不安
結月の授業参観が終わってすぐ、莉子の大学はテスト期間に突入した。
レポートの提出が一気に増え、莉子は忙しく過ごすようになる。
一方、隣の海老名家にも変化があった。
直樹が以前より早く帰宅する日が増えたのだ。
どうやら自宅に仕事を持ち帰って、結月と過ごす時間を増やしているらしい。
結月の方は、夏休み中はサマースクールに通っているようで、
庭で会って聞いたところ、それなりに楽しめているらしい。
休日、父子で楽しそうにどこかに出掛ける姿を見て、莉子はホッとした。
良い方向に向かっている感じがする。
――そして、テスト期間も終わった、7月末の昼過ぎ。
うだるような暑さの中、
莉子は、れい奈と悠斗と一緒に、大学から少し歩いたところにあるインドカレー食べ放題の店に来ていた。
夏前に集まれるのが最後なので、辛い物でも食べようという話になったのだ。
お昼の時間が過ぎているということもあり、店は比較的空いていた。
インド風の店内は涼しく、カレーのスパイシーな匂いが漂っている。
3人は店の隅にある丸テーブルを囲んで座ると、それぞれカレーを注文した。
インド人風のウエイターが、すぐに銀の食器に盛られたカレーと大きなナンを運んで来る。
比較的マイルドなバターチキンカレーをナンにつけて食べながら、莉子が尋ねた。
「2人は、夏休みは何するの?」
「俺は実家でバイト三昧」
やや辛めのチキンカレーを頼んだ悠斗が、汗を拭きながら言う。
実家のある宮崎に帰って、近所の農家でバイトする予定らしい。
激辛ビーンズカレーを頼んだれい奈が、滝のような汗をかきながら答えた。
「私は、心霊屋敷に幾つか泊る予定」
れい奈によると、人が不審死した廃墟などに一晩泊まれる企画があるらしく、
オカルト友達と一緒に泊まりに行くつもりらしい。
悠斗が苦笑いした。
「へえ……そんなのあるんだ」
「うん、見る?」
れい奈は、鞄からタブレットを取り出すと、莉子と悠斗に見せた。
怪しげな黒いホームページに、家の写真が並んでいる。
莉子はまじまじと画像を見た。
家はどれも古くて荒れており、不気味な雰囲気が漂っている。
「……確かに、お化けとか出そうだね」
「でしょ! 特に真ん中の家とかヤバくて、リタイアして途中で帰る人が多いんだって!」
わくわくしたような顔をするれい奈に苦笑しながら、悠斗がタブレットの画面に目を走らせた。
価格の欄を見て大きく目を見開く。
「え! 1泊6万もするの!?」
「うん、3人で行くから、1人2万」
真面目な顔で訂正するれい奈に、悠斗が信じられないといった表情を浮かべた。
「こんな廃墟で1泊2万はないでしょ!」
「本当に心霊体験ができるのならば、1人10万だって安い」
「いやいやいや! おかしいって!」
言い合う2人に、莉子は思わず吹き出した。
自分も高いお金を掛けてまで怖い思いはしたくないな、と思う。
れい奈が、期待するような目で莉子を見た。
「莉子は、お隣の女の子のぬいぐるみ、しっかり観察してね。何かあったらすぐ教えて」
莉子は苦笑いした。
どうやら、れい奈はむぎのことを忘れていなかったらしい。
ただのぬいぐるみに何かあるはずもないので
「なんかあったらね」と軽く流して話を終わらせる。
その後、3人は制限時間いっぱいカレーをお腹に詰め込むと、外に出た。
夕方までカフェで話をした後、解散になる。
莉子は電車に乗って自宅の最寄り駅に戻った。
電車を降りると、空には夕焼け空が広がっている。
(今日は涼しいな)
莉子は空をのんびりとながめながら自宅に戻った。
夜になり、明日からの休みに嬉しい気持ちになりながらベッドに入る。
――どのくらい経ったのか。
莉子は、ふと夜中に目を覚ました。
どこからか、わおーん、という犬の遠吠えが聞こえてきた気がする。
(犬……?)
手探りで枕元のスマホを探して見ると、時刻は夜の2時だった。
(なんでこんな時間に目が覚めたんだろう……)
莉子はぼんやりしながら起き上がった。
何か飲もうと1階に降りていくと、窓のカーテンが開いているのが見える。
(……お母さん、開けたのかな)
そして何の気なしに閉めようと窓辺に近づき
(……え?)
莉子は思わず目を見開いた。
隣の家の庭に、月明りに照らされたパジャマ姿の結月がいた。
むぎの顔を胸に押し付けるように抱えながら、ウッドデッキにちんまり座っている。
莉子は驚いて窓を開けると、小さく声を掛けた。
「結月ちゃん!」
結月が、ハッとしたように体を動かした。
莉子を見て驚いたように目を見開く。
「莉子ちゃん! どうしたの?」
「いや、結月ちゃんが庭にいたから、心配になって」
莉子の答えに、結月がどこか嬉しそうな顔をする。
莉子は、サンダルを履いて庭に出ると柵に近づいた。
小さな声で尋ねる。
「どうしたの? こんな時間に? ……なんかあった?」
「うん……」
結月は、視線を落とすと少し黙った。
そして、小さな声で言う。
「……今日ね、お父さんと会社のパーティに行ったの」
「パーティ?」
「うん。会社の人のおうちの庭で、お肉とかソーセージを焼いて食べたの」
結月は少し間を置いた。
「……それでね、女の人がずっとお父さんに話しかけてたの」
結月によると、2人はとても仲が好さそうに見えたという。
結月は不安そうな表情で莉子を見上げた。
「お父さん……あの人と結婚するのかな?」
その言葉と表情に、莉子は胸が苦しくなった。
思い出すのは、莉子が小学校3年生のとき。
離婚した母親が、男性に家まで送ってきてもらった時のことだ。
後から聞いたところ、男性は病院の職員で、親切で送ってくれただけだったらしいが、当時の莉子は、大きな衝撃を受けた。
母親が誰か別の人と再婚してしまうのではないかと心配になり、しばらく眠れぬ夜を過ごす羽目になった。
――当時のことを思い出し、莉子は内心ため息をついた。
(……あの時は、本当に辛かったな)
結月が夜中にウッドデッキに座っていた理由が何となく分かり、切ない気持ちになる。
莉子は、元気づけようと明るく言った。
「そんなに急に結婚なんて話にならないと思うよ。直樹さん、結月ちゃんが嫌がるようなことはしないと思うし」
「……本当?」
「うん、本当」
結月が少しホッとした顔をするが、相変わらず顔色は冴えない。
とりあえず、これ以上考えるのを止めた方がいいだろうと、
莉子は話題を変えることにした。
「結月ちゃん、残りの夏休みはどうするの?」
「お父さんがお休みを取るから、どこか行こうって言ってた。……でも、最近忙しいから行けないかもしれない」
結月がむぎをギュッと抱きしめる。
その姿が過去の自分と重なり、莉子は思わず口を開いた。
「じゃあさ、お父さんが行けなかったら、私とどこか行こうか」
結月が目をぱちくりさせた。
「……莉子ちゃんと?」
「うん。お父さんと遊びに行けるならそれが一番だけど、それがダメだったら、私と遊ぼうよ。映画とかどうかな」
結月の顔が明るくなった。
「うん、行きたい」
「じゃあ、そうしようか」
莉子は口角を上げた。
何となく、過去の自分を慰めているような、そんな気持ちになる。
莉子は明るく言った。
「じゃあ、家の中に入ろうか。蚊に刺されちゃうよ」
「うん……まだ大丈夫だよ」
「だめだよ、かゆくなっちゃうよ?」
莉子に促され、結月はのろのろと立ち上がった。
名残り惜しそうに莉子に向かって手を振ると、家の中へと入っていく。
その姿を見送ると、莉子も家の中に入った。
「結月ちゃんも大変だ……」
そうつぶやくと、ため息をつく。
そして、カーテンの隙間から、隣の庭に誰もいないことを確認すると、
蚊に刺されたであろう腕を掻きながら、ゆっくりと2階の自室へと上がっていった。




