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忠犬むぎは、夜に鳴く  作者: 優木凛々
第1章 新たな隣人

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3/28

結月

 

 隣に父子が引っ越してきてから、約2週間後。

 春風が心地よい天気の良い午後。



「はあ……疲れた……」



 自宅の2階にある自室にて、莉子はパソコンの前で大きく伸びをした。

 今日はオンデマンド授業だ。

 1週間以内ならいつでも受講できるのだが、ギリギリになって慌てるのも嫌なので、早めに終わらせた。


 莉子はパソコンを閉じると、もう一度伸びをして立ち上がった。

 窓の外を見ると、雲一つない青空が広がっている。



(……シーツも洗っちゃおうかな)



 莉子は自分と母親の分のシーツと枕カバーを外すと、1階へ下りた。

 洗濯機に放り込んで、スイッチを入れる。


 そして、台所で卵入りのラーメンを作り、スマホを眺めながらのんびり食べていると、


 ピーピーピー


 洗濯機の終了音が鳴った。


 莉子は洗い立てのシーツたちを籠に入れると、物干し台のある庭に向かった。


 窓を開けると、正面に見える隣の庭に、結月がいるのが見える。

 白シャツにピンク色のスカートをはいており、じょうろを手に熱心にプランターへ水をやっている。



(あ……)



 莉子は思わず立ち止まった。

 一瞬躊躇するものの、サンダルを履いて物干し台へ向かう。

 そして、少し緊張しながら、結月の小さな後ろ姿に声を掛けた。



「こんにちは」



 結月は驚いたように振り返った。

 莉子を見て、少し恥ずかしそうに目を逸らしながら、小さな声で言う。



「……こんにちは」



 黙ったままなのも気まずくて、莉子は話しかけた。



「何してるの?」



 結月はプランターを指さした。



「……ミニトマトに、お水あげてるの」

「そうなんだ」



 莉子がプランターをのぞき込むと、

 ミニトマトの苗のほかにも何かが植えられている。



「他にもあるんだね」

「うん。こっちはチューリップ。こっちは朝顔。お父さんと植えたの」

「へえ、いいね」



 莉子が感心してみせると、結月が嬉しそうに笑った。

 案外話しやすい子なのかなと思いながら、莉子が尋ねた。



「今日は早いね。もう学校終わったの?」

「うん。個人面談週間なの」

「そうなんだ」



 相槌を打ちながら、莉子は思案した。

 自分の頃は、“個人面談週間”なんてなかった気がする。


 結月は話しかけられたことが嬉しかったのか、

 もっと話したそうな雰囲気でもじもじしている。


 もう少し話を続けようと、莉子はシーツを干しながら尋ねた。



「そういえば、今ってタブレットを1人1台持ってるって聞いたけど、そうなの?」

「うん、持ってるよ。宿題もタブレットだよ」



 結月によると、今は連絡帳も学校への出欠連絡も

 全部専用アプリで完結するらしい。



「すごいね、時代を感じる」



 莉子が素直に驚いていると、結月は少し得意そうな顔をした。

 最初は恥ずかしそうだった表情が、少しずつ柔らかくなっていく。



(受け答えもしっかりしてるし、頭のいい子なのかな)



 莉子はそう思いながら洗濯物を干し終えた。

 最後にシーツをピンチで留める。


 そして何気なく隣のウッドデッキへ目を向けると、あの白い犬のぬいぐるみが置かれていた。

 なぜだか分からないが、妙に本物の犬っぽい雰囲気が漂っている。



(……ただのフワフワしたぬいぐるみなんだけどな)



 そう思いながら、莉子は尋ねた。



「そのぬいぐるみ、この前持ってきてたね」



 結月はぬいぐるみを振り返ると、にこりと笑った。



「うん。お父さんからもらったの。“むぎ”っていうんだ」

「へえ、かわいい名前だね。なんで“むぎ”にしたの?」



 結月はうれしそうに微笑んだ。



「前に飼ってた犬の名前なの」



(ああ……なるほど)



 莉子は内心納得した。

 母親が、お母さんを亡くしたすぐ後に、ペットの犬が亡くなったと言っていた。

 きっと、その犬と同じ名前なのだろう。

 もしかすると、あの赤い首輪も、その犬が実際につけていたものなのかもしれない。



(首輪が本物だから、妙にリアルに見えるのかな)



 そんなことを考えながら、莉子は空になった洗濯かごを抱えた。



「それじゃあ、またね」

「うん。またね」



 結月は嬉しそうに手を振る。


 莉子も手を振り返すと、家の中へ戻った。

 レースのカーテン越しに後ろを振り向くと、結月がぬいぐるみに何か話しかけているのが見える。



(……まだ友だちできてないのかな)



 引っ越してきたばかりだから、まだ放課後に遊ぶほど親しい友達がいないのかもしれない。

 そんなことを考えてながら、莉子は時計を見上げた。

 時刻は2時半、そろそろアルバイトへ向かう時間だ。



(準備しないと)



 莉子は手早く支度を済ませ、家を出た。

 歩きながら隣の庭を見ると、結月の姿はもうなかった。

 白い犬のぬいぐるみも見当たらない。



(家に入ったのかな)



 莉子は速足でバイト先である近所のコンビニへ向かって歩いた。

 いつも通り掃除から始め、5時から7時までのピークが終わると、その後はのんびりと品出しをする。




 ――そして夜8時過ぎ。


 バイトを終えた莉子は、家に向かって住宅街を歩いていた。

 春の夜らしく、温かい風に乗って土の匂いがしてくる。


 そして自宅に近づくと、結月の家に明かりがついているのが見えた。

 家の前には、先ほどまでなかった直樹の白い車が停まっている。



(あ、お父さん、帰って来たんだ)



 家の前を通ると、微かに子どもの笑い声が聞こえてきた。

 カーテンの隙間から漏れるオレンジ色の光が、どこか楽しげに見える。



(……良かった)



 何となくホッとしながら、莉子は暗い自宅へと入っていった。






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