第4話 お茶会で出された海賊の酒
第4話 お茶会で出された海賊の酒
グラント伯爵家では、毎年春の終わりに大きなお茶会を開いていた。王都の有力貴族や商会主を招き、領地で作られた毛織物や葡萄酒を紹介する大切な催しである。これまではエステルが一か月前から招待状を送り、客の好みを調べ、席順や菓子の種類まで決めていた。ところが今年のお茶会を三日後に控えても、彼女は白い寝間着に薄青色の部屋着を重ね、寝台の上で刺繍をしていた。
「奥様、ずいぶんお元気そうな病人でございますね」
マーサが窓辺へ洗濯籠を置き、乾いた枕カバーを一枚ずつ畳んだ。昨夜の雨が上がったばかりで、開いた窓から濡れた芝と薔薇の匂いが入ってくる。エステルは刺繍枠を毛布の下へ隠そうとしたが、針につながった赤い糸だけが外へ残った。
「指先だけは元気なのです。立ち上がろうとすると、急に胸が苦しくなりますの」
「便利なお加減でございますね」
「病というものは、人によって違うのでしょう。リリアを見て学びましたわ」
エステルは枕元の皿から蜂蜜を塗った丸パンを取り、端から小さくかじった。厨房には新しい小麦と卵が届き、三日ぶりに焼きたてのパンが食卓へ戻っていた。しかし、レイモンドが署名した発注書には香辛料が一桁多く記されていたため、食料庫には一年かかっても使い切れない量の胡椒が積まれている。マーサからその話を聞いたエステルは、革張りの手帳へ『夫、胡椒で伯爵家を燻製にする予定』と書き加えた。
同じ頃、レイモンドの執務室では、机の上から手紙があふれていた。招待客から届いた返事、料理長からの献立案、庭師からの花の注文書、商会からの請求書が混ざり合い、その上に昨夜脱いだ靴下が片方だけ載っている。レイモンドは紺色の上着を着ていたが、襟の後ろが内側へ折れ込んでいることには気づいていなかった。彼は手紙を一通ずつ開く代わりに、執事のハロルドへまとめて渡した。
「出席者の人数だけ数えておけ。あとの細かいことは、いつもどおりにすればいい」
「その『いつもどおり』を決めておられたのが奥様でございます」
ハロルドは白髪交じりの眉を下げ、封蝋の色が違う手紙を三通並べた。一通は出席の返事、一通は欠席の詫び状、もう一通は食物の禁忌を知らせるものだったが、レイモンドには見分けがつかなかった。窓の外では、庭師たちが長机を運びながら、どちらを正面にするか言い争っている。
「招待状を送った者は、全員来るのではないのか」
「欠席なさる方もおります。代理の方を寄こす家もございます」
「では、来た者から好きな場所へ座らせればいい」
「お席には爵位、家同士の関係、商談の目的などを反映させる必要がございます」
「茶を飲むだけなのに、なぜそこまで面倒なのだ」
レイモンドは椅子へ深く座り、机の引き出しを開けた。中にはエステルが前年まで使っていた座席表が残っていたが、今年の出席者とは顔ぶれが違う。それでも彼は名前を書き換えれば使えるだろうと考え、空いている場所へ客の名を適当に書き込んだ。
そこへリリアが桃色の昼用ドレスを着て入ってきた。袖口には何段ものレースが付き、髪には白い羽根飾りが揺れている。彼女は机の上の靴下を二本の指でつまみ、顔をしかめて床へ落とした。
「まあ、レイモンド様。お部屋がずいぶん散らかっていますわ」
「エステルが片づけないからだ」
「奥様は病弱になられたのでしょう。無理をさせてはいけませんわ」
「分かっている。だから私が一人でお茶会の準備をしているのだ」
「さすがレイモンド様ですわ。わたくし、難しいことは何も分かりませんけれど、当日は一番目立つ席に座らせてくださいませね」
リリアは机の上に置かれた座席表をのぞき込み、自分の名前をレイモンドの隣へ書き加えた。その場所は本来、王妃の従姉にあたるアデライド公爵夫人の席だったが、二人とも気づかなかった。リリアは満足すると、書類の山へ薔薇の香油をこぼし、甘い匂いだけを残して部屋を出ていった。
お茶会の前日、料理長のバートンは厨房で菓子の準備に追われていた。大きな卓には小麦粉、卵、蜂蜜、乾燥果実が並び、竈では焼き上がった菓子から甘い香りが立っている。見習い料理人が木苺の焼き菓子を一つ落とすと、厨房に住みついた灰色の猫がすばやくくわえて棚の下へ逃げ込んだ。バートンは猫を追いながら、茶葉がまだ届いていないと何度も叫んでいた。
「旦那様、明日お出しする茶葉はどちらにございますか」
粉のついた白い上着のまま執務室へ入ったバートンは、レイモンドの机へ両手をついた。レイモンドは前年の記録を調べようとしていたが、途中から領地の狩猟犬について書かれた本を読んでいた。問いかけられると本を閉じ、知っていたような顔でうなずいた。
「倉庫に瓶が並んでいるだろう。あれを使えばいい」
「茶葉が瓶に入っているのでございますか」
「高価な品だから、湿気ないよう瓶に詰めてあるのだ」
「どの瓶でしょう」
「一番立派なものを選べばいい。外国の文字が書かれているから、すぐ分かるはずだ」
バートンは納得できないまま倉庫へ向かった。奥の棚には葡萄酒、料理酒、酢、香油など、大小さまざまな瓶が並んでいる。その中に、錨と髑髏の絵が描かれた黒い瓶が六本あった。
瓶には海沿いの国の文字が書かれ、栓を開けると鼻を刺す強い酒精の匂いがした。見習い料理人は一口なめただけで咳き込み、顔を真っ赤にして水を求めた。バートンはどう考えても茶ではないと訴えたが、レイモンドは外国の高級茶には独特の香りがあるのだと言い張った。
「お湯で薄めれば飲めるだろう。蜂蜜と檸檬も入れておけ」
「これは酒ではございませんか」
「私は伯爵だぞ。料理人よりも外国の品を知っている」
「この瓶には髑髏が描かれております」
「海運商会の印だろう。外国では珍しくない」
バートンは黒い瓶を見つめ、見習い料理人は水を飲みながら首を横へ振った。しかし主人の命令に逆らうこともできず、念のため茶ではなく酒として扱い、客には少量だけ出すことにした。
翌日、お茶会の庭には白い天幕が張られ、花模様の絨毯が敷かれた。長机には銀の食器と色鮮やかな焼き菓子が並び、庭師が切った薔薇が花瓶から甘く香っている。空はよく晴れていたが、午後の日差しは強く、給仕たちは白いシャツの襟へ汗をにじませながら飲み物を運んでいた。レイモンドは金糸の刺繍が入った青い上着を着て入口に立ち、次々に到着する客へ同じ挨拶を繰り返した。
「ようこそ、我が家の茶会へ。本日は外国から取り寄せた特別な茶をご用意しております」
最初に到着したアデライド公爵夫人は、紫色のドレスに大粒の真珠を合わせ、銀色の扇を手にしていた。彼女は夫を亡くしてから王妃の相談役を務めており、社交界で最も発言力のある女性の一人だった。レイモンドは座席表を確認せず、従僕に案内を任せた。
続いて現れたのは、赤いドレスを着たベアトリス公爵夫人だった。彼女はアデライドと二十年前から犬猿の仲であり、同じ夜会へ招く場合には、必ず会場の端と端へ席を分ける必要がある。ところが今年の座席表では、二人の名が隣同士に書かれていた。
「まあ、あなたのお隣なの?」
アデライドは扇を開き、ベアトリスの赤いドレスを上から下まで眺めた。ベアトリスは椅子の背に触れたまま座ろうとせず、相手の紫色のドレスへ視線を返す。間に立った従僕は顔を青くし、座席表を何度も見直した。
「二十年前から、赤と紫は隣に置かないのが王都の礼儀だと思っておりましたわ」
「ご安心なさい。あなたの赤は、ずいぶん色あせて見えますもの」
「紫は年を取ると似合うようになるそうですわね」
「あなたも、あと二十年ほどすれば分かるでしょう」
二人は笑顔のまま言葉を交わしたが、周囲の空気は春とは思えないほど冷たくなった。近くに座った男爵夫人が椅子を少しずつ後ろへ動かし、巻き込まれないよう距離を取る。レイモンドは何が問題なのか理解できず、仲のよい二人を隣にしたのだと思い込んでいた。
さらに、伯爵家へ多額の融資をしている商会主セバスチャンが到着した。彼は濃い茶色の礼服を着て、よく磨かれた革靴を履いている。昨年まではレイモンドの近くへ席が用意され、エステルが自ら出迎えていたが、今年は給仕用の出入口に近い末席へ案内された。
「私の席はこちらで間違いございませんか」
セバスチャンは空いた椅子を引き、従僕へ静かに尋ねた。椅子の隣には使用済みの食器を置く台があり、給仕が通るたびに皿の触れ合う音がする。従僕は座席表に従っただけだと説明し、何度も頭を下げた。
「ええ、結構です。グラント伯爵が我が商会をどのように評価しているか、よく分かりました」
セバスチャンは笑顔で席へ着いたが、手にしていた帽子の縁が指の力で歪んでいた。彼は出された菓子に手をつけず、懐から小さな帳面を出して何かを書き込む。数日前に届いた融資の更新書類へ、まだ署名していないことを思い出していた。
客がそろうと、黒い瓶の飲み物が銀のポットへ移されて運ばれた。蜂蜜と檸檬が加えられていたため色だけは薄い琥珀色になり、見た目は濃い茶に見えなくもない。しかし給仕が杯へ注ぐたび、鼻を刺すような酒精の匂いが庭へ広がった。薔薇の香りはすぐに消え、港の酒場のような匂いが天幕の下へこもった。
「ずいぶん強い香りのお茶ですこと」
アデライドが銀の杯を鼻先へ近づけた。隣のベアトリスは、先に飲んで相手へ弱みを見せまいと一口含む。次の瞬間、彼女は扇で口元を覆い、激しく咳き込んだ。
「これはお茶ではありませんわ!」
「外国では、このような茶を飲むのです」
レイモンドは自信を失いながらも答えた。自分も杯へ口をつけると、舌から喉まで焼けるような刺激が走る。目に涙が浮かんだが、客の前で吐き出すこともできず、無理に飲み込んだ。
「茶葉はどちらに入っておりますの?」
アデライドは杯を卓上へ戻し、銀の匙で中身をかき回した。茶葉は一枚も見つからず、檸檬の種だけが底で回っている。ベアトリスは二口目を飲み、今度は味を確かめるように舌を鳴らした。
「これは南海の船乗りが飲む火酒ですわ。亡き夫が港から持ち帰ったことがございます」
「まあ、よくご存じですこと。公爵夫人になる前は、酒場で働いていらしたの?」
「あなたこそ、一口も飲めないのですか。外見だけでなく胃まで老いたのですね」
二人の言い争いは、酒が回るにつれてさらに激しくなった。周囲の客も、茶だと思って飲んだ強い酒に頬を赤くし、声を大きくしている。男爵は隣家との境界争いを語り始め、子爵夫人は若い頃の恋人について夫の前で話し、別の商会主は卓上の焼き菓子を外套の内側へ詰め込んでいた。
リリアはレイモンドの隣で、酒の入った杯を両手に持っていた。彼女は薄桃色のドレスと白い羽根飾りで客の注目を集めるつもりだったが、アデライドの席を奪った居候の娘として、冷たい視線を向けられている。酒に弱いため一口で目元を赤くし、レイモンドの肩へ頭を預けた。
「レイモンド様、わたくし、体が熱くなってきましたわ」
「病弱なのだから、飲むのをやめなさい」
「でも、皆様に失礼ですもの。もう一杯いただきます」
「失礼になるのは、こちらではないかしら」
アデライドの声が聞こえ、リリアは慌てて杯を置いた。その拍子に酒が白いクロスへこぼれ、強い匂いがさらに広がる。開始からまだ十分しかたっていないのに、庭はお茶会ではなく、昼間から開かれた酒宴のようになっていた。
レイモンドはようやく自分では収拾できないと悟り、ハロルドを呼び寄せた。席順を直し、客の機嫌を取り、酒ではない飲み物を出すよう命じたが、井戸水以外の飲み物はすぐに用意できない。茶葉の保管場所を知っているのも、客同士の関係を把握しているのもエステルだけだった。
「エステルを呼んでこい。今すぐだ」
「奥様は寝込んでおられます」
「今日は歩けるかもしれないだろう」
「階段を見るだけで動悸がすると、今朝おっしゃっておりました」
「では私が行く。客には、少し待つよう伝えろ」
レイモンドは酒で足元をふらつかせながら、庭から屋敷へ走った。途中で薔薇の鉢へつまずき、泥が青い上着の裾へ跳ねる。玄関の鏡には髪を乱し、顔を赤くした伯爵が映っていたが、身なりを直す暇もなかった。
彼が二階へ続く階段を上がろうとしたとき、上から窓の開く音がした。エステルが廊下の窓から顔を出し、白いハンカチをゆっくり振っている。薄青色の部屋着に白い肩掛けを重ね、頬には病人らしく見せるため少量の白粉を塗っていた。
「エステル、そこにいるなら下りてこい!」
レイモンドは階段の下から叫んだ。庭からはアデライドとベアトリスの言い争う声が聞こえ、誰かが杯を割る音も響いている。エステルは窓枠へ肘をつきかけ、病弱な姿を思い出してすぐに手を胸へ移した。
「まあ、何がございましたの?」
「お茶会が大変なことになっている。席順を直して、客をなだめてくれ」
「わたくし、病人ですのよ」
「窓までは歩いてこられたではないか」
「窓までは平らですもの。階段とは違いますわ」
「手すりにつかまれば下りられるだろう」
「皆様によろしくお伝えくださいませ。わたくし、階段を見るだけで動悸がいたしますの」
エステルは胸を押さえ、白いハンカチをもう一度振った。レイモンドは階段を上がろうとしたが、酒のせいで足を踏み外し、三段目から尻をついて滑り落ちた。玄関にいた従僕が助け起こそうとしたものの、笑いをこらえるため顔をそむけている。
「せめて茶葉の場所を教えろ!」
「東の保管室にございます」
「東の保管室のどこだ!」
「棚の中ですわ」
「棚が十二もある!」
「まあ、十二分の一なら、すぐに見つかりますわね」
レイモンドは何か言い返そうとしたが、庭からリリアの悲鳴が聞こえた。酔った子爵夫人が、リリアを伯爵家の新しい夫人だと勘違いし、結婚祝いの歌を歌い始めたのである。レイモンドは頭を抱え、再び庭へ走っていった。
窓を閉めると、背後にいたマーサが温かい香草茶を差し出した。今度の杯には本物の茶葉で入れた茶が注がれ、林檎と肉桂の甘い香りがする。小卓にはバターを塗ったパンと、厨房から避難させておいた木苺の焼き菓子が並んでいた。
「階段をご覧になっただけで動悸がした奥様へ、甘いものをお持ちしました」
「ええ。菓子を食べれば治る種類の動悸ですの」
エステルは窓辺の椅子へ座り、焼き菓子を半分に割った。中から赤い木苺の汁が出て、指先へ少し付く。彼女は布で拭いながら庭を見下ろし、酔った客たちの間を走り回る夫を眺めた。
「昨年は、あの黒い瓶を料理酒として使いましたわね」
「魚の臭みを消すため、料理長が少量だけお使いになりました」
「夫は、瓶に描かれた髑髏を見なかったのでしょうか」
「高級そうに見えたのでございましょう。旦那様は金色の文字が書かれているものを、すべて高価だと思っておられますから」
マーサは洗濯物の籠から夫の靴下を取り出し、開いた穴へ針を通した。庭ではセバスチャンが帽子をかぶり、誰よりも早く席を立っている。エステルはそれを見て、融資の更新が難しくなるだろうと考えたが、もう夫の代わりに追いかけることはしなかった。
お茶会が終わった頃には、花模様の絨毯へ酒と菓子がこぼれ、白いクロスには赤い果汁の染みが広がっていた。アデライドとベアトリスは最後まで口論を続け、別々の門から帰っていった。セバスチャンはレイモンドへ挨拶もせず、末席に置かれた席札だけを記念に持ち帰った。
「二度と、この家のお茶会には来ませんわ」
アデライドは馬車へ乗る前に言い、銀の扇で酒の匂いを追い払った。ベアトリスは自分ならもっと強い酒を用意できると笑い、残っていた黒い瓶を一本持って帰った。レイモンドは泥のついた上着のまま玄関に立ち、客の馬車が見えなくなるまで頭を下げていた。
翌朝、王都の菓子店、衣装店、理髪店では、昨日のお茶会の話でもちきりになった。茶の代わりに船乗りの火酒が出され、公爵夫人二人が若い頃の恋人について罵り合い、伯爵家へ融資する商会主が給仕口の隣へ座らされたという。話は人から人へ伝わるたびに大きくなり、昼には「グラント伯爵が海賊を招いて酒盛りをした」ことになっていた。
エステルの寝室にも、町へ買い物に出た若い侍女が噂を持ち帰った。彼女は洗いたての水色の仕事着を着て、紙袋に入った焼き栗をマーサへ渡した。まだ温かい栗の皮をむくと、香ばしい湯気が指の間から立った。
「奥様、町では、グラント伯爵家のお茶会では海賊の酒が出ると言われております」
「海賊は一人も来ていませんのに、不思議ですわね」
「次のお茶会には、眼帯をして参加したいという方までいらっしゃるそうです」
「それでは、夫に招待状を書いてもらいましょう。今度こそ、誰をどこへ座らせるか覚えるかもしれませんわ」
エステルは焼き栗を一つ食べ、革張りの手帳を開いた。『病弱な妻、四日目。お茶会に海賊の酒。公爵夫人二名、開戦。商会主、末席。夫、階段から三段落下』と書き、最後に小さく『本物の茶は大変おいしかった』と付け加えた。窓の外ではレイモンドが汚れた絨毯を前にして、誰が酒を注文したのかと使用人たちを叱っていた。
「奥様、旦那様はご自分でお命じになったことを、もうお忘れのようでございます」
マーサが焼き栗の殻を皿へまとめながら言った。エステルは手帳を閉じ、残った栗を紙袋ごと枕元へ置く。階下から聞こえる夫の声に耳を傾けた後、毛布を肩まで引き上げた。
「頭を使いすぎて、お疲れなのかもしれませんわ。丈夫な方ですから、これくらい我慢できるでしょう」




