黒スーツ
『どうも。こんにちは』
機械変換された怪しげな音声が、古い演説台上のスピーカーより響く。黒スーツの二人、貝沢と吉崎は、服内側のホルスターに収まる銃を反射的に抜いた。
音の方向に構える。誰もいない。すぐに下ろした。先ほどの放送で動揺したからか、警戒心が高まっているようだ。二人は深呼吸する。
貝沢は目を細めた。その放送と全く同じ声音だ。同一の変声機を使っても、違う人間ならこうはなるまい。相手はやはり一人か。だとしても厄介だ。この人物の誘導に乗せられてしまっている。
吉崎が尋ねる。
「どこの所属だ?」『さあ。どこだと思う?』
どちらも答えない。
『一先ずζ-01とでも名乗っておく』
貝沢が目を細めた。ギリシャ文字の部隊名と数字で以って、作戦行動中の識別番号とするやり方は、AUFOが好んで使う風習だ。彼にとって、それは幼稚な遊戯の延長線にあるように感じられて、あまり好ましく映らなかった。
敢えてAUFOとの関係を匂わせている。少なくとも海底人については知っている。が、そこからは声の主は辿れないのだろう。撹乱だ。聞き流す。
『君たちこそどこの所属だ?』
聞いてきたからと言って、分かっていないとは限らない。しかし、分かっているとも限らない。吉崎による質問は、こちらが組織的に動いていることを示唆するに十分なものだった。貝沢は彼を睨みつけ、不用意な発言を牽制する。
『なぜあの少年を? 彼をどうするつもりかね』
天久保がブロック所有者であることを知らない。そもそもユニを知らない。ただのカマかけ。無情報状態での推測は危険だと貝沢は考えている。推測したければ、相手をもっと知らなければならない。が、貝沢たちは、こちらの情報を渡さず向こうの情報のみ抜き取る話術は身につけていない。沈黙で返す。
天久保を連行してどうするつもりかは、貝沢たちも聞かされていない。ユニの力の発現者は日本国内でも十数例確認されており、内閣府直属の対策課でも何人か保護しているらしい。
彼らをどう扱っているのか。気にならないと言えば嘘になるだろう。貝沢は小さく首を振る。領分を越えている。自分たちはただの駒に過ぎない。しかし大切な役目だ。世界が激変する予兆をヒシヒシと感じているから、なおさら。
ヤドカリに似た頭部をした、異形なる二足歩行の化け物。三年前、局長に呼びつけられて見せられたあの写真の被写体を、貝沢は鮮明に覚えている。今までに感じたことのない気持ち悪さだった。続けて提示された映像には、海棲生物の頭を持った人型の化け物が、人間を虐殺する様子が記録されていた。2022年、ロサンゼルス近郊で起きた事件。被害者の中には六名の日本人が含まれていたそうだ。さらにその少し前から、世界各地で超能力を持つ人間が確認され始めていた。偶然にしては出来過ぎている。
衝撃を受けた。度肝を抜かれた。海の底に、人間と敵対する怪物が暮らしている。超自然的な力に目覚めた人間もいる。日本政府としても看過出来る状況ではなくなった。
内閣府直属の対策課を設ける。君もそのメンバーに選ばれた。他言無用でよろしく。
創作の世界に迷い込んだかのような心地がした。浮き足立つ。常識が壊れていく。ショックの許容量を超えていたのか、そこから転属するまでの記憶は曖昧だ。
とにかく、賽は投げられたらしかった。世界の時間が進み始めた。急速に。
『天久保ではなく私を優先した。お前たちにとって最重要の目的は、天久保を連行することではなく、見つけ出すこと』
現実に引き戻される。声の主の言う通りだ。別に、見抜かれたところで痛痒はない。与える情報は、せいぜいブロック所有者を探し当てるためのアナログ手段を自分たちが有していることぐらい。界隈では既に当たり前のものだ。AUFOも使っている。
貝沢は、吉崎に目配せした。もう少し待てとの視線が返ってくる。吉崎は少しオツムが足りないが、感覚は鋭い。東北での害獣駆除の経験もある。そう言う面では頼りになる奴だと貝沢は思う。
「ここにはいないな」
「だが、安物のスピーカーとSubSky-Serveを通じて繋がれている。そう遠くにはいないはずだ」
SubSky-Serve、通称「3S」とは無線通信技術の一種で、五十メートル程度の短距離ならば、機器同士をワイヤレスで接続可能。Bluetoothの後継として五年前まで持て囃されたが、より効率的なNet-Edensに取って代わられ、スマートフォンなど主要な通信機器には使われなくなった。
この物置から短時間で移動可能で、かつ物置入り口を見張れる場所など限られている。目撃される危険性を考慮するならば、今から位置取りを変える可能性は低い。
「行くぞ」「探してどうする」「捕まえて尋問する」
転属してから貝沢は変わった。冷たい判断が容易に出来るようになった。
倉庫の出入り口から外に出る。周囲をグルリと見回す貝沢。二つ隣のトイレに目がいく。怪しい。自分だったらあそこに隠れる。
吉崎に肩を叩かれた。
「なんだ」「あれだよ」
相方に促され、貝沢は上を眺めた。
何かが降ってくる。それは、運動場倉庫に着地した。
設置されて二十年余りの古びた倉庫は、見るも無惨に爆散する。ただの人間である貝沢たちに、発生したコンクリートの弾幕を相手にして為す術などあるはずもなく、即時に絶命した。
◇◇◇
近くにいるのがバレた。どうしよう。
息を潜める。じっと動かない。しかし心中は慌てている。
黒スーツたちの目当てがユニ関連の超能力者で、それを判別出来る術を持っていたとして。見つかったら終わりだ。訓練された成人男性二人相手に敵うはずがない。女子トイレは見逃してくれないかしら。
何をされるの? 奴らは校長を殴った。暴力をも許容する懐の深い組織に属していると考えられる。実験動物扱いくらいはされても不思議じゃない。
もし捕まれば、どうにか使える人間であると示して、実験される側からする側に入れてもらおう。今は、今逃げるための方策を考えることが先決だ。
隠れられる場所は用具入れだけ。まあ論外だ。外に逃げる? 正面の出入り口からは言わずもがな、後ろの滑り出し窓から逃げても見られる危険性は大きい。体力が貧弱な私では逃げきれない。
奴らが正面から入ってきた瞬間に、窓から逃げる。ダメだ。タイミングが測れない。そもそも出入り口と窓で挟み撃ちにされたら終わりだ。運動場を使っているクラスはないから、無関係の人間を巻き込んで場に混沌をもたらすのもほぼ不可能。
窓からそっと覗き込む。ちょうど、黒スーツたちが倉庫から出てきたところだった。反射的に身を屈める。
ホント、ホントにどうしよう。頭を抱える。
破壊の音が、轟いた。
窓がガタガタと揺れる。「ひぁっ」と思わず声が出た。音が止み、居ても立ってもいられなくなって、再び窓から外を眺める。
倉庫だった瓦礫の上に、頭が魚の化け物がいた。
あの鮫人間の同類。海底人。
なぜここに。目が合った。




