【明治編】江戸最後の大火
焼け野原。
江戸から、地平線が見えた。
正確には、地平線ではない。
黒く焼けた地面と、煙にくすぶる空との境目が、どこまでも続いているだけだった。
熱を残した地面から上昇気流が立ちのぼり、陽炎が景色を歪ませていた。家並みも、寺も、長屋も、武家屋敷も、区別がつかない。ただ、黒い。
慶応二年六月十一日。
西暦一八六六年七月二十一日。
江戸城、無血開城から三日後のことである。
江戸の薩摩藩邸が、同時に急襲された。
放火であった。
薩摩藩邸では、無血開城の達成により戦勝ムードに包まれていた。焼酎を浴びるほど飲む藩士も続出していた。
それでも、護衛に詰めていた藩士たちは応戦した。
賊八名を討ち取った。
だが、薩摩側も四名が死亡、六名が負傷。
三田上屋敷、芝中屋敷、高輪抱屋敷は全焼した。
火はそれだけでは終わらなかった。
周囲の長屋からも、ほぼ同時に火の手が上がった。
風に煽られた炎は、江戸の町へ広がった。
町人たちは逃げた。武士も逃げた。女も子供も老人も、背に負えるだけの荷を背負い、熱と煙の中を走った。
そして、江戸の三分の二が焼けた。
後の見分によれば、討ち取られた賊の中には旗本、町人も含まれていた。だが、その中心は東北諸藩の脱藩者、あるいは藩士であった。
長屋に火を放ったところを町人に取り押さえられた者は、こう証言した。
江戸を薩摩に渡すくらいなら、焼いてしまえ。
それは敗残兵の暴発であり、同時に、最後の焦土作戦でもあった。
黒い大地の上で、大久保一蔵は膝をついていた。
そして泣きながら、誰にともなく、周囲へ向かって頭を下げ続けていた。
「大変、申し訳なかことをした」
その声は、焼け跡に吸い込まれていく。
「予想できていたはずなのに……。おいは、予想できていたはずなのに……」
大久保は、勝者ではなかった。
江戸を手に入れた男でもなかった。
ただ、焼け残った黒い地面の上で、これから作るはずだった国に、最初の借りを背負った男であった。
「べらんめえ」
その時、煤だらけの手が、大久保の肩を叩いた。
「火事と喧嘩は江戸の花でぃ。おめえさん、横須賀で大花火を上げた薩摩の人だろ」
大久保は、涙で濡れた顔を上げた。
名も知らぬ町人が、そこにいた。
着物は焼け焦げ、顔は煤で真っ黒だった。それでも男は笑っていた。
「もう一度作ればいいじゃねえか。俺たちは焼けたって、何度も作ってきたんだ。江戸をよ」
大久保は、言葉を失った。
責められると思っていた。
石を投げられても仕方がないと思っていた。
だが、江戸の町人は、大久保を責めなかった。
焼けた町を見ながら、もう次の町の話をしていた。
「……そうでごわすな」
大久保は、震える声で答えた。
「江戸は、何度焼けても立ち上がった。ならば、おいどんらも、江戸の者たちと共に、新しか江戸を作りもす」
「おう、兄ちゃん。期待してるぜ」
町人は、にっと笑った。
「俺っちは大工だ。町を作るなら、任せてくんな」
その瞬間である。
江戸の再建計画は、まだ紙も筆もない焼け跡の上で、始まった。
*
そのころ、品川沖では、薩摩海軍艦隊十二隻が避難民を受け入れ、昼の炊き出しを行っていた。
軍艦は、もはや戦うための船ではなかった。
弾薬は海へ投棄された。
砲弾を積んでいた船倉には、老人と子供が座っていた。火薬箱のあった場所には、握り飯と湯が並べられていた。
「はい、おばあちゃん、こっちね」
お鶴は、老婆の手を引いて船倉へ案内した。
「この船は、私ら夫婦の長男なの。西郷丸と言うてね」
隣では、島津の若が自ら荷を運び、避難民を奥へ奥へと誘導していた。
艦隊の乗員三千人が三十日飲み食いできるだけの食料は、惜しげもなく放出された。
握り飯、味噌汁、干し魚、湯、薬。
薩摩の艦隊は、江戸を撃つために来たのではなかった。
焼けた江戸を、生かすために動いていた。
避難民を乗せた蒸気船は、品川沖から横浜へ、千葉へ、何度も何度も往復した。
黒煙の下で、海だけが忙しく白く泡立っていた。
*
江戸は焼けた。
だが、焼けたからこそ、作り直すことができた。
かつての町割り。
曲がりくねった路地。
木造家屋が密集する長屋。
火が走れば、町ごと呑まれる古い都市構造。
それらは、最後の大火によって灰になった。
悲劇であった。
多くの者が家を失い、命を失い、思い出を失った。
だが、大久保利通は、その灰の上に新しい都を作ることを決めた。
資金はあった。
薩英戦争の勝利によって得た賠償金。
拿捕した英国艦の修理と売却。
島津の若と太平治が、海運と造船と兵器修理で稼ぎ出した外貨。
それらは鹿児島だけに投じられたわけではない。
集成館を拡張し、島津重工業を育て、鹿児島を近代工業都市へ変える。
同時に、焼けた江戸へも投じられた。
道を広げた。
火除け地を設けた。
官庁街を置いた。
鉄道を通した。
電信線を張った。
品川、横浜へ続く港湾交通を整えた。
丸の内には軍が置かれ、役所が置かれ、石造りの建物が並び始めた。
焼け野原であったからこそ、鉄道も、大通りも、思いのままに引くことができた。
江戸は、江戸のまま蘇ったのではない。
江戸は、東京として作り直されたのである。




