第25話 星降る夜/361話 隕石
「はは……あははっ! あはははははは!」
雄矢が高らかに笑う。
その体は天から届いた赤い光の柱によって、禍々しく輝いていた。
手に持っていた古文書はボロボロと崩れ落ち、灰となって石畳の上に散っていく。
全てが崩れ去ると、雄矢の体を包んでいた光もスッと収まった。
「もうこれもいらねぇな!」
王の証たる王冠。前王スカーレットから強奪したそれを、雄矢は忌々しげに引き剥がし、周りで倒れているレジスタンスの一人に向けて力任せに投げつけた。
体に跳ね返され、甲高い金属音を鳴らしながら、石畳を跳ねていく。
代々受け継がれてきた絢爛な装飾が、無惨にも欠けて散らばった。
だが、今の彼にとっては、そんなガラクタなどどうだってよかった。
「さてと……」
やることは決まっている。
圧倒的な力を見せつけてやらなければならない。
もう二度と、自分に逆らう気が起きないように。
雄矢はゆっくりと宙に浮き上がった。
空に向け、徐々に高度を上げていく。
視界の全てに王都が収まる高度まで到達する。
人の形は豆粒のようにしか見えないが、中央広場は開けているため、どれが忌まわしいクリスかくらいは見分けられた。
雄矢は歪んだ口角を上げると、拡声用の魔法具を取り出した。
軽く叩くと、街中のスピーカーから耳障りな破裂音が鳴り響く。彼はそれを口元に持っていった。
『あーあー、起きろよお前ら』
広場の外縁や、遠くの通りで、数個の点が蠢きだすのが見える。
だが、直下の屋根にいるクリスはまだ起きていない。
あいつにだけは、この絶望的な事実を特等席で受け止めてもらわなければ。
『起きろってー! 特に、クリスさーん!』
雄矢は今でこそ無事だが、自分の命に手をかけようとしたことは絶対に許さないつもりだった。
一生消えない後悔を刻み込んでやる。
どす黒い愉悦に浸りながら、雄矢は呼びかけ続けた。
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クリスは弾かれたように飛び起きた。
聞きたくもない憎悪の対象の声が、街じゅうで響いている。
立ちあがろうにも激しい眩暈がして、クリスは思わず額をおさえた。
彼女は片膝をついたまま、すぐに眼下の広場を見下ろした。
隊員は皆、糸が切れたように倒れ伏している。そして、広場の中央の天蓋の中には――誰もいない。
周囲を見渡し、最悪の状況を脳に叩き込むと、クリスは咄嗟に手元の魔法具を口元に持っていった。
『緊急事態だ! 壁外で待機中のレジスタンスはすぐに集まれ! 意識が戻った者から民衆の避難誘導! 魔法使いは迎撃準備! 奴は今、空にいる!』
黒い影が、街を囲む城壁の上に次々と姿を現す。その数は数百人。
全員が飛び降り、街内へ散開していく。
魔法を携えた者たちが屋根の上に立ち、空を見上げた。
杖や魔導具を携えた者たちが屋根の上に立ち、遥か上空を見上げた。
全員が、絶望と悔しさに顔を歪め、歯噛みしていた。
『迎撃って、届くのかよこの距離で』
雄矢は嘲笑っていた。
クリスは血が滲みそうになるほど唇を噛んだ。
空の上の奴がどんな顔をしているのか、ここからは見えない。
しかし、そのスピーカー越しの口調から、醜く勝ち誇った顔をしているのは考えなくともわかった。
あともう一歩。確実に追い詰めていたはずだった。
だが、まさか『魔力暴発』などという自爆同然の手段に雄矢が賭けるとは思わなかった。
魔力暴発は、使用者を含めて周囲の人間が意識を失う禁忌の行為だ。
遠くの屋根の上で配置についていたレジスタンスたちまで倒れているのを見るに、効果範囲は街全体に及んだとクリスは推測した。
広場で一人でもレジスタンスが起きていれば、無防備な雄矢の命はなかった。
なのに、奴は無謀にもその死の賭けに出て、勝ったのだ。
『返事しろよな。結局お前らが積み重ねた大事な作戦は、全部おじゃんになったわけだけど……気分はどうだ?』
雄矢の嘲笑が反響し、意識を取り戻した街中の人間が絶望に息を呑んでいた。
クリスは全身から力が抜けたように、口元の魔法具をゆっくりと下ろした。
『どうなんだって聞いてんだよ』
返す言葉はない。
『わかってねぇようだから見せてやるよ。見たことある魔法が使い放題なんだぜ、このスキルは』
中央広場の周辺に、レジスタンス内の魔法使いたちが集まって来た。
暴発の余波を受け、立っているのもやっとという様子の者もいる。
彼らは皆、対抗できないと悟っていた。
レジスタンスに集まった魔法使いは、ある一人を除いて、中級魔法が使えるかどうかという程度に過ぎない。
雄矢が使おうとしているのは上級、あるいはそれに匹敵する特級の魔法。
それも、無限の魔力に物を言わせた、街一つが容易く消し飛ぶであろうレベルの――
クリスは、立ち上がることすらままならず、悔しさに震える拳で屋根の瓦を叩き割った。
『じゃあまず手始めにあいつの魔法だ。簡単に死ぬなよ? お前らが心の底から後悔するまで、地獄を味あわせてやらなきゃいけないんだからさぁ!』
『……まっ待て!』
クリスは咄嗟に、答えた。
抵抗できない民衆にまで、無差別に犠牲者が出るのが火を見るより明らかだったからだ。
しかし――
『待たねぇよ。――「『氷弾暴風』」!』
雄矢の仰々しい詠唱が空気を震わせる。
赤き上空で恐ろしい破壊が巻き起こるのを、街中の全員が絶望と共に固唾を飲んで見上げた。
『……あん?』
しかし、何も起こらなかった。
暴風も、氷の弾丸も、何一つ魔法の事象は発動していない。
マイク越しに漏れた雄矢の間の抜けた声から、彼が何かに失敗したことをクリスは察した。
やがて上空の彼が、慌てたように腕を振り回しているのが見える。
彼の前に、半透明の四角い物体――ステータスウィンドウが出現したのが、微かな光でわかった。
『なん……』
街の各所の柱に取り付けられた魔法具から、雄矢の心底驚愕した声が響き渡る。
『なんだこれ……?!』
クリスは、彼が上空で一体何に驚愕しているのか、全く理解できなかった。
上空を見上げたまま呆気に取られていると、彼女の背後から静かに足音が近づいてきた。
振り向くと同時。
彼女の手から魔法具がスッと抜き取られ、その人物が口元へと持っていく。
白い服を着た、黒髪の男。
『もしもーし。うわ……これ、意外と音出るな』
『その声……お前まさか』
『あーうるさい、喋るな。お前の声が大音量で響くの不快なんだよ』
『あぁ……?!』
雄矢の怒声がスピーカーから発せられ、男は心底うるさそうに耳を押さえた。
音が止むと、男はもう一度魔法具を口元に当て、空に向かってニヤリと笑った。
『で? お前の探し物は、これ?』
男――渡将斗は、空の上の雄矢に見せつけるように、右手に持った『古文書』をヒラヒラと振ってみせた。
「流石に見えないか」
そう呟いて、将斗は振っていた古文書を手元に戻し、ペラリと開いてみた。
そこには見たこともない幾何学的な文字が並べられており、当然ながら解読はできない。
どうにか読めないかと首を傾げていると、下から屋根の上に立つクリスが見上げていた。
彼女は、呆然とした顔のまま将斗に尋ねる。
「どういうことだ……『赤月の儀』は行われていないということか?」
「これ、あいつが儀式をやってる最中に入れ替えたんですよ」
「……入れ替えた?」
将斗は古文書を丸めると、彼女に手渡した。
「グレンの家で、レヴィが別の古文書を見せてくれたことを思い出したんで、さっき城に向かう途中で急いで取り行って、俺のスキルの『交換』であいつが持っていたこれとすり替えたんです」
「……ということは、奴は別のスキルを得ているわけだな」
「そうですね。何と入れ替えたかわからないんですけど、『全魔掌握』よりはマシかなって思って……」
「……そう、か」
レヴィに見本として古文書を見せられたが、中身までは聞いていなかった。
しかし、知ってる魔法はなんでも使える『全魔掌握』より危険なスキルは思い浮かばなかったので、将斗は一か八か入れ替えてみたのだ。
『入れ替えたな、テメェッ!』
スピーカーから、空気をビリビリと震わせるような怒号が響いた。
まだカミングアウトしていないのに、察しが良い。
厄介だなと、将斗は顔を顰めながら魔法具を口元に持っていく。
『うるさいって言ったよな!』
『ああ?! 調子乗ってんじゃねぇぞ雑魚が! 大して戦えもしねぇのに、ちょこまかと邪魔しやがって!』
幾度となく儀式を邪魔されたせいか、雄矢の怒りは頂点に達しているらしい。
将斗は、このまま安い挑発に乗って口論を続け、せめてグレンが来るまでの時間を稼げないかと思案した。
『だがまぁ……お前はバカで助かったよ。自分が渡した古文書がどんなスキルか、ちゃんと確認したのか?』
無理に平静を保ったような、低くドス黒い声で雄矢は問いかけてきた。
強烈に嫌な予感がして、将斗は返事はしなかった。
自分の唾を飲み込む音が、やけに大きく聞こえる。
『してないよな?! お前がくれたのは「隕石」だよ』
「メテオ……隕石っ!?」
『英語は勉強してるか?! 名前でわかるよなぁ?!』
告げられた絶望的なスキル名に、将斗は目を見開いた。
こめかみを冷や汗が伝い落ちる。
直後。
見上げた先の雄矢の背後――禍々しい赤い空の向こうから、無数の巨大な『岩の球体』が姿を現した。
大気圏を突破したそれらは、表面を赤熱させながら徐々に大きくなり、街に向かって降り注いで来ている。
――ゴォォォォォォ……ッ!
大気を焼き切る轟音が、次第に大きくなっていく。
落下地点はバラバラで、王城から住宅街まで、街のあらゆる場所が無差別に狙われていることがわかった。
『お前に選択させてやる。すぐに古文書を返すか! それともこのまま降り注いだ隕石に街ごとぶっ潰されるか! どっちが良いんだ、転生者ァ!』
「……ミスった」
将斗は、苦し紛れにそう呟くことしかできなかった。
『全魔掌握』よりも物理的で、圧倒的に凶悪な質量兵器を与えてしまったことに、自責の念で全身が震える。
『――ミスってない!』
不意に、聞き覚えのある凛とした声が直接脳内に響き、将斗は驚愕に肩を跳ねさせた。
直後、紫色の影が猛スピードで広場を通り過ぎ、街の上空へと飛翔していく。
空中で彼女は両手を天に向かって大きく掲げた。
すると、彼女の掌の先から波紋が広がるように、グラディアの夜空が広範囲にわたって透明に歪み出す。
その巨大な歪みに、降り注ぐ隕石の群れが次々と衝突した。
瞬間――巨大な岩塊が、音もなく空中で粉々に砕け散り、消滅していく。
『全然良い! ありがとう将斗!』
空に浮かぶレヴィが、無数の隕石をたった一人で受け止めていた。
彼女の復活に歓喜する一方、その声が自分の脳内で直接聞こえていることに、将斗は混乱した。
『「隕石」は魔力由来で作られてるから、『障壁』で消せるわ。あれなら耐えられる!』
「お、起きたのか?! てか、これ何? 頭の中で声がするんだけど!」
『遠くでも会話できるようにしたの! 通信魔法とでも呼んで。今はそれよりあいつを追って!』
「追ってって、空中でやり合えってことか?!」
「ど、どうした……?」
横から恐る恐る声をかけられた。
見れば、クリスが信じられないものを見るような目で将斗を見つめている。
通信魔法とやらで脳内に流れた声と会話しているから、彼女にはレヴィの言葉が一切聞こえていないのだ。
つまり、側から見れば『突然虚空に向かって一人で会話し始めたヤバい奴』である。
「ど、どうしました?」
「その、な、なんだ……いきなり一人で……」
彼女はわかりやすく引いていた。やはり、完全に変人と思われていると将斗は察した。
「ち、違うんですよ? これは頭にレヴィの声が聞こえてきてて――」
『そういうの後! 急いで!』
言い訳を遮るように、レヴィの大声が脳内でガンガン反響する。
「……ああもう! あとで説明します! これ返します!」
将斗は拡声器の魔法具をクリスに押し付けた。
「『浮遊』!」
詠唱と共に、屋根に放っておいた黒剣を拾い上げながら、魔法で体をふわりと浮かせた。
赤いままの夜空、その頂点にいる雄矢に狙いを定め、一気に加速しようとする。
「クリスさん!」
「……なんだ」
「怪我、治療してくれてありがとうございました。それだけです!」
返事も待たず、将斗は不器用な感謝を伝えた後、黒剣を構えて上空目掛けて弾丸のように飛び上がって行った。
クリスは、真っ直ぐに空へ向かっていくその不格好な背中に、どこか懐かしいものを感じて、小さく首を傾げた。
しかし、すぐに指揮官の顔に戻り、押し付けられた魔法具を構える。
『魔法部隊、目標は上空の鈴木雄矢ではない! レヴィが防ぎきれなかった隕石の破片を狙え! 総力を上げて、この街を護り抜け!』
その号令を皮切りに、街の屋根のあちこちから、夜空へ向けて無数の魔法が放たれ始めた。
レヴィの展開した巨大な障壁の端をすり抜けた細かい隕石の欠片が、空中で次々と迎撃され、赤い空に爆発の光を咲かせていく。
クリスは口元から魔法具をゆっくりと下ろし、一直線に空の頂点へと駆け上がっていく将斗の背中を見上げた。
圧倒的な力でこの国を蹂躙した、最悪の『勇者』。
それにたった一人で肉薄していく、得体の知れない黒髪の男。
彼の不格好な後ろ姿を見つめながら、クリスは自嘲するように小さく息を吐いた。
「異世界からの敵に抵抗するには、同じ異世界からの使者か……」




