ここにきた経緯の話。理不尽な目に遭った話のことも。
何もないつまらない人生だと思っていたが、意外とこんなに話す引き出しがあるんだなと、話しながら自分でも感心した。
そしてその全てを、彼女はにこやかに、時に興味深そうに身を乗り出して聞いてくれた。
どこか、波長が合う。
初対面のはずなのに、ずっと昔から知っていたような。そう思えるほど、話は弾んだ。
「神様のくせになんも考えてないんだよな。そんな簡単に返してくれるわけないのに」
「あなたも大変な役目任されちゃったね」
「役目にするにしろもっと、壮大な感じで送り出してほしかったのに……! はい行ってらっしゃいって言われて、次の瞬間に草原にいるんだぞ。納得いかねぇ〜」
オーバーリアクションで将斗は嘆いた。
その姿に、彼女は声を上げて笑った。
「アハハッ、そんなに? あ、雄矢は騎士団総出で出迎えされたって聞いたよ」
「は?! マジで? 羨まし〜…………い、いや、羨ましくない、あいつにはなんとも思わん」
「フフ、そんなに嫌いなんだ」
彼女はずっと笑っていた。
笑うたびにサラサラと揺れる銀色の髪が綺麗だった。
思わず、見惚れてしまう。
視線に気づいたのか、彼女がこちらを見た。
目が合うと、胸の奥がキュッと熱くなるのを感じた。
そのまま見続けていたら、胸が苦しくて声が出なくなりそうだった。
無理に、次の話題を探して視線を泳がせる。
「っあ、アリスアリス。あの転がってるやつ何? アルマジロ?」
「……」
彼女は答えなかった。将斗の顔を見たまま、キョトンとした顔で固まっていた。
「どうした?」
「えっ、あぁ! あれはコロンコロン。見ての通りの名前だね」
「安直……」
一瞬だけ、違和感があった。
彼女はすぐに調子を取り戻したが、何か引っ掛かるものがあった。
きっと考え事をしていただけだろうと思って、それ以上聞くことはせず、会話を続けようとした。
しかし――
「あれ……?」
そう彼女が小さく呟いて、将斗は彼女の方を見た。
透き通るような白磁の頬を、一筋の涙が伝っていた。
「ど、どうした?」
「ううん違うの。違う。違うよ……ごめんね……これは、なんでもないから」
「い、いや……なんでもないことは」
「なんでもない。大丈夫。違うから」
彼女は慌てて首を振ると、指で涙を拭った。
しかし、拭っても拭っても、次から次へと大きな瞳から雫が溢れてくる。
さっきまであんなに楽しそうに笑っていたのに、どうして。
将斗は理由がわからず、ただ狼狽えて見ていることしかできない。
「ごめんね」
「別に謝ることじゃ……」
彼女はポロポロと泣き続けていた。
その姿に、なぜか自分の胸まで締め付けられるようだった。
頬をまた、一つの涙が伝っていく。
将斗は、無意識にふと手を伸ばした。
「えっ……」
驚いて、声を出したのは将斗だった。
彼女の頬の、涙を拭おうとしたその手は、彼女の頬を軽く、本当に軽くつねっていた。
「――っ」
アリスがバッ、と立ち上がった。
喉を震わせて、瞳を揺らし、驚愕する将斗を見ていた。
やがて唇を噛み、涙を堪えるように何回も空を見上げ、何度も深呼吸をして、無理やりに笑顔を作った。
でも、すぐに悲しそうな顔に戻ってしまい、また必死に笑顔を作った。
「ごめんね……私、もう行くから」
「えっ」
「変な感じになっちゃってごめん。これはその、もうちょっと生きたかったなって思っちゃって……よくあることだから、気にしないで」
「ちょっと待って」
彼女は背を向けて歩き出した。
将斗はそれを追うように立ち上がる。
彼女は生き物達が歩く列に合流し、あの光の方へ歩こうとしていた。
「待てって!」
将斗は彼女の手を掴み、引き留めた。
彼女はこちらを向かない。
だが、離せない。あの先に行ったらもう二度と、話すことはできない。そういう確信があった。
「……離して」
「だけど」
「止めないで。私行かなきゃ」
「ちょっとだけ、待ってくれ」
「これでも、結構辛いんだよ。二年間ずっと、毎日、毎日……向こうに引っ張られる感じがしてた。もう限界になっちゃったから、行くの」
嘘だ。
彼女は振り向かない。
無理矢理にでも、向こうに行こうとしていた。
将斗は手を離さなかった。
彼女が話すたびに、胸が熱く焼かれるのを感じた。
「じゃ……じゃあ」
聞かなければならないことがある。
なぜだかはわからないが、今聞かなければ、魂の底から後悔する気がした。
「これだけでも、教えて欲しいんだけど」
そう前置きを置いた。
その先を言おうとするが、出てこない。
熱い塊が胸の辺りを焼いているようだった。
肺をの中の空気を絞り出すつもりで、言った。
「誰をっ……待っていたんだ……?」
自分の頬が濡れている。
自分が泣いていることに、将斗は気づいた。
アリスは、まだ振り向かない。
だが、逃げようとする力は抜かれていて、将斗が手を離しても、彼女はまだそこに立っていた。
「その人に会うために、二年も待っていたんじゃないのか?」
「もう……きっと、会えないからいいの」
彼女は弱々しく首を振っていた。
嘘だと、将斗は感じた。
「今も、引き寄せられてる感じはするよ。どんどん強くなってる。アリスと話してなかったら、俺は今すぐにでもあっちに行きたいくらいで……正直耐えるので精一杯だ」
「それが、どうしたの?」
「これを二年もなんて、想像つかないよ。辛いに決まってる。それでも、ここに止まって待っていたのは、それだけ会いたい人だったんだろ」
背中から、小さな啜り泣く声が聞こえる。
彼女はまた空を見上げていた。
きっとまた、涙を堪えて笑おうとしているのだろう。
「それだけ会いたいはずなのに、行くのか?」
「それは……」
「俺だったのか?」
彼女の華奢な肩が、ビクッと震えるのが見えた。
「違うなら、そう言って」
長い沈黙の後。
彼女が、ゆっくりと振り向く。
目から大粒の涙を流したまま、こちらを見た。
笑顔だった。
だけど、さっきの無理に作った笑顔ではなく、心からの優しい笑顔をしていた。
「そうだよ……ずっと、待ってたの。あなたを」




