不穏
GPS事件が何となく決着が着いた後、莉子は元の忙しい日々に戻った。
大学の授業に出て、同好会の部室に時々顔を出し、バイトに勤しむ。
ちなみに、気になっていた結月の方は、特に変わった様子は見られなかった。
といっても、莉子がほとんど家にいないせいで、ほとんど会う機会がないのだが、
窓から見かける限りは、以前と変わりなく過ごしているように見えた。
(普通……だよね)
胸に引っ掛かるものはあるものの、元通りの忙しい日々を送り始める。
しかし、良くないことは続くもので――
「……あれ、まただ」
12月に入ってすぐの夕方。
コンビニ裏の段ボールが積んである休憩室で、莉子は顔を顰めた。
休憩時間になってスマホをチェックしたところ、着信が入っていたのだ。
―――――――
15:32 非通知
16:15 不明
―――――――
3,4日ほど前から始まった事象で、1日3,4回、毎日こうした着信がある。
莉子のスマホは、非通知拒否しているため音は鳴らないが、
表示だけは残るためとても気になる。
(なんだろう……?)
ちなみに、AIに相談してみたところ、下記のような答えが返ってきた。
――――――――――――
「非通知」着信
→ 相手がわざと番号を隠している着信
(例:184を付けてかける、非通知設定でかける)
「不明」着信
→ 番号の情報がそもそも届かない着信
(例:海外からの通話、ネット回線経由の通話など、技術的な理由)
つまり、非通知は「隠している」、不明は「分からない」という違いがあります。
――――――――――――
かかってくる時間帯は午後3時から7時くらいまでのことが多く、
AIによると、「どこかのコールセンターの可能性があります」ということだった。
(海外の詐欺とかかな……)
莉子は眉間にしわを寄せた。
どこかに番号が漏れたのかもしれない、とため息をつく。
(番号、変えようかな……)
そんなことを考えながら、休憩を終えて仕事に戻る。
――そして、その日の夜9時ごろ。
バイトを終えた莉子が、暗い住宅街をとぼとぼと歩いていた。
月のない暗い夜で、見上げた空には灰色の雲が低く垂れ込めている。
肌を刺すような冷気が立ち込め、ときおり吹き抜ける北風に、思わず肩をすくめる。
(……なんか雪でも降りそう)
早く帰ってお風呂で温まろうと思いながら、莉子が速足で歩いていると、
ウォォォーン……
夜気を切り裂くような、犬の遠吠えが聞こえてきた。
莉子は立ち止まって周囲を見回した。
(犬……?)
一体どこの犬だろうと思いながら歩き出すと、鳴き声はぴたりと止んだ。
静まり返った道の向こうに、街灯の光にぼんやりと照らされた自宅が見えてくる。
歩きながら、莉子はふと、隣の家に目を向けた。
家中は暗く、人のいる気配がない。
(出かけてるのかな?)
そして、莉子が自宅の門に差し掛かった、そのとき。
「……莉子ちゃん!」
闇の中から幼い声がした。
莉子がビクッと肩を震わせながら見ると、街灯の届かない隣家の門の前に、結月がちょこんと座り込んでいた。
コートを着てむぎをしっかりと抱きしめている。
「結月ちゃん!」
莉子は驚きながら駆け寄った。
「どうしたの? こんなところで!」
「待ってたの!」
結月がニコニコしながら嬉しそうに言う。
莉子は思い出した。
そういえば、直樹は月末月初に遅くなる日があると言っていた。
(……寂しかったのかな)
切ない気持ちになるものの、さすがに外で待つのはダメだと思いながら、
莉子は結月の前にしゃがみ込んだ。
「結月ちゃん、夜遅くこんなところにいたら危ないよ。寒いし中に入ろう」
結月が困った顔をした。
「でも、むぎが外に出たいって……」
莉子は苦笑した。
たぶん、結月が外に出たかったのだろうと思う。
そして、家に入るように促そうと、結月の顔を改めて見て――
(……ん?)
軽く眉をひそめた。
薄暗くてよく見えないが、何となく結月の雰囲気がいつもと違う気がする。
そして、その顔をまじまじと見て、莉子は大きく目を見開いた。
「結月ちゃん、その前髪どうしたの?」
いつもは眉の下できれいにそろえられている前髪が、
今日は眉毛が完全に見えるほど短く、しかもガタガタで斜めになっている。
結月はニコニコと笑った。
「これね、むぎが切った方がいいって言うから、切ったの」
「……え? むぎが?」
「うん。切った方が可愛いいよって」
結月が大きく両の口角を上げる。
莉子は、思わず結月の腕の中にいる、むぎを見た。
漆黒の瞳が街灯の光に光るのを見て、背筋を這うような悪寒が走る。
莉子はむぎから視線を外すと、気持ちを落ち着けながら、結月に優しく言った。
「結月ちゃん、外は寒いし危ないから、中に入った方がいいよ」
結月がうつむいた。
「……私、もうちょっとここにいたい」
「でも、お父さんが帰ってきたら、びっくりしちゃうよ?」
結月はしばらく考えるように俯いたあと、莉子を見上げた。
「莉子ちゃん、いい子だよ」
「え?」
「わたし、いい子だよ」
突然の言葉に、莉子は目をぱちくりさせた。
こんな時間に外にいるのが果たしていい子なのだろうかと悩みつつも、とりあえずうなずく。
「うん、結月ちゃんはいい子だよ。……でも、外は危ないし風邪ひいちゃうから、中に入ろう?」
「……うん……分かった……」
結月はこくりと肯くと、むぎを抱きしめたまま立ち上がった。
莉子を名残り惜しそうに見つめると、むぎの手を持って、バイバイするように降ると、少し足をひきずるように家の中へと消えていく。
カチャリ、と錠が下りる音を聞いて、莉子は思わずため息をついた。
宅の鍵を開けて中に入り、足早に階段を上がる。
そして、ベッドに倒れ込むように寝転がると、ぼんやりと暗い天井を見上げた。
「あれ、明らかに普通じゃないよね……」
先日、1人で大声で話していたことについては、ギリギリ納得できなくはない。
でも、むぎ言ったからと、夜に外で座っていたり、前髪を切ったりは、さすがにその範囲を超えている。
会話も噛み合っていなかった気がする。
(直樹さん、このこと知ってるのかな……?)
もし知らないとしたら、この状態を放っておいてはまずい気がする。
(言った方が、いいよね……)
莉子が天井を見ながら、何て言おうかと頭を悩ませていた、そのとき。
ガチャガチャガチャ
玄関のカギを開ける音がした。




