授業参観
莉子が頭痛で寝込んだ翌日以降、
むぎが隣の家の窓辺に置かれることはなかった。
しばらくの間、カーテンを開ける度に、むぎのことを思い出していたが、
1週間も経つと、特に気にしなくなった。
たまに目を輝かせた、れい奈に
「例の降霊術のぬいぐるみはどんな感じ!?」
と聞かれて、そういえばと思い出すくらいだ。
――そして月日は流れ、梅雨も終わりに近づいた、6月末の夜。
バイトから帰った莉子がドアを開けると、玄関に母親と直樹がいた。
莉子が驚いて立ち止まっていると、直樹が微笑んだ。
「こんばんは、莉子ちゃん。お邪魔してます」
「……こんばんは」
莉子が我に返って挨拶すると、母親が、ちょうどいいところに帰ってきたという風に言った。
「莉子、明後日の2時から1時間くらい空いてる?」
急な話に、莉子は目をぱちくりしながら思案した。
「……うん、4時からバイトだけど、それまでだったら」
「じゃあ、もしよかったらなんだけど、結月ちゃんの授業参観に行ってくれない?」
「え? 授業参観?」
莉子がきょとんとしていると、直樹が申し訳なさそうに口を開いた。
「実は、僕が行く予定だったのですが、会社の方でどうしても抜けられない案件が入ってしまって……」
「……そうなんですね」
莉子の脳裏に、自分が小学生の頃の記憶が蘇った。
緊急手術のせいで母親が授業参観に来られず、寂しくて肩身の狭い思いをしたことを思い出す。
まだ小さな結月にそんな思いをさせたくなくて、莉子はうなずいた。
「わかりました。行きます」
「ありがとうございます。結月もきっと喜びます」
直樹が、ホッとした表情で深々と頭を下げる。
その後、莉子は母親と着て行く服を相談した。
母親の服と、大学の入学式に履いたパンプスなどを準備する。
――そして、2日後。
強い日差しが照りつける湿度が高い午後。
慣れないパンプスを履いた莉子が、ぎこちない足取りで小学校に向かって歩いていた。
住宅街を通り抜け、久し振りに見る母校の校舎を見て、ふう、と息を吐く。
(……緊張するな)
まさか参観で来るとは思わなかったと考えながら、莉子は他の保護者たちに混ざって校内に入った。
玄関でスリッパに履き替えると、案内表示を見て、結月の教室へ向かう。
教室にはすでに子どもたちが座っていた。
後方には、保護者がズラリと並んでいる。
莉子はやや緊張しながら教室に入ると、控えめに端の方に立った。
目で結月を探す。
結月は淡いピンク色の服を着ており、前方の席にきちんと座っていた。
ふと振り返って莉子を見て、嬉しそうな顔をする。
(結月ちゃんって、やっぱり可愛いな)
他の子どもたちも小さくて可愛らしいが、
その中でも結月は群を抜いて顔立ちが整っていた。
肩まである髪の毛もつやつやだし、服もどことなくおしゃれだ。
(将来モテるだろうな)
そんなことを考えていると、女性の先生が現れ、授業が始まった。
今日は街探検の発表会らしく、3、4人ずつの班が前に出て、
自分たちが行った八百屋はパン屋などについて、手書きの模造紙を使って発表していく。
みんな緊張しながらも、がんばって発表をしており、
保護者たちからも温かい拍手が送られる。
やがて結月の班の番になった。
結月は緊張した様子で前へ立つと、口を開いた。
「私たちは、ケーキ屋さんと花屋さんに行きました」
子どもたちが順番に発表し始めた。
緊張で固くなっている子が多い中、結月はとても落ち着いていた。
ハキハキしており、話しも分かりやすい。
隣に立っていた夫婦が、「あの子、しっかりしてるわね」と囁き合っているのを聞いて、
莉子は思わず口角を上げた。
(結月ちゃん、すごいな)
遠い親戚ではあるものの、なんだか誇らしい気持ちになってくる。
そして、保護者の大きな拍手で授業が終わると、すぐに帰りの会が始まった。
みんなで「さようなら」と挨拶をして、解散となる。
莉子は一足先に教室を出た。
廊下で待っていると、ランドセルを背負った結月が駆け寄ってくる。
彼女は不安そうな目で莉子を見上げた。
「莉子ちゃん、わたし……大丈夫だった……?」
「もちろんだよ、すごかったよ!」
莉子が素直に褒めると、結月が心からホッとしたような顔をした。
「良かった……心配だったの」
莉子は首をかしげた。
落ち着いて見えたが、実はかなり緊張していたのだろうか、と思う。
そして、2人並んで玄関に向かって歩き出そうとした――そのとき。
「結月ちゃん!」
ランドセルを背負った気の強そうな女の子2人が、結月のそばに走り寄ってきた。
うち1人が笑顔で口を開く。
「今日遊ぼ! シール交換しよう!」
結月は立ち止まると、困ったような笑顔を浮かべた。
どこか助けを求めるように莉子を見上げてくる。
(たぶん、この2人とは遊びたくない感じだよね)
なんか事情がありそうだなと思いながら、
莉子は、女の子2人に向かって口を開いた。
「ごめんね、今日は私と帰る約束してるんだ」
女の子たちが互いに顔を見合わせた。
仕方ないかという風に頷き合うと、残念そうに「じゃあね!」と手を振って去っていく。
結月は手を振りながらその後ろ姿を見送ると、無言で歩き始めた。
莉子はその横を歩きながら、チラリと結月を見た。
やや表情が硬く、黙り込んでいる。
(……あの子たちと、なんかあったのかな)
女の子の人間関係って結構複雑だからな、などと思いながら
莉子は結月と一緒に学校を出た。
先ほどまでの晴天からは一転、空はどんよりと曇っている。
結月は相変わらず静かで、どこか沈んだ顔で歩いている。
(どうしたんだろう?)
そして、2人並んで住宅街を歩くこと、しばし。
ずっと黙っていた結月が、小さな声で口を開いた。
「……莉子ちゃん、怒ってる?」
「え……?」
莉子は目をぱちくりさせた。
何を言われているのか、さっぱり分からない。
「ええっと、怒ってるって……何を?」
「……友だちと遊ばなかったこと」
どうやら、友だちと遊びに行かなかったことに莉子が怒っていると思ったらしい。
莉子は呆気にとられた。
「いや、別に怒ってないよ。だって、遊びたくなかったんだよね?」
「うん」
「じゃあ、いいんじゃない? 無理に遊ばなくても」
「……でも、友だちをいっぱい作って遊ばないとダメだって……」
消え入りそうな声で言う結月を見て、莉子は眉間にしわを寄せた。
おそらく、学校の先生か誰かが「友だちをたくさん作って遊びなさい」みたいなことを言ったのだろう。
(いるよね~、そういう古い価値観を押し付けてくる大人)
何となく腹が立って、莉子は力づけるように口を開いた。
「私も小学校の頃、先生に“友だち100人作れ”みたいなこと言われたけど、絶対にそんなの必要ないから」
「……そうなの?」
「そうだよ。私、友だちほとんどいないけど、別に困ってないもん。友だちって無理して作るものでもないし」
莉子の言葉に、結月があからさまにホッとしたような顔をした。
莉子の上着の端を、甘えるように軽く掴む。
そして、しばらく黙った後、つぶやくような声で言った。
「……あの子たちね、わたしの悪口、言ってるんだって」
結月によると、他の女の子が、あの2人が結月のことを
「調子に乗っている」など悪く言っていると教えてくれたらしい。
「だから、遊びたくないの」
「……そうなんだ」
相槌を打ちながら、莉子は思案に暮れた。
女の子同士の小競り合いにも聞こえるが、
結月が転校してきたばかりということを考えると、いじめにつながる可能性がないとは言えない気がする。
(……これ、直樹さんに言った方がいいかもしれない)
考え込む莉子の横で、結月が無邪気に笑った。
「でもいいの。わたしには“むぎ”がいるから。むぎいれば、友だちいらない」
「……そっか」
莉子は相槌を打ちながら、眉間に軽くしわを寄せた。
むぎに支えられているのは間違いないが、“ぬいぐるみがいるから、友だちいらない”は、果たしてどうなんだろうか、と思う。
(状況的に無理ないのかもしれないけど、あんまり良くない気もする)
その後、2人は今日の授業の話をしながら家に到着した。
結月が莉子の上着から渋々手を離す。
そういえば、ずっと掴まれていたなと思いながら、莉子は笑顔で口を開いた。
「今日はお疲れ様。お父さんに、結月ちゃんがすごくがんばってたって言っておくね」
「うん!」
結月は嬉しそうな顔でうなずいた。
鍵を開けると、手を振りながら家の中に入っていく。
その後姿を見送りながら、莉子は小さくため息をついた。
「小さいのに、結月ちゃんも苦労してるな……」
お母さんが亡くなって、愛犬が亡くなって、引っ越しで環境が変わった上に、新しい学校になかなか馴染めない。
小学校2年生という年齢では考えられないような苦労の連続だ。
(……とりあえず、今日のことは直樹さんにちゃんと伝えないとな……)
そんなことを思いながら、家に帰って着替えると、そのままバイトに向かう。
――そして、その日の夜。
莉子がアルバイトを終えて帰宅すると、スーツ姿の直樹がやってきた。
玄関先で、丁寧に頭を下げる。
「本日は本当にありがとうございました。結月も、とても喜んでいました。――こちら、よかったらどうぞ召し上がってください」
そう言いながら、持っていたお洒落な紙袋を差し出す。
どうやら直樹の会社の近くにある有名な菓子店のものらしい。
「ありがとうございます」
莉子は、ほくほくしながら紙袋を受け取った。
甘いものは大好きだ。
直樹が微笑みながら尋ねた。
「結月は、学校でどうでしたか?」
「すごく頑張ってましたよ」
莉子は授業参観での様子を話し始めた。
発表のときに頑張っていたことや、先生にも褒められていたことなどを話す。
直樹は嬉しそうに目を細めた。
「そうですか。環境が変わって心配だったのですが、上手くやれているようですね」
直樹の言葉に、莉子は口をつぐんだ。
伝えるなら今だろうと思い、改まって口を開く。
「そのことなんですけど、少し気になることがありまして」
莉子は、帰り際にあったことを、かいつまんで説明した。
女の子2人が結月の悪口を言っていた、と結月が言っていたことを話す。
直樹の表情が曇り始めた。
話しが終わると、小さくため息をついた後、感謝するように頭を下げる。
「教えていただいて本当にありがとうございます。――結月はいつも『学校は楽しい』『大丈夫』としか言わないので、全く気が付いていませんでした」
そして、少し間を置いて尋ねた。
「他に、何か気になることはありましたか? もしあれば、どんなことでも教えていただきたいのですが」
「そうですね……」
莉子は思案した。
なにかないかと考えて、ふと、むぎへのことが頭に浮かぶ。
言おうかと思うが、言ったことにより、直樹がむぎを取り上げる結果になってしまったら、結月がきっと悲しむだろうなと思う。
(それに、あれって、むぎが悪いというよりは、状況のせいだよね)
今の状況が不安定だから、“むぎがいれば友だちいらない”になっているのだ。
状況が改善すれば、たぶん自然とむぎから離れるだろう。
そんなことを考えながら、莉子は口を開いた。
「……特に気になることはないです」
「そうですか」
直樹はほっとしたような顔をした。
何度も「ありがとうございました」と頭を下げると、そのまま隣の家へ戻っていく。
その後ろ姿を見送ると、莉子は玄関の扉を閉めた。
(結月ちゃん、良い方向にいくといいけど)
そんなことを考えながら、階段を上がって自室へ戻る。
そして、カーテンを閉めようと、窓際へ歩み寄って――
「……え?」
彼女はピシリと固まった。
向かい――海老名家の2階の窓。
そこに、何かがいた。
黒い空間から、きらりと光る2つの目が、こちらを見ている。
ジャッ
莉子はとっさに勢いよくカーテンを閉めた。
カーテンに手を掛けたまま考えを巡らせる。
(今のって、むぎだよね?)
また結月が置いたのかな、と思いながら、莉子はカーテンの隙間から外をのぞいた。
向かいの窓に目をやる。しかし――
「……あれ?」
窓の奥には何もない黒い空間が広がっていた。
目を凝らしても、何も見えない。
しばらくながめた後、莉子は、はあ、と息を吐いた。
「……私、疲れてるのかも」
きっと見間違いだな、と思う。
しかし、脳裏からきらりと光る2つ目のイメージがなかなか消えず。
莉子は、とりあえずお風呂に入ってリセットしようと思いながら、足早に1階へと降りて行った。




