【明治編】還ってきた西郷7
ここは、島津久光が暮らす島津玉里邸である。
久光は、維新後に貴族議員を四年務めた。
当初は、国父にして維新最大の功労者として東京政界の中心に立ち、議会内に一大派閥を築いた。
だが、やがて飽きた。
久光にとって、大勢の議員の中の一人として扱われることは、ひどく退屈だったのである。
結局、久光は息子の島津忠義に議席を譲り、自らは鹿児島へ戻った。
そして、玉里邸で暮らすようになった。
その島津玉里邸の黒い大きな門前に、馬車が停まる。
馬車の前後には、鹿児島鎮台から派遣された護衛の馬車がついていた。
馬車は黒門をくぐり、奥へ進む。
西郷とミケ、そして東郷は、玉里邸の奥の間へ通された。
しばらくして、久光が姿を現した。
年を重ねてはいる。
だが、その眼光は少しも衰えていなかった。
「よう、西郷。二十年ぶりじゃの」
それから、鼻で笑うように言った。
「ふふふ。ワシより出世しよって」
西郷は、深く頭を下げた。
「いえいえ、久光公」
その声は、どこか若いころの西郷吉之助に戻っていた。
「久光公は、島津二百六十年の雪辱を晴らされたお方でごわす」
西郷は続けた。
「おいの――いや、おいどんのしたことなど、それに比べれば、はるかに小さきことにございもす」
久光は、しばらく西郷を見ていた。
「ほう。異国で王になっても、口だけは昔のままじゃな」
「口だけで済めばよかとですが」
「ふん」
久光は、そこでようやく座った。
「座れ、西郷。幽霊でないなら、話くらい聞いてやる」
久光はそう言って、西郷の向かいへ腰を下ろした。
「十二年前じゃったか。京で大久保が言うておった。西郷は死んでおらん。異国で王になった、とな」
「あの時は、とうとう一蔵の頭がおかしくなったかと、小松と二人で心配したものじゃ」
「一蔵どんが……」
「信じてはおらんかった」
久光は、そこでミケを見た。
黒い耳。
動く尻尾。人の姿をしているが、人ではない。
「だが、そのミケどんを見れば、いやでも信じるしかない」
ミケは、耳を伏せ、丁寧に頭を下げた。
「小松は死んだ」
「聞きもした。若いのに、無念じゃったろうと」
「無念じゃった」
「だが、最後まで働いた。あれもまた、薩摩のために命を使い切った男じゃ」
「西郷」
「はい」
「お前、見ておったのだろう」
「京での一蔵の仕掛けを。薩摩が進めた、あの無茶を」
「異国から、必死に止めようとしたのではないか」
「……止めようとしもした」
「やはりな」
「おいが知る歴史では、一蔵どんは、あまりにも多くの敵を作りもした。小松どんも、長くは生きられんかった。薩摩も、日本も、血を流すことになった」
「それを見たか」
「見もした。鏡で」
久光は、目をつぶりながら聞いている。
「じゃっどん、一蔵どんは止まらんかった」
「当然じゃ」
久光は笑いながら言う。
「一蔵が、死んだ友の言葉くらいで止まる男なら、最初からあそこまで行かん」
西郷は大笑いしながら返す。
「まこと、その通りでごわす」
久光は、ふん、と鼻を鳴らした。
「で、これからどうする。大久保が来るのは二日後じゃ」
「海の上で待ちもす」
「泊まっていくか?」
久光は、ちらりとミケを見た。
「ミケどんも、構わんぞ」
ミケは驚いたように耳を立てた。
西郷は、頭を下げる。
「ありがたきお言葉でごわす。じゃっどん、船で皆が待っておいもす」
「そうか」
「はい。海の上で、一蔵どんを待ちもうす」
「分かった」
久光は、ゆっくりとうなずいた。
「向こうの国でも達者でな」
西郷は、顔を上げた。
久光は笑顔で言う。
「キバレ、西郷」
「はい」
そして、深く頭を下げた。
それが、島津久光と西郷吉之助の最後の会話となった。




