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第27話 戴冠なき王/363話 不快の原因

『前国王スカーレットの息子。――グレン・グラディアだ。どうか落ち着いて、聞いて欲しい』


 国民は皆、逃げ惑う足を止め、聞き覚えのある声が響く魔法具を見上げていた。

 全員が、その声の主である『赤い髪の青年』の姿を思い浮かべる。


――ゴォォォォォ!


 大気を焼く轟音が、パニックの冷めやらぬ人々の耳に届いた。

 街の上空を覆う、魔法を掻き消す巨大な歪み。その障壁の端から、ひとつ、またひとつと、防ぎきれなかった巨大な火の玉がすり抜けてくる。

 

 それを見て、民衆は再び絶望しかけた。

 ついに自分たちを守っていたあの盾が耐えきれなくなったのだと、死を覚悟したからだ。


 だが、その落下する火球を追うように、彼らの頭上の屋根を、物凄い速さで駆け抜けて行く者がいた。

 赤いこの夜にひときわ燃えるようなその赤い髪を持つのは、紛れもなく前王の息子だと誰もが気づいた。


『今、上空から降り注いでいる隕石は、現国王・鈴木雄矢による無差別攻撃だ。だが、絶望しないでくれ。街中にいる黒い服の者たちは『レジスタンス』。僕の仲間だ』


 街の端から端へ、グレンが屋根伝いに跳躍し、駆け抜けていく。

 落ちてくる炎の塊に飛び乗り、黒剣で一刀両断し、街への被害を間一髪で食い止めている。

 その激しい剣戟の音と息遣いが、魔法具の向こうから国民たちの耳に直接届いていた。


『彼らを指揮するクリスも、空で隕石を食い止めている王宮魔法使いレヴィも、この国を護るために命を懸けている! だから今は、彼らを信じて、従って欲しい!』


 その必死の呼びかけを聞いても、民衆はすぐには動けなかった。

 何かに縋りたい気持ちはあった。だが、二年前のあの日、王都が奪われた時に突然いなくなった男から「信じてくれ」と言われて、手放しで信じられるほど彼らの心は簡単ではなかった。


 かつて皆が信じて歓声でで迎えた『勇者』が、今や最悪の暴君として君臨しているという絶望的な前例があるからだ。

 

 何を信じるべきなのか、何が正しいのか。極限状態の皆には、わからなかったのだ。


『……すまない。二人は勇者の仲間で、僕だって今更出てきた身だ。いきなり信じろなんて、都合が良すぎるな』


 グレンは、誰に言われるまでもなく、民衆の抱える疑心暗鬼を先読みしていた。

 彼はまた一つ、障壁をすり抜けた火球を空中で斬り裂きながら語り続ける。


『二年前のあの日何が起きたか、皆はよく知らないだろう。急に王が変わって、その日から生活が一変したはずだ。皆、理不尽に虐げられて、本当に辛かっただろう』


 激しい戦闘の荒い息遣いが絶えず聞こえるのに、彼が魔法具に語りかける時だけは、民の心に寄り添うように優しかった。

 

 ある老人は、思わず目を閉じた。

 二年前、全てが変わったあの日を思い出す。

 魔王を討伐し、凱旋した数日の間に国王を殺害し、「今日から俺が王だ」と玉座にふんぞり返ったあの鈴木雄矢の姿を。

 

 救国の英雄は一変し、逆らう者を容赦なくねじ伏せ、蹂躙していった。

 あの日から税は異常に引き上げられ、皆の生活はままならなくなり、隣人を疑いながら生きる日々が始まったのだ。


()は……』


 グレンが、言葉を詰まらせた。

 人々は不安げに、近くの魔法具を見上げた。

 彼から、その先の言葉を聞きたかった。


『俺は……何もしてこなかった。この二年間、皆が苦しめられているのを知りながら、恐怖で動けなかった。父さんが愛したこの国を、これ以上失うのが怖くて、隅でうずくまっていた。情けない、ただの腰抜けの王子だ』


 何かに縋りたいと見上げていた、誰かの視線がふい、と地に落ちた。

 グレンの懺悔は、血を吐くような本心から語られたものだと、その痛切な声色から伝わってきた。

 だがその内容には、この窮地を魔法のように脱するような『英雄の希望』は含まれていない。


 それは、自分たちと同じく、雄矢という巨大な悪に怯え、押し潰されながら生きてきた「ただの弱い人間」の言葉だったからだ。


『だからまずは、謝らせてくれ。本当にすまなかった。少なくとも、これだけは言いたかった』


 誰かが首を振る。

 そういう言葉を聞きたいんじゃない。


 暗く澱んだ、重い空気が民衆の周りを漂う。

 

――その沈痛な雰囲気を粉砕するように、悪辣とした嘲笑が魔法具から漏れ出した。


『アハハッ! 何語るかと思えば、マッジでつまらねぇな。お涙頂戴の三文芝居は萎えるから、やめてもらえるかなぁ?』


 空から降ってきた、忌々しい恐怖の対象の声。

 小さな悲鳴が上がり、力が抜けて膝を落とす者もいた。反射的に耳を塞ぐ者さえいた。


『国民ども、大人しく投降して這いつくばれよ。そしたら、お前らのことを少しは生かしてやらんこともないぜ?』


 泣き出す子供もいた。皆、ガタガタと震えていた。

 逆らえば殺される。その実例は、この二年間で嫌というほど見てきた。


 誰かが、小さく呟いた。「言う通りにしたほうがいいのではないか」と。

 あの絶対的な力を持つ男の気が晴れるまで、この炎の雨を耐え続けるしかないのではないか。雄矢の声が響くたび、民衆の心は暗く、深く沈んでいく。


『そんなビビりの言葉に耳傾けたって意味ねぇよ。力もなければ、度胸もない。王の資格なんてものは、そいつには相応しく――』

『お前は!』


 突如、キィンッ! と、魔法具から鼓膜を破るような甲高いノイズが発せられ、皆が一様に頭を伏せた。


『――黙ってろッ!!』


 突如、スピーカーの向こうから、全く知らない男の怒声が炸裂した。

 直後、雄矢の「ああっ!?」という間抜けな驚き声と、ゴガァッ! という何かが粉砕される激しいノイズが鳴り響き――。


 そこからもう、雄矢の不快な声は一切しなくなった。

 民衆は顔を見合わせ、不思議そうに空を見上げた。

 あの赤い空の向こうで何が起きていたのか、彼らには知る由もない。


 はるか上空で、将斗が雄矢の持っていた拡声魔法具めがけて突っ込み、渾身の蹴りで物理的に破壊したのだ。


『聞こえたか? ……今、あいつを黙らせてくれた声の持ち主は、もう一人の異界からの使者だ。彼もまた俺の仲間で、名前を――渡将斗という』


 異界からの使者。その言葉に、民衆の中には動揺と不安を芽生えさせる者もいた。

 異界の人間ということは、あの勇者・鈴木雄矢と同じ化け物だということではないかと。


 その不安が芽生えることは、グレンにも痛いほど分かっていた。

 それを取り除くべく、彼は力強く語り続ける。


『彼は、雄矢みたいなデタラメな力を持っていない。俺より身体能力も無いし、レヴィのような強力な魔法も使えない。この世界に来たのは一昨日だという。大した思い入れもないだろう……なのに彼は今、あんな高い空の上で、たった一人で雄矢に真正面から挑んでくれている』


 グレンが街の西方で、落下する火球を斬り捨てていた。

 しかし、巨大すぎる質量の勢いを殺しきれず、彼の体が弾き飛ばされ、家屋の屋根にぶつかり、そのまま内部へと叩きつけられた。

 

 木材を破壊しながら転がる轟音。一瞬、通信越しの静寂が訪れる。

 民衆の一人が、息を呑んで目を瞑った。

 しかし、パラパラという瓦礫が落ちる音と共に、床が力強く踏み抜かれる音が響く。その民衆が見上げた視線の先を、再び立ち上がったグレンが疾風のように駆け抜けていく姿があった。


『っ……落ちたらひとたまりも無い。あの雄矢の魔法を常に受け続けることになる。死と隣り合わせの絶望的な状況だ』


 誰かの頭上を、グレンが駆け抜ける。

 ポタ、ポタと、地面に何かが滴る音がした。

 赤い飛沫が、石畳を濡らしている。

 

 民衆はその事実に気づき、ハッとした――彼は、全身から血を流しながら、自分たちを守るために走り続けているのだと。


『それでも、臆せずあいつに楯突く彼の姿を見て、俺は自分が心底恥ずかしくなった。特別な力なんかなくても、誰かのために命を懸けられる彼が、本当の『希望』に見えた』


 民衆はグレンを見た。必死の形相で、身を挺して迫り来る火球を撃ち落としているその姿を。


 空を見た。すり抜けてくる火球の数が減ってきている。見れば、空の歪みがさらに巨大になっていた。誰もが知る誇り高き王宮魔法使いレヴィ・ウィンダリアが、己の限界を超えて街を守ってくれている。


 屋根の上を見た。黒づくめのレジスタンスの隊員たちが、必死に誘導を行っている。彼らの目は、もう誰も騙そうなんて思っちゃいない。ただ一心に、目の前の命を助けようとする真っ直ぐな目だった。


『――俺もそんな、誰かの『希望』になりたい』


 誰かが、強く胸を押さえた。込み上げてくる熱いものがあった。

 涙が、目の端から溢れ、止まらなかった。


 ずっと誰かを待っていたのだ。

 この暗闇に飲まれたような、理不尽で苦しい毎日から、力強く手を引いて、引っ張り上げてくれるような先導者を。


『俺は、本当の意味でこの国を取り戻したい! 覚えていないか? 八年前の大災害では、皆で協力して助け合っただろう。こんな暗い顔をして怯える国は、もう嫌だ! 俺はもう一度、皆と笑い合えるこの国を見たいんだ! 父さんが愛したこの国を、もう一度!』


 老人が、若者が、子供を抱えた母親が、大きく頷く。

 昔はそうだった。皆助け合って生きていた。王様が守ってくれるこの国で、笑い合って、平和に過ごしていたではないか。


 その光景は、自分だって見たいという一心で、力強く頷いていた。


『だから今だけでもいい。俺たちを信じて、力を貸してくれないか!』


 血を吐くような、力強いその声に、民衆の心が大きく揺さぶられる。

 恐怖で抑圧され、冷たく暗い水の底に沈んでいた魂が、一気に水面へと引き上げられていくのを、誰もが感じていた。


『互いを尊重して、手を取り合ってほしい。怪我をしてる人がいたら、肩を貸してやってくれ! 向かって欲しいのは中央広場周辺だ! そこに集まってくれれば、俺たちが全力で皆を護り抜いてみせる!』


 その時、巨大な火球が、障壁をすり抜けてもなおその大きさを維持したまま、中央広場に向けて落下してきた。

 それ目掛け、赤い一直線の軌跡を描きながら、満身創痍のグレンが跳躍する。


 皆、叫んでいた。

 言葉はバラバラだった。だが皆、「頑張れ」と、「負けるな」と、彼を必死に鼓舞していた。

 一体となった声援が彼の背中を力強く押し上げ、巨大な火球へと向かわせる。


『もう、下は向かない! 俺こそが――第十四代目国王、グレン・グラディアだ! あの暴君を討ち、この国に再び平和と安寧を取り戻すことを、ここに誓おう!』


 ワァァァァァァァァァッ!!


 国中が湧きあがり、割れんばかりの熱狂に包まれる。

 期待が、希望が、混ざり合って伝播し、一つの巨大なうねりとなって空の果てまで届いていく。


『皆で共に! 勝つんだ!』


――両断。


 天空で切り裂かれた巨大な火球が、淡い光の粒子となって拡散し、空中で剣を振り抜いたグレンの背後を後光のように照らし出す。

 偶然の産物だとしても、それは人々の目には、深い闇の中に颯爽と現れた『希望の王』の姿として、あまりに眩しく映っていた。


 

******************************



「おいこっちだ! 男ども手を貸すんだよ! 早くしろ!」


 一人の呼びかけに周囲の男たちが賛同し、重い瓦礫を力合わせて退ける。

 中から足を怪我した女性を引っ張り上げると、皆で即席の担架を作り、広場へと向かう。


「そっちじゃねぇ! 広場は向こうだ!」


 土地勘のある誰かの誘導に、民衆が一体となって統率の取れた動きで移動する。


「走るなよ! 皆ゆっくり行け!」


 誰に指示されるわけでもなく、一人一人が互いに声を掛け合い、注意し合いながら行動し始めていた。


「嬢ちゃん大丈夫か、立てるか?」


 見ず知らずの誰かが手を差し伸べ、他の誰かを助け、一人も欠けることの無いように、民衆は自らの意志で完璧な避難を始めていた。



――ある区画は、落下した隕石の影響で建物がめちゃくちゃに崩壊し、周囲が激しい炎で覆われ、向かうべき方角が完全に分からなくなっていた。


「火が強くてわからねぇ、どっちに進めばいい!」

「目印がねぇからわからねぇんだよ!」


 数十人が身を寄せ合いながら移動していたが、炎に囲まれた分かれ道で立ち往生していた。

 熱波が肌を焼き、これ以上煙を吸えば命に関わる状況だった。


――すると突然、片方の道の空間がインクをこぼしたように真っ黒に染まった。

 風景に黒をぶちまけたように異様な光景になっており、「あの中は危険だ」と、誰の目で見ても本能的に理解できる。


「……こっちに行くしかねぇか」


 先導していた一人が、黒くなっていない安全な路地を進んでいく。

 周りの人々は、その黒い靄が意図的に作られた「道しるべ」だと信じ、迷わず付いていった。


――やがて、遠くで彼らの喜ぶ声が聞こえた。無事に火の海を脱し、広場へと続く大通りに出たようだった。


 残された黒い靄の中から、二人の男がゆっくりと姿を現した。

 一人は巨漢で、肩に気を失っている逃げ遅れた男性を担いでいる。


「上手くいったか。周りくどい。口で言えばよかったろ」

「うるせェ。俺らは面が割れてんだ。裏街のゴロツキが誘導したって、マトモな市民は信じられねェだろ」

 

 包帯で身体中を巻かれている細身の男――かつて路地裏で将斗にこっぴどく叩きのめされたチンピラが、忌々しそうに広場の方向に目をやる。

 巨漢が、チンピラの肩をポンと叩いた。


「なぁ、もう一度……試したくないか」

「ケッ。もしあの腰抜けの王サマが勝ったら考えてやるよ」


 チンピラは悪態をつきながらも、巨漢と共に火の海を抜け、広場へと向かっていった。



――またある区画では、逃げ遅れた姉弟が炎に巻かれそうになっていた。


「広場に向かわなきゃ……!」

「お姉ちゃん、怖いよぉ!」


 瓦礫が散乱し、火の海と化した一帯を、少女が幼い弟を抱えながら必死に歩き出した。

 さっきまで足がすくんで動けなかった彼女だったが、新たな王の言葉に鼓舞され、涙を拭って力強く進んでいく。


 その時。

 ブゥゥゥゥンッ! と、低く内臓を震わせるような異音が響いたかと思うと、正面から車輪が前後に二つ付いた鉄の乗り物にまたがる、白い服を着た男が現れた。


「おい! 大丈夫か、掴まれ!」

「お、お兄さんは誰?! それ……動物?」

「いいから、まずは逃げることだ。勝つんだろ、皆で!」


 姉弟は、謎のヘルメットで口元しか見えない男にヒョイと担ぎ上げられ、見慣れない鉄の乗り物の後部座席に同乗させられる。


「輝いてる奴は好きだぜ! 熱くなってきたなぁ!」


 ライダースーツの男はアクセルを吹かし、炎を切り裂いて広場へと爆走していった。


 

******************************



 国民の避難は、驚くほど順調に進んでいた。

 誰も揉めることなく、互いに助け合いながら、中央広場を中心に数万の人々が溢れかえっている。


「クリス、これ返すよ」

「……もう、いいのか」

「ああ、あとは、君が誘導してくれ。俺にはまだ街を守る使命があるからね」


 グレンは、拡声の魔法具をクリスに手渡した。

 クリスはそれを受け取り、真っ直ぐにグレンの顔を見た。


「……良い目になったな。つい最近まで、死んだような目だったじゃないか」

「そうかな……」

「ああ、それに良い宣言だった。歴代の王に比べれば、まだまだ未熟だがな。六代目といい勝負くらいだ」

「会ったことがないからわからないけど、褒め言葉として受け取っておくよ」


 グレンは踵を返し、空から落ちてくる隕石を見た。

 まだ隕石の雨は降り注いできている。

 

 まだ戦えるか、と自身の体を確認する。

 切り傷や火傷を無数に負い、今も生々しい血が流れているが、不思議なことに、妙に体は羽のように軽く感じていた。

 止まっている暇などないと、彼はまずどの火球に向かうかを整理し、先行して着弾地点に駆けつけようと、力強く一歩目を踏み出した。


 その時――。


『ちょっとグレン! それ何?!』


 脳内にレヴィの驚愕した声がこだました。


「うるさいぞ! 直接脳内に響くんだ、そんなに大声出さなくてもいいだろ! ……どうしたんだ?」

『あんたの元にたくさん魔力が集まってる……? なんか皆と線みたいなので繋がってて……』

「魔力が? 皆ってなんだ」

『皆は皆よ。広場に集まった国民の皆!』


 グレンは驚いて自分の体の周りを見た。

 優れた魔眼を持つレヴィと違い、視覚的に魔力を見ることができないグレンには、彼女の言う『線』というのがわからず、首を傾げた。


「どうした?」

「ああ、すまないこれは、レヴィが脳内に……。今はいいか」

「なんだ……?」


 虚空を見つめるグレンの姿を不思議に思ったのか、クリスが声をかけてきた。

 一人で喋っているように見えているから否定しようとしたが、そんな暇は無い。


「レヴィが言うには、俺に魔力が集まってるらしい」

「……すぐにスキルを見ろ」


 クリスがハッとしたように目を見開き、鋭くそう言った。

 グレンは言われるがままに指を振り、ステータスウィンドウを開いた。

 スキル欄を見て、彼は絶句し、目を見開いた。


「『キング』……?」


 彼には、生まれつきスキルが一切ない。そのはずだった。

 だが空だったはずのウィンドウの頁内に、たった一つ、黄金に輝くスキルが表示されている。


 グレンの呟きを聞いて、クリスは全てが腑に落ちたような顔をした。


「やはりか。初代の王がそのスキルを持っていた。あとは九代目も」


 グレンは、その言葉を聞きながら震える指で『キング』のスキル詳細を押す。


キング 自信を王と認める者と、魔力を共有するスキル 常時発動』


 その絶対的な表記に、目を見張る。

 ゆっくりと、周りを見た。広場を埋め尽くす数万の民衆の目は、不安ではなく、純粋な期待と信頼の眼差しでグレンを見上げていた。


 グレンは目の奥が熱く潤んでくるのを感じ、すぐにボロボロの袖で乱暴に拭った。


「そうか……認めてくれているのか……こんな俺を」


 彼は噛み締めるようにそう呟くと、鼻を啜り、決意を込めて上を見上げた。

 そんな彼の横顔を見て、クリスは静かに目を閉じ、深く頷く。

 そして、懐からあるものを取り出し、彼に差し出した。


 グレンはそれを受け取り、開く。それは、古ぼけた羊皮紙。

 将斗が命懸けで奪い取った、あの『全魔掌握マジック・マスター』の古文書だ。


「これは……? だが、王の証が」

「証なら、ここにある」


 クリスが、グレンの胸の中央――心臓のあたりを指で指し示した。

 その意味にグレンは気づくと、顔を上げた。 

 

「そうか、そういうことなのか」

「ああ、あんな仰々しい王冠は、ただの代替品に過ぎない。と、ある男が言っていた。本物はお前が今手にしたそのスキルだ」


 グレンは、自らの胸の辺りを握るように掴んだ。

 力強い鼓動に合わせ、民衆からの温かく強大な力が、とめどなく流れ込んでくる確かな感触があった。


「台詞は覚えているか? まさか忘れているのなら、隣で一字一句復唱してやってもいい」

「大丈夫だ。一字一句、忘れたことは無いよ」



******************************



 赤い空が再び眩く輝き、一筋の巨大な光の柱が、広場の中央に立つグレンの手元の古文書へと真っ直ぐに繋がる。

 『赤月の儀』が、正真正銘、真の王の手によってついに開始された。

 

 その天を貫く光の柱を間に据え、はるか上空で将斗と雄矢は対峙していた。

 雄矢は、今にも爆発しそうなドス黒い憎しみを込めた目で、下界の光を見下ろしている。


「なんで、儀式ができる。なんであんな無能な奴が……!」

「お前みたいな『外付けの王冠』じゃなくて、あいつ自身、そのものが王として認められたんだ。ということは、お前はハナから王の器じゃないって証明されたな」

「……黙れよ。王に必要なのは、他を蹂躙して支配する強さだ! あんな弱者を纏めてるだけの」

「出たよ厨二病。難しい言葉使えばかっこいいとか思ってるだろ」


 雄矢がギリッと歯を鳴らし、殺意に満ちた目で睨みつけてくる。肩を小刻みに震わせ、見つめられるだけで焼き尽くされるような、刺すような目だった。

 だが、将斗は全く臆せず、余裕の笑みを浮かべて続けた。


「もう少しでお前は詰みだ。『全魔掌握マジック・マスター』が手に入れば、グレンは『浮遊フロート』が使えるようになる。そしたら、ここまで来れる。魔力もみんなと共有だっていうから、そこを尽きることはほぼないんじゃないか」

「だからなんだ! 俺の力の前には――!」

「無効化の剣を持ったグレンとスキルを奪える俺。二人同時に相手にして、お前は勝てるのかって話だよ」


 苛立った雄矢が、牽制の火球を将斗に投げつけるように放った。

 将斗は十分に距離をとっていたこともあり、それをサラリと回避する。

 その余裕の様子がさらに気に入らなかったのか、雄矢が青筋を立てて叫ぶ。


「調子に乗んな! 雑魚二人がかかってきたところで俺の勝利は揺るがねぇ! 負けるはずねぇんだよ!」

「じゃあなんで怒ってんだよ」

「あぁ?!」

「不安だからだろ? 自分の行動は神に選ばれた『物語』だとかなんとか抜かしておきながら、めちゃくちゃ焦ってんだろ。本当は、『負けるかもしれない』って思ってんだろ」


 図星を突かれたのか、雄矢は下を向いた。

 距離をとっているはずなのに、ガリッという歯が砕けるような異音が将斗の耳に届く。

 さらに彼が顔を上げた時、胸を激しく上下させているのが目に見えるほどの、荒い呼吸をしていた。


(効いてる……な)


 将斗は、奴の精神面へのダメージが思いのほか大きいことを確信した。

 このまま安い挑発を重ねて、奴の頭の中を『怒り』で埋め尽くしてやれば、無意識に発動し続けている隕石への意識が逸れるかもしれない。


 しかし、時間はかけたくない。


 先ほど、レヴィから『魔力切れが近い』という悲痛な通信を受けていた。

 隕石の対処がまだ残っている以上、グレンは空を飛べるようになってもすぐには上がってこられない。

 だが、もし雄矢に隕石を降らすのを忘れさせてしまえば、グレンはすぐにでも急上昇して、あのチート野郎を真っ二つにできるはずだ。


 将斗は、頭の中で完璧な青写真を描き、「勝てる」と確信した。


「お前は主人公なんかじゃない。ここで負けて、王国史にもう一人の魔王として刻まれるんだよ。わかったら」

「……お前だったな……」


 雄矢が、うつむいたまま、喉の奥から絞り上げるように低く呟いた。

 空気が、一変した。


「魔法具が奪われたのも、氷に閉じ込められたのも、スキルが隕石メテオになったのも、この俺がいちいち逃げながら街に攻撃しないといけないのもに、今のこの胸っ糞悪いイラつきも全部、全部全部、全部全部全部全部全部全部!」


 雄矢は両手で自らの頭を力任せに掻きむしりながら叫び狂った。

 完全に発狂したかのように見えた。

 将斗は「してやったり」と、奴の隙を伺う。


 やがて、ぬるりと顔を上げた雄矢の表情は、異常なほど冷え切っていた。


「人を殺す俺が憎くてたまらないんだったな?」

「だから……何だよ」

「だったら、殺してやるよ! 火炎光線ヒート・レイ


 雄矢が下を向き、右肘を大きく曲げ、弓を引くように腕を溜める。

 その開かれた手のひらに、莫大な魔力が集束し、太陽のように赤く輝き出した。


「ヒート・レイ?」


 初めて聞く魔法に、将斗は身構えた。

 

『将斗! それ下に打たれるとかなりマズいけど、隙が大きい! 打ってる間動けないから、チャンスよ!』


 将斗はそれを聞くなり、前方へ向かって一気に加速した。


――だが、すぐに空中でスピードを緩めた。


 雄矢が突然、将斗の方を向き、右手を突き出す。

 その手から、すべてを灰にするような極太の赤い熱線が生成され、一直線に向かってくる。


 下を狙うと見せかけていたのだ。


 だが、将斗は心の中で口角を上げた。

 あの雄矢が、隙の大きい魔法をそんな簡単に打つはずがないと、読んでいた。だから速度を緩めていたのだ。

 回避できる余裕が十分あった。


――しかし。


 放たれた巨大な熱線は、将斗の左側を掠めることすらせず、明後日の方向へと突き抜けていった。


「は? 外した……?」


 あまりにも狙いが大きく逸れていた。

 不思議に思い、将斗が視線を雄矢に戻した瞬間。


 眼前を燃え盛る巨大な岩の塊が完全に埋め尽くした。


「――ぐぅっ!」


 肌を瞬時に炭化させるような圧倒的な熱波にうめき声をあげ、思わず目を瞑る。

 その熱源は、将斗の目の前を通り過ぎて下へと落ちていく。『隕石メテオ』だ。

 気づかぬ間に、将斗の頭上から落ちて来ていたのだ。雄矢の発狂した演技と大技のモーションに気を取られすぎたせいで、上空の確認を完全に怠っていた。


「……ぁ」


 「確認を怠っていた」と気づいたと同時に、将斗の背筋が総毛立った。


 今の視界に、雄矢の姿がいないことに気づいたからだ。

 サッと、全身の血の気が引く。


 目を開け、顔を上げる。奴はいなかった。

 右にも、左にも、いない。後ろを振り返っても、いない。


「上――っ」


 ――いた。


 熱波で陽炎が揺れる将斗の頭上。

 隕石を目隠しにして死角に回り込んでいた悪魔が、冷たい目で見下ろしていた。


「『火球ファイア』」

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