【明治編】還ってきた西郷2
内務省、内務卿執務室。
「吉之助さあを、待ちもうす」
別府晋介へ、そうこぼした直後であった。
どん、と大きな音を立てて、執務室の扉が開かれた。
「内務卿! 内務卿!」
秘書官が、紙片を握りしめて飛び込んできた。
その男も、元薩摩藩士である。
島津久光に仕えていた頃から大久保の下にいた男であり、西郷吉之助の名を知らぬはずがなかった。
「何事か」
大久保が問いかける。
秘書官は、答えようとして、声を詰まらせた。
「こ、これを」
震える手で、電信の写しを差し出す。
大久保はそれを受け取った。
一行目を読んだ。
指が止まった。
二行目を読んだ。
息が止まった。
三行目を読んだ瞬間、椅子が床を鳴らした。
大久保利通は、立ち上がっていた。
「晋どん」
「はっ」
大久保は、電信の写しを別府晋介へ押しつけた。
そして、秘書官へ向かって叫んだ。
「鹿児島までの船を用意しろ!」
「は、はい!」
「いや、まず横浜じゃ。新橋の汽車を押さえよ。横浜から一番速い船を出させろ。軍艦でも汽船でもよか。すぐじゃ!」
秘書官は、弾かれたように廊下へ走った。
別府晋介は、手の中の電信を見下ろしていた。
そこには、短く、しかし日本の歴史をひっくり返すには十分な言葉が並んでいた。
――鹿児島錦江湾ニ未確認金属艦浮上。
――同艦上ニ島津丸十字旗ヲ掲揚。
――西郷吉之助殿ト思シキ人物ヲ確認。
――同人、異国ノ王ヲ称シ、日本政府代表者トシテ内務卿大久保利通殿トノ面会ヲ要求。
別府は、かすれた声でつぶやいた。
「吉之助さあが……」
大久保は、すでに机の上の書類を見ていなかった。
東京も。
新政府も。
内務省も。
その一瞬、大久保利通の世界から消えていた。
残っていたのは、ただ一つ。
二十年待った友が、錦江湾に帰ってきたという事実だけであった。
大久保は、廊下へ走り出そうとした秘書官を呼び止めた。
「待て」
その声に、秘書官の足が止まる。
先ほどまで震えていた大久保の目が、変わっていた。
友の帰還を知った男の目ではない。
内務卿、大久保利通の目であった。
「この電信を見た者は、何人おる」
「は……電信局の者と、取次の者、別府様、それから私でございます」
「全員に口止めせよ」
秘書官は息を呑んだ。
「口止め、でございますか」
「西郷吉之助の名は、まだ出すな」
大久保は、机の上の電信を指で押さえた。
「これは、友が帰ってきたというだけの話ではなか。異国の王を名乗る者が、未確認の金属艦で錦江湾に現れたという話じゃ」
別府晋介の顔つきも変わった。
大久保は続けた。
「士族に漏れれば騒ぎになる。新聞に漏れれば国中が揺れる。外国公使に先に知られれば、外交問題になる」
そして、少しだけ声を落とした。
「何より、吉之助さあ本人の口から聞くまでは、何も決めてはならん」
秘書官は姿勢を正した。
「では、電信の扱いは」
「極秘。内務卿直轄とする」
大久保は即答した。
「表向きは、鹿児島湾に不審艦出現。島津家および鹿児島鎮台に確認中。それだけでよか」
「西郷様の名は」
「出すな」
大久保は短く言った。
「この国は、まだ西郷吉之助の帰還に耐えられん」




