第26話 本物の怒り/362話 ノンフィクション
「レヴィ、俺はどうすれば良い?」
空中で巨大な『障壁』を展開している彼女の傍らまで飛ぶと、将斗は尋ねた。
城壁より少し高い位置での空中停滞。
落ちたらひとたまりもない。
ましてや右手に持っている剣は絶対に落とせないと、握る手に嫌な汗が滲む。
降り注ぐ隕石の赤熱に照らされ、レヴィの紫のドレスが強風で激しく靡いている。
直後、死角から迫った一つの隕石が彼女に直撃する軌道に入り、将斗は咄嗟に彼女の肩を引っ張った。
「きゃっ――なに?!」
突然の将斗の行動に彼女が驚く。
しかし、彼女の浮遊の安定性はかなりのもので、引いてもビクともしなかった。
さらには衝突すると思った隕石は、彼女の頭上に展開された「歪んだ空間」に激突し、ジュワァッという蒸発音と共に無数の光の粒となって消え去っていった。
「ねぇ、『魔法障壁』ならこの程度大丈夫だから」
「ご、ごめん」
「……肩」
彼女がジト目でこちらを見ていた。
視線の先には、彼女の華奢な肩をがっしりと掴んでしまっている将斗の左手。
将斗はそれに気づくと、一瞬で滝の様な冷や汗をかいた。
「ごぉごごごめん?!」
「ちょっ、馬鹿っ?!」
焦ったせいか『浮遊』のイメージがブレて魔法が切れ、将斗の体を持ち上げていた浮力が急激に消え去る。
真っ逆さまに落下し始めた将斗の腕を、レヴィの右手が咄嗟にガシッと掴んだ。
レヴィの腕を軸にして空中で振り子の様に揺れながら、将斗は激しく三回『浮遊』と唱えて、なんとか空中で体勢を立て直す。
「やめてよ、あんたの方が危ないじゃない!」
「ごめん、セクハラかと思って」
「その、「セクハラ」がわからないんだけどっ……!」
レヴィは将斗を引っ張り上げ、自分と同じ高度まで戻した。
彼女の顔は見ると、紅の空に照らされたせいなのか、顔や耳まで赤くなっているように見えた。
「……何見てんの? あんた顔真っ赤よ」
「え、マジ?」
将斗は自分の顔を左手で押さえた。緊張と恥ずかしさで熱い。
「はぁ、そういうの後。今は聞いて」
レヴィの作戦という言葉に、気を引き締め直す。
この間も、隕石は次々と障壁に激突しては消滅していた。防げるとわかっていても、轟音が聞こえるたびに反射的に体が跳ねてしまう。
「分かってると思うけど、雄矢は今『浮遊』で飛んでる。同時に三つも魔法は使えないだろうから、撃ってくるにしても、せいぜいお得意の『火球』程度だと思うわ」
「え、でも『隕石』を使ってるから、『火球』、『浮遊』で合わせて三つにならないかそれ」
「『隕石』の方は、魔法じゃなくてスキルなの」
「違いがわからん……」
将斗は首を傾げた。
詰め込まれた知識に、頭がパンクしそうだった。
「『隕石』の解読は不完全だったから推測だけど、もし『任意発動型』ってスキルなら、『使う』って『思っただけ』で使用できる」
「クソ強くない、それ……?」
「『全魔掌握』よりずっとマシ。魔力を素にして作られてるし、強さの調整もできないのか、障壁でも相殺できる程度のが降ってくるだけだし」
その時、遠くの城壁が巨大な爆発が起きた。
障壁から漏れた隕石が直撃したのだ。崩れた瓦礫が、周囲の家屋を無惨に押し潰していく。
レヴィが展開している巨大な障壁は、街の全域をカバーするには至っていない。
外縁部では、レジスタンス達が束になって撃ち漏らした隕石に魔法をぶつけている様子が見えるが、彼らの放つ火や水の魔法はどれも弾かれ、街に落ちる直前でギリギリ軌道を逸らすのが精一杯のようだった。
「レジスタンスじゃ対抗しきれてないな……流石にこれ以上、障壁の範囲を広げるのは無理そうか?」
「……これが限界。維持するだけでも精一杯で、悪いけど動くこともできないわ」
見れば、天を仰ぐ彼女の両腕は微かに震えている。
美しい額からは汗が流れ、極限の集中を強いられているのがわかった。
「国民が一カ所に避難してくれれば、そこだけを守れば良いんだけど、避難が間に合ってないから、それは無理。今は限界まで広げて障壁を維持してないと被害が出ちゃう。クリスが放送で誘導してるけど、時間がかかりそう」
「わかった……ごめん、無理言って」
レヴィは首を横に振る。
彼女の言う通り、下界の街ではスピーカーからクリスの声が響き、レジスタンスが駆け回っているのが見えた。
しかし、国民は誘導に従わず、蜘蛛の子を散らすようにあちこちへ逃げ惑っている。皆、必死に生き延びようと足掻いていた。
将斗は、今こうして一人、上空で何しないで浮いている自分が、酷く場違いな存在に思えた。
「……俺は、どうすればいい?」
思わず、真っ直ぐに尋ねた。
その問いに、レヴィはすぐには答えなかった。
「レヴィ?」
彼女は、一瞬躊躇うように目を伏せた後、絞り出すかのように口を開いた。
「将斗は……あんたは……」
「……え?」
「……ううん。あんたはまた、時間を稼いで」
彼女は何かを飲み込みで、言い直していた。
将斗は、本当は彼女が何を言おうとしたのか、追求することはせず、ただ頷いた。
「その間に私が色々考えてみる。最高なのは、将斗が来たことに腹を立てて、『隕石』の発動に意識が回らなくなること。そしたら私も手を離せるから、すぐに上に向かう。合流したら『交換』でも何でも使って、あいつからスキルをもぎ取りましょ」
「わかった。まぁ、どうにか頑張ってみる」
「ねぇ……!」
将斗が飛び上がろうとした瞬間、レヴィがその左手を強く掴んだ。
彼女の手が、微かに震えているのが伝わってきた。
「わかってる? 一人なのよ……死ぬかもしれないの」
「え? わかってるよ。めっちゃ気をつけて飛び回るから」
「ねぇ、本当にわかってる? 絶対に、死なないで。みんなで生きて、勝つの」
彼女の手に力が入っていて、『超強化』で強化されたはずの腕から痛みが伝わってきた。
「あの時……命を賭けた私が言うことじゃないのはわかってる。でも、あんたに死んで欲しくないから言ってるの」
「え? いや、だから死なないって」
「だったらそんな簡単に……!」
レヴィは唇を噛み、ゆっくりと手を離した。
その表情は、どこか哀しそうな顔だった。
今すぐにでも雄矢のところへ飛ぶつもりだった将斗だったが、一瞬の躊躇いが生じた。
「いいわ。信……じるわよ。絶対に無理しないで、お願いだから」
「わかった、超気をつけて行ってくる」
歯切れの悪い彼女の言葉を背に聞きながら、将斗は空を蹴った。
高度を上げ、灼熱の隕石の間を縫って飛んでいく彼の背中を、レヴィは祈るような顔で見つめていた。
「……全然、わかってない」
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肌を焼くような熱さの隕石の横をすり抜けながら、将斗は『浮遊』の推進力で高度を上げていった。
はるか上空。目線の先に捉えた雄矢が、こちらに気付いて、忌々しげに掌を向けてくる。
魔法が来る。
将斗は咄嗟に、両手で黒剣を正面に構えた。
予想通り、大人を丸飲みできそうなほど巨大な『火球』が射出された。
将斗は歯を食いしばり、剣を真正面に突き立てて真っ向から突っ込む。
魔法と剣が激突する。
「やばっ?!」
瞬間、黒剣が触れた部分から火球が光の粒子となって分解されていく。だが、魔法は消せても『質量と衝撃』までは消せない。
将斗は火球の持つ運動エネルギーをモロに受け、下方向へ激しく弾き飛ばされた。
すぐに空中で姿勢を直して見上げると、消しきれなかった火球の残骸が迫ってくる。将斗はその側面をなぞるように剣を立て、すれ違いざまに斬り裂きながら再上昇した。
正面からはもう受けられない。
受けたくない。
その理由は、火球の持つ『熱』だ。
「熱っっっぃなバカがぁぁぁぁぁぁぁ!」
ジリッ、と嫌な音を立てて右半身の肌を焼かれていく感覚に、思わず絶叫が漏れる。
火球そのものは剣で消滅しても、
魔法が生み出した周囲の「超高温の空気」はそのまま残っている。
かつてグレンが鮮やかに魔法を斬り捨てていたのを見て「魔法ごと熱も消える」と錯覚していたが、それはグレンの技量が神懸かっていたのか、体の作りがそもそも違うのかどちらかだ。
通りぬけた先、痛みの涙で滲んだ視界の向こうから、再び火球が迫る。
「殺す気かよ……ふざけんなっ……!」
将斗は大きく旋回し、まともに受けるのを避けて、遠回りに少しずつ上昇した。
頭上からは隕石も同時に降り注いでいる。まさに火の海を泳ぐような決死の特攻だった。
右肩や腕の皮膚が、赤黒く爛れている。
これまでの人生で体感したことのない激痛と熱さに、顔が醜く歪む。意識を保っていられるのは、ひとえに『超強化』の耐久力のおかげだろう。
「今まで火傷なんか、したことねぇんだぞこっちは!」
将斗は叫び、弱音を吐きそうな己を奮い立たせながら高度を上げる。
雄矢はこちらを睨みつけながら次々と火球を放ってきていたが、将斗がとうとう同じ高度に到達すると、舌打ちをしてその手を下げた。
将斗は空中で踏みとどまり、落ちてくる隕石に気を配りながら、雄矢と声が届く距離で対峙した。
「痛そうだな。楽にしてやろうか?」
「ふざけんな! さっさとスキル返せ」
「ハッ、渡すかよ。これは俺の力だぞ」
巨大な隕石が、二人のすぐ側を轟音を立てて通過していく。
熱された突風に体勢を崩されそうになるが、将斗はなんとか『浮遊』で踏ん張った。
落下した隕石がまた障壁の端をすり抜けたのか、眼下から爆発音が響いてくる。見下ろせば、王城の見張り塔が真っ赤な炎に包まれ、無惨に崩れ落ちていくところだった。
「何がしたいんだよ、お前」
「ある程度連中を殺そうと思ってな。二度と逆らわないように、俺の力を分からせねぇと」
将斗は、ゆっくりと顔を上げて雄矢を睨んだ。
「んだよ」
「答えになってねぇ、なんでこんなことできるんだって聞いてんだよ」
「はぁ?」
「隕石だけじゃない。人操ったり、殺したりして。何がしたいんだよ」
彼の行動原理が、将斗には全く理解できなかった。
今やっている大虐殺も、過去にレヴィたちにした非道も。
こいつはどういう理屈で動いているのか。それを理解した上で、言葉で止められないかと思っての問いだった。
雄矢はひどくダルそうに片目を開け、口を歪めた。
「黙ってろよ。お前、何様のつもりなんだ?」
「何が何様だ。お前も元々一般の高校生だろ。その言葉、そっくりそのまま返してやるよ」
「だーまーれ。俺のやることに口出すんじゃねぇよ雑魚が。俺とお前は違うんだぞ」
雄矢は、もう世界の王にでもなったつもりか、両手を広げて語り出した。
「神は俺を転生させた。つまり俺は、選ばれた特別存在なんだよ、わかるか?」
「……だからなんだよ、意味がわからん」
「物語の主人公は、誰の指図も受けねぇ。自分のやりたいように自由に動くだろ。型にハマった勇者のロールプレイなんてしてられっか、つまらねぇ」
「会話できないのかお前」
将斗は、奴の言葉を頭の中で反芻するが、全く理解できなかった。
説明が下手だとか、専門用語が多いからではない。
人間としての論理の根底が決定的にズレていて、理解する気にもなれなかったのだ。
雄矢は将斗の嫌悪感など露知らず、悦に入った表情で続けた。
「だから俺は自由に動く。そしてお前らはただの舞台装置。俺の圧倒的な強さを保証するためのただの引き立て役。お前もそうだぞ、渡……将斗だったか?」
「誰が舞台装置だ。俺は神様にスキルを取り返せって言われて来てんだ、お前はもう」
「それはさっき聞いたよ。でもようやく気づいた。お前の存在の本当の意味にな」
半笑いで、雄矢は将斗を指差してきた。
「転生者対転生者は燃える展開になるからだ」
「だから、何言ってんだよ……!」
「だってそうだろ? この展開は激アツだろ。神もいいテコ入れをしてくれた。この世界の奴らは、どいつもこいつも雑魚ばっかりでつまらねぇからな。退屈してたし、お前にはイライラさせられたが、それもまた、この物語を彩るための良いスパイスだったんだ」
「……意味がわからん」
将斗は、自分の耳を疑った。
これは本当に現実なのか。
同じ日本から来た人間と、こんな狂った会話をしていると思いたくなかった。
もっと分かりやすくて、理解できるような動機が聞けるものだと思っていた。
元の世界での誰かへの復讐だったとか、虐げられてきた反動だとか、そういう人間臭い理由があるのだと。
だが、次の言葉に、将斗は吐き気すら覚えた。
「――ハァ、まだわからねぇのかよ。聞いてねぇのか? 異世界転生モノは実話だって話」
へらへらと笑いながら言い放った雄矢の言葉に、将斗の全身を冷や水を叩きつけられたような悪寒が駆け抜けた。
「……おい、おいまさかお前……い、いやいい、喋んなよ。もう黙――」
「これは『俺の物語』の途中なんだよ。特別な俺が自由に生きて、無双して、世界を支配するまでの最高のストーリー。ようやく俺の番が回って来たんだ。引き立て役のお前は、せいぜい最後まで俺の敵を演じて散ってくれよ。そういう設定なんだろ?」
目眩のような感覚に、落下しそうになった。
雄矢は本気で言っていた。
自分は異世界転生モノの『主人公』で、周りの人間はその強さを引き立てるためのモブ。将斗もその一人くらいにしか思っていない。
本気でこの世界をそう認識しているのだ。
どうしてそんな狂った認識を持てるのか、意味がわからない。
信じられなかった。
握りしめた剣の柄から、ギリッ、と軋む音がした。
気付かぬ間に、強く握っていた。
そして、腹の底からドス黒い感情が勝手に込み上げて来て、口から弾け飛んだ。
「ふざけんなッ!」
勝手に発した言葉だったが、奇妙なほど腑に落ちている感覚がある。それは安心感にも似ていた。
自分はちゃんとこいつの狂気に対して怒ることができる、これを絶対に間違ってると否定できる、当たり前の人間性を備えていると分かったからだ。
こいつと同じ日本で育ちながら、こいつと同じ価値観を持たずに済んで本当に良かったと、心底思った。
こんなに怒るのは久々だった。だが言葉は詰まることなく、次々と溢れ出てくる。
「この世界の人はみんなちゃんと生きてるだろうが。お前のための作り物じゃないんだよ! 今だって、下で必死になって戦ってる人たちがいる。お前は二、三年ここにいて、何も感じなかったのかよ!」
雄矢は答えない。
将斗の悲痛な怒りを受けても大した反応もせず、ただ見下すようにこちらを見続けるばかりだ。
将斗は、怒りの炎を燃やしたまま叫び続けた。
「物語の中かと思うのは共感してやるよ。だけど、それだけだ! お前と違って、俺はこの少しの間一緒に過ごしただけでも、皆ちゃんと命があって、生きてるって分かったぞ。楽しければ笑うし、辛いことがあれば泣いてた。怒れば殴ってきたし、触れたら柔らかいし体温があった。現実なんだよ。リアルなんだよ! お前それでも――!」
「何キレてんだお前」
将斗が感情のままに叩きつけた言葉を、雄矢は鬱陶しそうに遮った。
そして、一切の悪びれる様子もなく、平然と言い放った。
「ノンフィクションなんだから、リアルで当たり前だろ」
「ぁ……――」
将斗は、次に続けようと開いていた口を、そのままの形でピタリと止め、固まった。
ゆっくりと口を閉じ、深く、深く息を吐いた。
何言っても無駄だと分かった。
こいつには何も響かないし、届かない。
ずっとこのまま、この世界で、好き勝手暴れて、人を殺すんだろう。
「もういい……。もう、いい!」
将斗は火傷で爛れた両手で黒剣を強く握り直し、刃を雄矢へと真っ直ぐに向けた。
こんな男の言葉を、もうこれ以上聞く必要ない。
「誰も読まねぇよ、お前のクソな物語なんか! 今すぐその座から引きずり下ろしてやるよ痛ぇ厨二病が!」
「ハハハッ! 読むに決まってる! 何も知らねぇのか!? 全員強者視点の物語が好きなんだよ! だからなろう系が天下とって流行ってんだよ!」
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グラディア上空で、相対する価値観を持った転生者同士の激突が始まっていた。
将斗の持っている黒剣が魔法を無効化すると知っている雄矢は、自身の『防御魔法』が意味を為さないと判断し、高火力の火炎や風の魔法で将斗を牽制してくる。
その弾幕のせいで、将斗は決定的な距離に近づくことができない。
ただでさえ、絶え間なく降り注ぐ隕石に激突しないよう、常に三次元的な回避軌道を強いられているのだ。
レヴィに「絶対に無理はしないで」と釘を刺されていたこともあり、無謀な特攻はできなかった。
「どうした、どうしたァ!? 口ほどにもねぇな! 誰を引きずり下ろすって?!」
耳障りな甲高い声が、将斗の神経を逆撫でするように煽ってくる。
睨みつけようとした瞬間、眼前を巨大な隕石が通り過ぎていった。
あと一歩前に出ていたら、跡形もなく消し飛ばされていた。
戦意を保つため、雄矢への怒りは絶対に冷めないようにしておく必要があった。
だが、怒りに任せて周りが見えなくなれば、即座に死に直結する。
あんな胸糞悪い奴を相手にしながら、極限の冷静さで感情をコントロールし続けなければならないという事実が、さらに将斗を苛立たせた。
「隕石の発動は忘れてくれないのかよ……っ!」
どれだけ将斗に魔法を連発していても、雄矢の隕石の雨が一向に止む気配はない。
将斗を煽りながら、裏では息をするように、頭では『隕石』を発動し続けている。そのデタラメなマルチタスクのチートっぷりに、将斗は歯噛みした。
将斗は片手に耳を当てて、脳内に直接声を飛ばした。
「レヴィ! なんか策は浮かんだか?!」
『ごめん、まだ何も。情けないけど『障壁』の維持が思ったより、キツいッ!』
「マジかよ……!」
レヴィは考える暇がないようだが、一方将斗の方には、体のすぐ横を不可視の『風の刃』が掠めていった。
出していたシャツの端が裂け、白い布の一部が落ちていく。
こちらも、一瞬たりとも気を抜けない。
逆転の一手が今の所無く、将斗は焦りを募らせた。
『それに、思ったよりも避難が上手く行ってない。全然一箇所に集まらない。中央広場だって何度も呼びかけてるのに、皆パニックになってて……』
『嘘だろ? クリスさんがずっと放送してるのに」
雄矢と対峙している間も、足元に広がる王都のあちこちのスピーカーから、クリスの必死の呼びかけが何度も響いていた。
上空の将斗からは街の細かい様子は見えないが、どうやら誘導は破綻しているらしい。
『我先にって動く人もいて、二次被害も出始めてるみたい。マズいわ』
「レジスタンス自体が怪しいから信じられてないとか? 薬投げつけて悲鳴上がってたし」
『それもあるわね……将斗は、大丈夫?』
「悪い、俺の方も上手くいってない。接近できないし、剣もいまいち使いこなせてないし」
四方八方から飛んでくる火球を、上手く斬ることができない。
すでに右半身に酷い火傷を負った恐怖心からか、斬り払って迎撃する自信がなく、咄嗟に『回避』を選んでしまうのだ。
「ほら避けてるばっかじゃなくて、向かって来いよ! 盛り上がらねぇだろうが!」
「……うるせぇな」
「そんなジリ貧、いつまでも続けられねぇだろ? どうすんだァ!?」
雄矢の底意地の悪い煽りに、頭に血がのぼる。
そんなこと、自分が一番分かっている。
苦悶の表情を浮かべた将斗に気づいたのか、雄矢はニヤリと歪んだ口角を上げた。
「だったら展開変えてやるよ」
そう言うと、空中で停滞していた雄矢がゆらりと動き出した。
そして徐々に速度を上げ、将斗から距離を取るように飛び始める。
逃げるつもりかと将斗はその後を追うが、雄矢はグラディアの空を大きく時計回りに旋回しているようだった。
彼の右手が下界に向けられる。それを見て、将斗は目を見開いた。
雄矢の手のひらから、無数の巨大な火球が次々と生成され、街に向けて絨毯爆撃のように降り注ぎ始めたのだ。
絶え間ない隕石の雨に加え、特大の火球の嵐。
「レヴィ、やばい! あいつ街を狙ってる!」
『最っ悪、なんとかして止めて! 範囲広げた分、今の障壁の耐久力ないから、あいつの『火球』を消しきれない!』
「と言われても……ッ!」
将斗は強い推進力を生むイメージで『浮遊』発動し続けるも、雄矢の飛行スピードと同等になるだけで、一向に距離が縮まらない。
「やめろ! 卑怯だろうが、俺にやれ!」
「ハッ、お前じゃ相手にならねぇよバカが。街が終わるのを特等席で見てな」
雄矢はこちらを見向きもせずに言い捨てた。
完全に飽きられている。あいつにとって、将斗はもはや「邪魔な羽虫」程度の扱いに成り下がっていた。
脅威にすらなっていない。
将斗は視界の端で指を振ってステータスウィンドウを開き、自身の魔力の残量を確認。
残り七割。
「割とあるじゃん……!」
空を飛び続けている割に、意外と減っていないのが唯一の救いだった。
魔力が切れれば、浮力を失い真っ逆さまに墜落する。生還できる保証はない。
だから無意識に魔力をケチり、勝手にブレーキを掛けていた。だが、将斗はもうなりふり構わず、スピードの限界を突破する覚悟を決めた。
自分だけ退路を用意して、手を抜いて戦うわけにはいかない。
「――『浮遊』!」
背中にジェットエンジンでも積んだイメージで魔力が爆発させた。
ジェット機に比べれば遅い速度だが、生み出された莫大な推進力で加速していく。
吹き付ける上空の冷風が肌を切り裂くように冷たいが、構わず突っ込む。
雄矢の背中がみるみるうちに大きくなる。
距離は縮まった。あと三秒もあれば、背後から剣を振り下ろせる。
――しかし。
雄矢が振り返りざまに、突然右手をこちらに向けた。
ほぼゼロ距離で、視界が真っ赤な炎に染まる。
「くっそ!」
将斗は体を強引に半回転させ、直撃を回避しながら炎の側面を斬り払おうとした。
「ぐっ――!」
だが、放たれた火球の勢いと質量が予想を遥かに上回っていた。
弾き飛ばされた衝撃で指が痺れ、火傷を負った手から、黒剣がすっぽりと滑り抜けた。
ハッとして手を伸ばす。
だが遅い。回転しながら、唯一の対抗手段である黒剣が、遥か下界の街へと落ちていく。
将斗は咄嗟にそれを追って急降下しようとするも、追撃の火球が目の前を塞ぐように通り過ぎていった。
見上げれば、雄矢が心の底から楽しそうな、したり顔で見下ろして来ている。
完全に邪魔をされた。この一瞬の足止めの間に、黒剣はもはや急降下しても追いつけない速度で雲の下へと落下して行った。
ハハハッ、と上空で笑う雄矢は、再び旋回しながらの市街地への爆撃を再開した。
剣はない。だが、まだ将斗には『回収』が残されている。
玉座の間で一度使ったため、残り一回しか使えない。空振りでもすれば、終わりだ。
しかし、何もしなければ街が焼かれる。雄矢としても、スキルを奪われるのは嫌なはずだ。
近づけば、今さっきのように自分の方へ火球を撃たざるを得ない。それだけで、街への爆撃を中断させることができる。
将斗はそう考え、手ぶらのまま再び雄矢へと急接近した。
同時に、最悪の報告をレヴィに飛ばす。
「レヴィやられた! 剣落とした!」
『嘘でしょ!? さすがにこの高さから落ちたら壊れ――って、え? 今のもしかして!?』
レヴィの焦った声。
彼女のすぐ横を黒剣が通り抜けていった景色が脳裏に浮かぶ。
『あっ――』
レヴィの息を呑む声に、将斗は最悪の事態を想定した。
雄矢への唯一の対抗手段が、自分の不注意によって完全に失われてしまったのだと。
『――将斗』
レヴィの不自然なほど静かな声に、将斗は自分の犯したミスの重圧で体が鉛のように重くなるのを感じた。
『ちょうど良かったわ』
「えっ?」
予想だにしなかった言葉に、将斗は驚愕した。
どういう意味かと下を見るが、降り注ぐ隕石と煙に阻まれて、何がどうなったのかは分からない。
『ああ、本当に、ちょうど良かった』
脳内に響いたのは、レヴィの声ではない。
聞き覚えのある、落ち着いた男性の声だ。
将斗はすぐにその主の名を呼んだ。
「グレン! 無事だったのか!」
『あぁ、問題ない』
将斗からは見えない中央広場の真ん中。
そこでグレンは、空から降ってきた黒剣をしっかりと握りしめていた。
先の侵入者との死闘で額や腕から血を流し、誰の目から見ても満身創痍な状態だったが、そんな弱みは一切声色には載せず、彼は空の将斗と通信を繋ぐ。
『二人とも、撃ち漏らした火球は俺が斬る。レヴィはそのまま広範囲を防御。下は俺たちに任せて、将斗は雄矢を止めてくれ』
『アンタどこ行ってたのよ、ずっと寝てたの?!』
「そうか、レヴィ知らないか。簡単に言うと、城に変な二人が現れて、それで足止めしててくれて」
『何それ、どういうこと?』
『そいつらは倒した、細かい説明は後でする!』
グレンの頼もしい言葉に、将斗は少しだけ安堵の息を吐き、とにかく雄矢の気を逸らすのが先だとさらに速度を上げた。
一瞬下を見ると、あり得ないほどの超高速で街の屋根を駆け抜ける人影が見えた。
おそらくそれがグレンだ。街に直撃しそうになった火球が、彼が通り抜けた瞬間に次々と一刀両断され、消滅していく。
しかし、それでもグレンの足が間に合わない位置に落下した火球が、また街の一部を爆発させた。
あそこにもし逃げ遅れた人がいたら――そう考え、将斗は雄矢に対する怒りをさらに燃え上がらせる。
――だが直後、一つの鮮烈なひらめきが将斗の頭の中に生じた。
「二人とも! 特にグレン! 一個思いついたんだけど」
『何だ?』『何?』
「グレン、王子様なんだよな」
『……それがどうした?』
「――人前で話すの得意?」
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グラディアの人々は逃げ惑っていた。
完全なパニック状態に陥り、どこへ向かえば安全なのか誰にも分からず、群衆はバラバラの方向へと走り抜けていく。
降り注いだ瓦礫に足を挟まれ、身動きの取れない男性。
狂乱する人波に巻き込まれないよう、路地裏の隅で震えながら腹を庇う妊婦。
転んで親とはぐれ、その場で泣き叫ぶ子供。
若者に突き飛ばされ、地面を這う老人。
倒れた出店の荷車から、商品が散らばる。色鮮やかな果物は逃げ惑う人々の靴底で無惨に踏み潰され、地面に泥のように塗りつけられていく。
異国から取り寄せられた高価な宝石も呆気なく踏み砕かれ、粉々になって冷たい石畳の隙間へと押し込まれていった。
遠くの街区で上がる爆発音に、また新たな悲鳴が連鎖する。
その絶叫の波は伝播し、スピーカーから流れるクリスの必死の避難誘導の声を完全に掻き消していた。
自分だけでも助かりたい。ただ生きたい。
誰もが極限の恐怖に支配され、死に物狂いで逃げ惑っていた。
『――』
ふと、放送の音声が切り替わった。
泣き叫んでいた少女が立ち止まり、不思議そうに近くのスピーカーを見上げた。
『――聞いてくれ』
また誰か一人が立ち止まり、不安げに赤い空を見上げる。
そしてまた一人、また一人と、歩みを止めた。
立ち止まっている者を見て、同じように足を止める者が波及していく。
やがて人々の悲鳴と怒号は嘘のように止み、上空から迫る隕石の轟音だけが、不気味なほど静かになった街に響き渡った。
『皆、落ち着いて聞いてくれ』
スピーカーから流れる、その低く、力強く、そしてどこか懐かしい聞き覚えのある声に、グラディアの民の全員が、息を呑んで足を止めた。
『前国王スカーレットの息子。――グレン・グラディアだ。どうか落ち着いて、聞いて欲しい』




