【明治編】還ってきた西郷3
島津玉里邸。
「海軍練習艦春日丸と接触した、海坊主のような不審船より男が現れました」
鹿児島鎮台からの使者が、膝をついて報告する。
「男は、異国の王、西郷吉之助を名乗っております」
部屋の空気が、わずかに揺れた。
「さらに、内務卿大久保利通殿との面会を要求しているとのこと」
島津久光は、しばし黙っていた。
そして、喉の奥で笑った。
「ふははは」
使者が顔を上げる。
「京で大久保が聞いた声は、幽霊ではなかったか」
久光は、愉快そうに扇を閉じた。
「面会なされますか」
側近が問う。
久光は、鼻で笑った。
「なぜワシから出向かねばならん」
「は」
「その異国の王とやらは、大久保に会いたいと言うたのであろう。ワシへの面会要求はない」
久光は、庭の方へ目を向けた。
「異国の王が会いたいと言うなら、会うてやってもよい」
そして、ゆっくりと言った。
「ただし、玉里へ来たらの話じゃ」
*
仙巌園。
島津重工業、タグボート船着き場。
「海軍練習艦春日丸と接触した、海坊主のような不審船より、男が現れました」
鹿児島鎮台からの使者が、息を整えながら報告する。
「男は、異国の王、西郷吉之助を名乗っております」
「さらに、内務卿大久保利通殿との面会を要求しているとのこと」
吉野の若は、その報告を聞きながら、タグボートのボイラーに火を入れていた。
石炭をくべる音がする。
蒸気圧計の針が、ゆっくりと上がっていく。
「報告ご苦労」
若は、あまりにも軽く言った。
「ちょっと、今から会ってくる」
使者が目を見開いた。
「は?」
「海坊主の中を、見せてもらってくる」
「若様、それは……」
「異国の王じゃろうが、西郷吉之助じゃろうが、金属製の海坊主が錦江湾に浮かんだんじゃ」
若は、楽しそうに笑った。
「見に行かん理由がなか」
「あなた」
お鶴が声をかけた。
止めても無駄だと、分かっていながらの声だった。
「大久保卿を待たれた方が」
「大久保が来る頃には、誰かが先に中を見ちょる」
「そういう問題ではありません」
「そういう問題じゃ」
若は、タグボートの舫い綱を外しながら言った。
「お鶴、子供たちを頼んだ」
お鶴は、小さくため息をついた。
「はいはい。西郷様より先に、海坊主に惚れ込まないでくださいませ」
「それは約束できんな」
タグボートの煙突から、黒い煙が立ち上がった。
船には、朝から叩き起こされた写真技師。
数名の島津重工の技師。
測量器具。
帳面。
工具箱。
そして、料理人に作らせた大量のカステラが積まれていた。
「若様、なぜカステラまで」
技師が尋ねる。
吉野の若は、舵輪を握ったまま答えた。
「吉之助さあは、甘かもんが好きじゃった」
「それで、カステラでございますか」
「知らん。昔から好きだったかは分からん」
若は、錦江湾に浮かぶ黒い海坊主を見た。
「じゃっどん、二十年ぶりに薩摩へ帰ってきた男に、まず出すもんが説教と尋問だけでは、あまりにも味気なか」
*
「若様、これは外交でございますか」
技師の一人が、不安そうに尋ねた。
若は、錦江湾に浮かぶ黒い海坊主を見ながら答えた。
「外交でもある」
「では、軍事でございますか」
「軍事でもある」
「では、何でございますか」
若は、にやりと笑った。
「見学じゃ」
タグボートは、朝の錦江湾を白く割って進んでいく。
これより、異国の王との第二接触が始まる。




