プレゼント
結月の誕生日の翌朝8時過ぎ。
莉子は上着を着ると、ゴミ袋を片手に外に出た。
空は淀んだ灰色の雲に覆われており、冷たい風が吹いている。
(今日は寒いな……)
息を白く染めながら、莉子は軋む門を押し開けた。
速足でゴミ捨て場に向かいながら、小さくため息をつく。
(結月ちゃんに謝らないとな……)
約束をすっぽかしていた件は、本当に良くなかった。
連絡をしなかったのも悪かった。
まずは、ちゃんと謝って、それから話をしたいと思う。
莉子はゴミ捨て場に到着すると、鉄製の扉を押し開けた。
空いた空間にゴミを押し込み、扉を閉めようとした――そのとき。
「おはようございます」
背後から、男性の声がした。
振り向くと、そこには白いマスクで顔を覆った直樹が立っていた。
手には、几帳面に結ばれたゴミ袋を持っている。
(あれ、直樹さん?)
莉子はわずかに首をかしげた。
こんな時間に、ゴミ捨て場で会うのは初めてだ。
「おはようございます。今日はお休みですか?」
「いえ、リモートです」
直樹もゴミを捨てると、2人は住宅街の道を並んで歩き始めた。
直樹が申し訳なさそうに口を開いた。
「昨日は、せっかくいらしていただいたのに、すみませんでした」
どうやら直樹も、昨日の結月の反応にはかなり驚いたらしい。
「莉子ちゃんのことを好きそうだとは思っていたんだけど、まさかあそこまでとは思っていなくて」
話にはよく聞いていたが、“隣の優しいお姉さんに懐いている”くらいの印象だったという。
莉子は視線を下に向けながら口を開いた。
「昨日、帰り際に結月ちゃんと話をしたんですけど、どうやら、ずっと私と遊びたかったけど言い出せなかったみたいで……」
「ああ……」
直樹がどこか苦しげにため息をついた。
「……結月はどうも我慢をし過ぎてしまうんです。話を聞くようにはしているのですが、気が付けないことも多くて……」
ちなみに、結月は今朝から熱が出て、学校を休んだらしい。
「去年の末あたりから、どうも体調を崩しがちで」
「漢方を飲んでいるって言ってましね」
「ええ、体調が戻ってくれればいいのですが」
朝の住宅街に足音を響かせながら、莉子たちは家の前に到着した。
直樹が「失礼します」と軽く礼をすると、隣の家へと消えていく。
「お大事になさってください」と言いながら、莉子はその背中を見送った。
まるで何か重い物を背負っているようにも見え、思わずため息が漏れる。
(直樹さん……苦労してそうだな。結月ちゃん、早く治るといいけど)
そんなこと思いながら玄関の扉に手を掛けた――そのとき。
「……っ!」
突然、うなじのあたりがすっと冷えた。
つられるように顔を上げると、隣の家の2階の窓が目に入った。
凝視するものの、カーテンは固く閉じられており、人影らしきものは見えない。
薄気味悪さを感じ、莉子は逃げるように家の中に入った。
(この視線って、結月ちゃん……なのかな)
昨日の会話で、夜中に庭に立っている理由は分かった。
でも、この視線は一体何なのだろうか。
(……あんまり良い感じしないんだよね)
胃のあたりが重たく沈み込むような嫌な感覚を覚える。
*
その後、莉子は月末の引っ越しに向けて準備を始めた。
引っ越しを期に、部屋を埋め尽くしていた不用品を整理する。
箪笥の奥から中学校の頃のジャージを見つけて、莉子は苦笑いした。
キーホルダーがジャラジャラついたスポーツバッグなどと一緒にゴミ袋に入れる。
――そして、片づけを始めてから、数日後。
莉子は、部屋の不用品のほとんどをゴミ袋に詰め終わった。
何度も往復して1階に下ろすと、汗をぬぐいながら、お茶でも飲もうと台所に向かう。
そして、リビングから、ふと外を見て、彼女は大きく目を見開いた。
(結月ちゃん!)
窓の外には、隣の家のウッドデッキにピンクのコートを着た結月がいた。
満面の笑みを浮かべており、隣に置いたむぎに顔を寄せて何か耳打ちしている。
莉子はとっさに2階に上がると、毛布を2枚持ってきた。
それらを洗濯かごに放り込むと、庭に通じる窓を開ける。
空はどんよりと曇り、肌に吸い付くような湿気が立ち込めている。
毛布を干すにはちょっと天気が良くないなと思いつつも、
莉子はサンダルを履いて外に出ると、やや緊張しながら声を掛けた。
「こんにちは、結月ちゃん」
結月は顔を上げると、嬉しそうに両の口角を大きく引き上げた。
「あ! 莉子ちゃん!」
まずは普通に挨拶できたことにホッとしながら、莉子は柵にほど近い物干し台に近づいた。
「結月ちゃん、体調大丈夫?」
「うん、治った。漢方、ちゃんと飲んでるよ」
「そっか」
莉子は毛布を洗濯籠から取り出した。
物干し台に干そうと手を動かして――ふと、結月のそばに、むぎともう1つ、見慣れないぬいぐるみがあることに気が付いた。
女の子のぬいぐるみで、茶色い毛糸の髪に赤い服を着て、俯き加減で窓辺に寄りかかっている。
莉子は首をかしげた。
むぎ以外のぬいぐるみを見るのは初めてだ。
結月に尋ねると、誕生日に直樹にもらったという答えが返ってきた。
「わたし、欲しいって言ったんだ」
結月が嬉しさを隠し切れないようといった表情で笑う。
むぎ以外の人形に興味があることを意外に思いつつも、莉子は毛布を干した。
ピンチで止めると、改まったように結月を見る。
「結月ちゃん、ずっとごめんね。遊ぼうって言ってたのに、遊べなくて」
結月はきょとんとした顔をすると、にっこりと笑った。
「大丈夫だよ、忙しいって知ってたし」
「そうなの?」
結月がうなずいた。
「いつも学校とコンビニにいたの、わたし、知ってたよ。それにむぎも莉子ちゃん忙しそうだって」
「……むぎも言ってたの?」
「うん、夜遅く帰ってきて大変そうだよって。だから、わがまま言わずに、いい子にしてないとだめだよって」
莉子は結月の横の置いてある、むぎに目を移した。
黒々した瞳と目が合い、背中がゾクリとする。
彼女はさりげなく視線を外すと、慎重に口を開いた。
「結月ちゃん、これからあんまり、むぎの言うことを聞かない方がいいんじゃないかな」
「どうして……?」
首をかしげる結月に、莉子が穏やかに言った。
「むぎ、夜外に出ろ、とか危ないこと言うでしょ」
「……うん」
「それに、結月ちゃんが良い子じゃなくても、誰も結月ちゃんのこと嫌いにならないし」
「そうなのかな……?」
結月が、分かったような分からないような顔を見て、莉子は口をつぐんだ。
あまり言い過ぎても混乱させてしまいそうだったからだ。
結月はしばらく考えた後、こくりとうなずいた。
満面の笑みを浮かべる。
「じゃあ、今度から莉子ちゃんの言うことを聞くね!」
莉子は苦笑いした。
「私は、結月ちゃんが自分のやりたいことをしてくれた方が嬉しいな」
「そうなの?」
「うん、やりたいことをするのが一番だと思うよ」
――と、そのとき。
莉子の家の前に宅急便のトラックが停まったのが見えた。
荷台を開く音がして、ピンポーン、とチャイムの音が響く。
(梱包材かな)
莉子は急いで洗濯かごを取り上げた。
「私、ちょっと行ってくるね」
「うん、バイバイ」
結月が、嬉しくてたまらないという風に笑いながら手を振る。
莉子は、急いで家の中に入った。
玄関を開けて、荷物を受け取る。
そしてリビングに戻って窓を開けると、すでに結月はいなかった。
庭は何事もなかったように静かで、庭木が湿った風に揺れている。
莉子はため息をついた。
(とりあえず、謝れたのは良かったのかな……)
莉子は窓を閉めた。
閉める間際、また誰かの視線を感じて庭を見回すが、やはり何もいない。
「これ、何なんだろう……」
莉子はため息をつくと、引っ越しの準備を続けるために2階の自室へと戻っていった。




