午前2時
母親に結月のことを相談した、その翌週。
昨晩とはうってかわって良く晴れた冬の朝。
莉子が朝起きると、珍しく母親がいた。
どうやら今日は少し遅く出勤することになっているらしい。
3カ月振りくらいに朝食を一緒に食べながら、母親が口を開いた。
「そうそう、先週、直樹くんに電話しといたわ」
電話口で、結月の様子が少し気になるという話をしたらしい。
母親がパンを齧りながら言った。
「直樹くんも気になっているところがあったみたいで、“ありがとうございます。気を付けます”って言ってたわ」
母親によると、特に直樹は夜に家の外に出ていたことに驚いていたようで、ここについては、しっかり言い聞かせます、と言っていたらしい。
パンにバターを塗りながら、莉子は気になっていたことを尋ねた。
「シッターさんって、気が付いてないのかな?」
「直樹くんの話だと、シッターさんの前では普通みたいよ」
莉子は思案に暮れた。
そういえば、結月の不思議な行動を見たのは、シッターさんがいなかった時かもしれない。
母親が、思い出したように口を開いた。
「そういえば、あんたって今月の24日か25日って夜時間ある?」
「ああ……ごめん、バイトだ」
莉子はため息をついた。
クリスマスの時期はコンビニには頼んだ料理を引き取りに来る人がたくさんいるので、とても忙しいのだ。
母親が「そうよねえ」とうなずいた。
「実は、直樹くんから“クリスマス、うちに来ませんか”って誘われたんだけど、やっぱり無理よね」
「うん、そうだね。さすがに休めない」
「わかったわ、伝えておく」
母親は時計を見上げると、急いで家を出ていく。
手早く片づけをしながら、莉子はホッと胸をなで下ろした。
直樹が気を付いているのならば、とりあえず大丈夫だろうと思う。
その後、莉子は忙しいながらも、結月のことを気にするようになった。
バイトから帰る時は、門の前にいないか確認し、朝ランドセルを背負って投稿する姿を見て、元気そうだと胸を撫で下ろす。
母親によると、シッターさんのいる時間を少し伸ばしてもらったようで、結月が家で1人でいる時間はほぼなくなったようだった。
シッターさんも、前よりも注意して見てくれているようで、特に問題はないらしい。
*
怒涛のクリスマスが終わり、12月29日、大学の冬休み初日の夕方前。
部室の片付けに来ていた莉子は、れい奈と悠斗と、大学最寄り駅近くの全国チェーンのカフェにいた。
店内は広く、大学生らしき若者たちで賑わい、あちこちで楽しそうな話し声がしている。
3人はそれぞれ飲み物を頼んだ。
開いていた窓際の席に、莉子を真ん中に並んで座る。
れい奈がため息をつきながら、頬杖をついた。
「早いね、あっという間に1年経っちゃった」
「本当に早いね」
莉子はしみじみと同意した。
特に学祭からは時間が経つのがものすごく早くて、気が付いたら年末だった。
莉子が尋ねた。
「れい奈、冬休みも廃墟に泊まりに行くの?」
「うん、それなんだけどね……」
れい奈がため息をついた。
「今年、妹が大学受験でさ……」
どうやら縁起の悪いことは止めろと厳しく言われているらしく、自重を余儀なくされているらしい。
「受験なんて実力だから、関係ないと思うんだけどさ」
ぶつぶつ言うれい奈を見て、莉子は思わず噴き出した。
確かに、姉が幽霊を見に廃墟に行くとか、ものすごく縁起が悪そうだ。
ちなみに、悠斗の方は宮崎の実家に帰って親戚周りをする予定らしい。
珈琲を飲みながら、悠斗がぼやいた。
「親戚回り、結構疲れるんだよね。こっち帰ってきたらすぐに試験だし、それが終わったら引っ越しもしないといけないし」
莉子の大学は3年生以降に東京校舎に変わるため、
悠斗のような地方から来た学生は引っ越しすることが多い。
れい奈がアイスミルクティーをストローで音を立てて飲んだ。
「東京校舎って、部室あるのかな?」
「一応あるらしいけど、すごい狭いらしいよ」
「そうなんだ」
そんな会話をしていると、窓の外に雪がチラチラ降ってきた。
その量が段々多くなっていく。
莉子は雪をながめながら、つぶやいた。
「そろそろ行こうか。電車止まったら困るし」
「そうだね」
3人は店を出ると、「良いお年を」と手を振りながら別れた。
莉子は電車に乗ると、自宅の最寄り駅まで帰った。
改札を出ると、外はすでに暗かった。
街灯の下に雪がちらついている。
(寒……)
莉子は身を縮めながら家へと帰った。
お風呂に入って温まると、のんびりと漫画を読んで、そのまま眠りにつく。
――どのくらい眠ったか。
莉子は、ふと目を覚ました。
ぼんやりと暗い天井をながめながら、こんな時間に目が覚めるなんて珍しいな、と思う。
窓の方を見ると、カーテンの隙間から青白い月明りが静かに差し込んでいる。
(雪……止んだのかな)
莉子はあくびをした。
再び寝ようと目をつぶる。
そして、うとうとしかけた――その時。
……ボソボソボソ
窓の外から誰かが何かを囁いているような声が聞こえてきた。
続けて、くすくすと笑い声が聞こえてくる。
莉子は眉をひそめた。
(こんな夜中に誰だろう)
莉子はベッドから体を起こした。
部屋の冷えきった空気に身を縮めながら床に足を下ろすと、カーテンをそっと指で開けて門のあたりを覗き込む。
(……誰もいない)
耳を澄ましてみるが、シンと静まり返っている。
(寝ぼけてたのかな……)
莉子は小さく息をつくと、もう一度ベッドに戻ろうと門から視線を外した。
そして、なんとなく自宅の庭の方へと目を向けて――
「……っ!」
莉子は思わず目を見開いた。
(結月ちゃん!?)
家の境界線になっている柵の前に、パジャマ姿の結月がぽつんと立っていた。
胸にむぎを抱きしめ、虚ろな目を莉子の家の方をジッと見ている。
莉子が固まっていると、雲がゆっくりと流れ、月光の角度が変わった。
むぎの漆黒の瞳がまるでこちらを見ているように光る。
「……っ!」
莉子の心臓が大きく跳ねた。
とっさに後ずさりしそうになり、ハッと我に返る。
(い、行かなきゃ!)
莉子はベッドの上の毛布を引っ掴むと、部屋を飛び出した。
急いで階段を降りる。
(と、とりあえず、家に入れないと!)
何が起きているかよく分からないが、あんな薄着で外にいたら確実に風邪をひく。
あまりに急いでいたため、途中で階段を踏み外し、階段の下でしばらく悶絶するも、庭に出るためにリビングに走り込む。
そして、カーテンを開けて外に出ようとして――
「……は?」
莉子は目を見開いた。
隣の庭には、誰もいない。
「え……なんで?」
莉子は冷たい窓を慎重に開けると、身を乗り出すように首を突き出した。
肌を刺すような夜気に包まれた庭が、青白い月明りに照らし出されている。
結月の姿はどこにもなかった。
莉子は呆然としながら、カチリと窓を閉めた。
カーテンを閉めて鍵を掛けると、そのままソファにドサリと腰を下ろす。
(どういうこと……?)
さっき、確かに結月を見た。
でも、下に降りてきたら気配すらなかった。
ここまで降りてくるのに、ほとんど時間がかかっていないはずだ。
(訳が分からない……)
莉子は混乱しながら、時計を見上げた。
午前2時半。
どう考えても普通の子どもが起きている時間ではない。
(結月ちゃん、ヤバいんじゃ……)
たまに見かける様子は普通だったし、
直樹とシッターさんが注意していると聞いて、大丈夫だろうと思っていた。
でも、本当に大丈夫なのだろうか。
状況が悪化しているような気すらする。
(それに、あのぬいぐるみ)
塗れたような漆黒の瞳を思い出し、莉子は思わず身震いした。
ただのぬいぐるみのはずなのに、底知れぬ嫌悪感と君の悪さがこみあげてくる。
(あのぬいぐるみ、放っておいていいのかな……)
考え始めると止まらず、莉子はなかなか寝付けなかった。




