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忠犬むぎは、夜に鳴く  作者: 優木凛々
第3章 異変

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26/28

プレゼント

 

 結月の誕生日の翌朝8時過ぎ。

 莉子は上着を着ると、ゴミ袋を片手に外に出た。


 空は淀んだ灰色の雲に覆われており、冷たい風が吹いている。



(今日は寒いな……)



 息を白く染めながら、莉子は軋む門を押し開けた。

 速足でゴミ捨て場に向かいながら、小さくため息をつく。



(結月ちゃんに謝らないとな……)



 約束をすっぽかしていた件は、本当に良くなかった。

 連絡をしなかったのも悪かった。

 まずは、ちゃんと謝って、それから話をしたいと思う。


 莉子はゴミ捨て場に到着すると、鉄製の扉を押し開けた。

 空いた空間にゴミを押し込み、扉を閉めようとした――そのとき。



「おはようございます」



 背後から、男性の声がした。

 振り向くと、そこには白いマスクで顔を覆った直樹が立っていた。

 手には、几帳面に結ばれたゴミ袋を持っている。



(あれ、直樹さん?)



 莉子はわずかに首をかしげた。

 こんな時間に、ゴミ捨て場で会うのは初めてだ。



「おはようございます。今日はお休みですか?」

「いえ、リモートです」



 直樹もゴミを捨てると、2人は住宅街の道を並んで歩き始めた。

 直樹が申し訳なさそうに口を開いた。



「昨日は、せっかくいらしていただいたのに、すみませんでした」



 どうやら直樹も、昨日の結月の反応にはかなり驚いたらしい。



「莉子ちゃんのことを好きそうだとは思っていたんだけど、まさかあそこまでとは思っていなくて」



 話にはよく聞いていたが、“隣の優しいお姉さんに懐いている”くらいの印象だったという。

 莉子は視線を下に向けながら口を開いた。



「昨日、帰り際に結月ちゃんと話をしたんですけど、どうやら、ずっと私と遊びたかったけど言い出せなかったみたいで……」

「ああ……」



 直樹がどこか苦しげにため息をついた。



「……結月はどうも我慢をし過ぎてしまうんです。話を聞くようにはしているのですが、気が付けないことも多くて……」



 ちなみに、結月は今朝から熱が出て、学校を休んだらしい。



「去年の末あたりから、どうも体調を崩しがちで」

「漢方を飲んでいるって言ってましね」

「ええ、体調が戻ってくれればいいのですが」



 朝の住宅街に足音を響かせながら、莉子たちは家の前に到着した。

 直樹が「失礼します」と軽く礼をすると、隣の家へと消えていく。


「お大事になさってください」と言いながら、莉子はその背中を見送った。

 まるで何か重い物を背負っているようにも見え、思わずため息が漏れる。



(直樹さん……苦労してそうだな。結月ちゃん、早く治るといいけど)



 そんなこと思いながら玄関の扉に手を掛けた――そのとき。



「……っ!」



 突然、うなじのあたりがすっと冷えた。

 つられるように顔を上げると、隣の家の2階の窓が目に入った。

 凝視するものの、カーテンは固く閉じられており、人影らしきものは見えない。


 薄気味悪さを感じ、莉子は逃げるように家の中に入った。



(この視線って、結月ちゃん……なのかな)



 昨日の会話で、夜中に庭に立っている理由は分かった。

 でも、この視線は一体何なのだろうか。



(……あんまり良い感じしないんだよね)



 胃のあたりが重たく沈み込むような嫌な感覚を覚える。



 *



 その後、莉子は月末の引っ越しに向けて準備を始めた。


 引っ越しを期に、部屋を埋め尽くしていた不用品を整理する。

 箪笥の奥から中学校の頃のジャージを見つけて、莉子は苦笑いした。

 キーホルダーがジャラジャラついたスポーツバッグなどと一緒にゴミ袋に入れる。



 ――そして、片づけを始めてから、数日後。


 莉子は、部屋の不用品のほとんどをゴミ袋に詰め終わった。

 何度も往復して1階に下ろすと、汗をぬぐいながら、お茶でも飲もうと台所に向かう。


 そして、リビングから、ふと外を見て、彼女は大きく目を見開いた。



(結月ちゃん!)



 窓の外には、隣の家のウッドデッキにピンクのコートを着た結月がいた。

 満面の笑みを浮かべており、隣に置いたむぎに顔を寄せて何か耳打ちしている。


 莉子はとっさに2階に上がると、毛布を2枚持ってきた。

 それらを洗濯かごに放り込むと、庭に通じる窓を開ける。


 空はどんよりと曇り、肌に吸い付くような湿気が立ち込めている。


 毛布を干すにはちょっと天気が良くないなと思いつつも、

 莉子はサンダルを履いて外に出ると、やや緊張しながら声を掛けた。



「こんにちは、結月ちゃん」



 結月は顔を上げると、嬉しそうに両の口角を大きく引き上げた。



「あ! 莉子ちゃん!」



 まずは普通に挨拶できたことにホッとしながら、莉子は柵にほど近い物干し台に近づいた。



「結月ちゃん、体調大丈夫?」

「うん、治った。漢方、ちゃんと飲んでるよ」

「そっか」



 莉子は毛布を洗濯籠から取り出した。

 物干し台に干そうと手を動かして――ふと、結月のそばに、むぎともう1つ、見慣れないぬいぐるみがあることに気が付いた。

 女の子のぬいぐるみで、茶色い毛糸の髪に赤い服を着て、俯き加減で窓辺に寄りかかっている。



 莉子は首をかしげた。

 むぎ以外のぬいぐるみを見るのは初めてだ。


 結月に尋ねると、誕生日に直樹にもらったという答えが返ってきた。



「わたし、欲しいって言ったんだ」



 結月が嬉しさを隠し切れないようといった表情で笑う。


 むぎ以外の人形に興味があることを意外に思いつつも、莉子は毛布を干した。

 ピンチで止めると、改まったように結月を見る。



「結月ちゃん、ずっとごめんね。遊ぼうって言ってたのに、遊べなくて」



 結月はきょとんとした顔をすると、にっこりと笑った。



「大丈夫だよ、忙しいって知ってたし」

「そうなの?」



 結月がうなずいた。



「いつも学校とコンビニにいたの、わたし、知ってたよ。それにむぎも莉子ちゃん忙しそうだって」

「……むぎも言ってたの?」

「うん、夜遅く帰ってきて大変そうだよって。だから、わがまま言わずに、いい子にしてないとだめだよって」



 莉子は結月の横の置いてある、むぎに目を移した。

 黒々した瞳と目が合い、背中がゾクリとする。


 彼女はさりげなく視線を外すと、慎重に口を開いた。



「結月ちゃん、これからあんまり、むぎの言うことを聞かない方がいいんじゃないかな」

「どうして……?」



 首をかしげる結月に、莉子が穏やかに言った。



「むぎ、夜外に出ろ、とか危ないこと言うでしょ」

「……うん」

「それに、結月ちゃんが良い子じゃなくても、誰も結月ちゃんのこと嫌いにならないし」

「そうなのかな……?」



 結月が、分かったような分からないような顔を見て、莉子は口をつぐんだ。

 あまり言い過ぎても混乱させてしまいそうだったからだ。


 結月はしばらく考えた後、こくりとうなずいた。

 満面の笑みを浮かべる。



「じゃあ、今度から莉子ちゃんの言うことを聞くね!」



 莉子は苦笑いした。



「私は、結月ちゃんが自分のやりたいことをしてくれた方が嬉しいな」

「そうなの?」

「うん、やりたいことをするのが一番だと思うよ」



 ――と、そのとき。

 莉子の家の前に宅急便のトラックが停まったのが見えた。

 荷台を開く音がして、ピンポーン、とチャイムの音が響く。



(梱包材かな)



 莉子は急いで洗濯かごを取り上げた。



「私、ちょっと行ってくるね」

「うん、バイバイ」



 結月が、嬉しくてたまらないという風に笑いながら手を振る。


 莉子は、急いで家の中に入った。

 玄関を開けて、荷物を受け取る。


 そしてリビングに戻って窓を開けると、すでに結月はいなかった。

 庭は何事もなかったように静かで、庭木が湿った風に揺れている。


 莉子はため息をついた。



(とりあえず、謝れたのは良かったのかな……)



 莉子は窓を閉めた。

 閉める間際、また誰かの視線を感じて庭を見回すが、やはり何もいない。



「これ、何なんだろう……」



 莉子はため息をつくと、引っ越しの準備を続けるために2階の自室へと戻っていった。






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