第28話 なくなっていく
一瞬の衝撃と、熱。
直後のことは覚えていない。
『将斗! 将斗! 返事して! 将斗!』
頭の片隅で、誰かの悲痛な声が聞こえた。
だが、視界は真っ赤に染まっている。脳が割れるように明滅していて、意識がはっきりしない。
ただ、全身が痛いことだけがわかる。
痛い。
痛い。痛い痛い。痛い。いたい。痛い。痛い。痛い。痛い痛い痛い。いたい。痛い。いたい。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い痛い痛い痛いいたい痛い痛い痛い痛いいたいいたたいたいたいたい痛い痛いいたい。
「……か……ぁ……っ……ぁ」
感じたことのない激痛に、喉が勝手に声を発した。だがそれは、ひどく乾いた気管を通って掠れた風の音を出すだけ。喉の奥底から胸の辺りにかけて、溶けた鉄を流し込まれたような激痛が走り、言い直すこともできない。
呼吸をするだけで、存在そのものが痛む。
目を閉じているのかわからない。ただ赤い色だけが網膜にこびりついている。
赤く照らされた夜空なのか、自分の血に染まったまぶたなのか、判別できない。
ひどく痛い。眼球の表面から脳の奥底まで、熱した火箸でほじくり返されているようだ。
多分、火球を受けた。受けて。全身どうにかなっている。
痛みの中で明滅する微かな思考で、その答えを手繰り寄せた。
だからなんだというのか。
どうすればいい。
何をどうすればいい。
冷たくて熱くて暑くて寒い。体がおかしい。こわれている。おかしい。壊れた。だって寒いから、火で包まれたのに、冷たくなって、でも暑いから。どっちなんだ。今何がどうなってる。俺は何してる。何がどうなってどうなってどうなってる。頭がいたい。全身が痛い。怖い。なんだ。どうなって。
「か………………」
体が動かない。動いているのかもしれない。
腕を動かそうとしたはずだ。戻ってきたのは、右半身全体が爆発するような赤い信号だけ。
動いて痛いのか、動いてなくても痛いのか、もう境目がわからない。
見えない。
見え。
見。
黒かった。
分厚いガラス越しに見たような、歪んでぼやけた視界の端に、黒いものが映っている。
首を下に曲げただけだ。映るなら、自分の体。
あるはずの体の一部が、炭のように黒い。わからない。なんで黒い?
ずぅんと頭が重い。なんだか、世界がひっくり返されているようだ。何かが溜まっていく。血が溜まって、重いんだ。鈍い痛みがずんずん響いて、今にも頭蓋が爆発しそうで――。
『将斗っ!」
背中に二つの棒が押しつけられて痛い。熱い。
今の声、聞いたことがある。
赤い髪の男だ。グレンだグレンだ。そうだ。
ぼやけた視界に、彼っぽい輪郭が写っている。
彼ごしに、高い、大きい、建物が見えた。
尖ってて、燃えてて、ああそうだ。城。城だ。
どうして、俺はそれを下から見ているんだろうか。
再び全身が痛む。
今度は背中全部だ。脳天から足先までが燃えている。
『起きて! ねぇ将斗!』
「将斗! しっ――しろ!」
「どけ治――――る!」
そんな声が、遠くの水底から聞こえた。
その声は全部聞いたことがあるし、誰の顔かも思い浮かぶ。だが、それを埋め尽くす全身の痛みが、浮かんだイメージを黒く塗り潰して、何が起きているのかを考えさせてくれない。
だが、痛みの隙間を縫って、将斗は一つの事実に辿り着いた。
火に焼かれて、落ちて、地上にいるのだ。
グレンが受け止めてくれて、寝かされている。
だから背中が痛いのだ。
水の底から見上げているような、歪んでゆらめいている視界に、赤い点がいくつも見えた。
隕石だ、ずっと隕石が降ってきている。
赤い。綺麗に見えた。やめろ、あれは、そういうものじゃない。綺麗じゃない。でも輝いてて。
違う。思考、が、頭がおかしい。変だ。わからない。ねむい、瞼が閉じない。開けたいけど、閉じたいけど、動かない。
「クリス、――のか」
「本格的な治――医――班が行う。応急――程度なら、可能だが。これは……」
どうなっているのか、わからない。
何か途切れ途切れに聞こえる。
でも、クリスの声が、低くて、重くて。それが自分を指しているのはわかった。
「っ……け……」
「ま、将斗? 起きているのか、大丈夫だ動くな」
手に何かが当たって痛い。
グレンの手だ。震えている、のは、自分なのか。彼なのか。
「ぃ………け」
「え……? な、なんて言ったんだ――……」
グレンが、将斗の口元に耳を寄せた。
「い……げ…………」
壊れた空気入れのような呼吸の合間に、将斗は言うべきことを言った。痛い。喉を中心に熱い鉄の味が広がっていく。でも、言わなきゃいけなかった。
目の前の彼は立ち上がった。ように見えた。きっとそうなのだろう。
「将斗、君は十分頑張ってくれた。君の――は――――――」
彼の口は動いているのに、耳の奥が壊れたようにピーと、一定の不快な音だけを拾っている。
聞こえない、耳が。どうにかなってしまった。
『将斗! ねぇ、将斗!』
はっきり聞こえるのは、脳内に響く彼女の声だけだ。
将斗は、赤黒く染まっている口角をほんの少しだけ動かした。
安心したから。
だって、頭から遠いところの感覚が、遠くに行ってしまっている。から。あし、が、ないかんじ。
つめたくなって、いく、と思って、たのに。
死ぬのは、『無い』んだ。
て、もない。
ゆび、どこ。
すぅって、消えて、る。
なくなっ、ていくんだ。
『将斗っ!』
レヴィのこえ、は聞こえ、る。
どんどん、なくな、っているのに、聴こえる。
よかった。
さみしいけど、怖くない。
こわく、な、い。
きこえる、から、こわくない。
こわくない。
こわく。
「ひ……ぁ……」
こわい。
やっぱりこわい。
だめだ。
こわい。
くらい。
い
。
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目を開けた瞬間、世界は暴力的なまでに真っ白だった。
光源が上の方。光源がどこにあるのかもわからない。周囲を包む光は柔らかく、境界線すら曖昧にどこまでも続いている――気がした。
慣れてきた視界に映ったのは、木漏れ日が差し込む美しい木々。
深い森の中に、将斗は立っていた。
奥の方が、白く輝いていて暖かい雰囲気があった。
なぜか、あちらへ行けば暖かいという、根拠のない確信があった。
「なにここ。俺……あれ、声出る」
喉を抑えた。正常に声が出る。あの焼けつくような痛みもない。
しかし、どうしてそんな当たり前のことに驚いたのか。将斗は自分のことながら疑問を浮かべ、そしてすぐにその答えを思い出す。
そうだ。雄矢に一瞬にして焼き尽くされ、そして――
「はっ……はぁっ…………はぁっ!」
全身が空っぽになって、思考が暗闇へ突き落とされた感覚。やがてその暗闇が黒いことさえ、感じられなくなったあの無の恐怖。
将斗の覚えている最後の記憶。
感じたことのないあの絶対的な喪失感を思い出し、両腕で体を丸め、荒い呼吸のまま、将斗はガタガタと震えた。
「し、死んだ……? でも生きて……」
手になにも感じられない。
あるはずの体温がない。
触っているような雰囲気があるだけで、握られた腕も、握っている手も、何もない。実体がない。
それがわかると、将斗は腕を力無く下ろした。
「死んだんだな……」
雄矢から火球を受けた後の痛みは、想像を超え、人の脳が耐えられる限界を遥かに超えるほどのものだったことを思い出し、将斗はストンと納得した。
あれで生きていられるはずがない。
「グレン達、勝てるかな……」
後ろを振り返るが、木々の向こうには何も見えない。
光が差しているように見えるが、どこか冷たく感じた。
あっちには戻ってはならない。そんな気がするのだ。
「……行くか」
何をすればいいのかはわからなかった。
将斗はとりあえず、暖かい光が待つ方へへ、吸い寄せられるように歩いた。
「……うぉ」
隣を、鹿のような獣が歩いていた。大きい鹿だ。
しかし、サイズがかなり大きい。将斗の身長の倍くらいの大きさだ。体は透き通るように白く輝いている。
それが将斗と同じ方向へ、静かに歩いている。
見れば、周りにも別の獣がいた。
猫のような獣から、鳥。コロコロと転がっていく丸い獣もいた。襲われたらひとたまりも無いような立派な牙をした虎のような獣や、白い毛並みの狼もいた。
皆、互いに干渉することなく同じ方向へ歩き続けていた。
立ち止まった将斗を置いて、皆、光の中へ消えていく。
将斗も遅れないよう足を進めた。
「待って」
不意に、横の方から鈴のような声が聞こえた。
足を止め、振り向くと、女の子が歩いてきた。
将斗より少し小さい背の、同じくらいの歳の、綺麗な銀髪ショートの女の子だ。
道の端の、苔むした大きい切り株のそばに立って、こちらをじっと見ていた。
特徴的な尖った耳が、ぴょこぴょこと揺れる。
童話でよく見る。エルフという種族だろう。
「アリス……」
自然とその名前を呟いていた。
彼女はそれを聞くと、少しだけ目をぱちぱちさせた。
すると首をコテンと曲げて、少しいたずらっぽい笑顔を見せた。
「ちょっとだけ、お話ししよ?」




