【現代異世界編】いっそ、敵の首を斬るまで、箒から降りてはなりもはん。1
少し、話は遡る。
千尋が初めて箒で空を飛んだ日の夜。
防衛省特別武官の玉利が、菊池西郷家を訪ねてきた。
源吾と千尋、そして玉利。
三人は、菊池西郷家の応接室で向かい合っていた。
「やあ、千尋くん」
玉利は、相変わらず人の良さそうな顔で笑った。
「希望どおり、箒で空を飛んだそうだな。夢の異世界生活二日目はどうかね?」
「すっっごく、楽しかったです」
千尋は即答した。
目を輝かせている。
まるで小学生低学年のような顔だった。
「箒で飛ぶとか、小さいころからの夢でした。こんな世界があるなんて、来られて良かったです」
「それは何よりだ」
玉利はうなずいた。
「ちなみに私は飛べないから、ここまで歩きだ。大使館というか、私のオフィスはすぐそこだ。飛ぶほどの距離ではないがね」
「飛べないんですか」
「飛べない」
「……ちょっとかわいそうですね」
「憐れむな」
横で、源吾が苦笑した。
「いや、千尋殿にも気を付けてもらわんと困りもす。警邏隊に上昇速度違反で捕まったと聞いた時は、肝を冷やしもした」
「だって、教本には速度違反とか載ってなかったわよ」
千尋は、テーブルの上に例の教本を置いた。
『よいこの はじめての ちぇすと飛行』
――いっそ、敵の首を斬るまで、箒から降りてはなりもはん。
ぱらぱらとページをめくる。
「大将首の取り方は載ってたけど」
玉利は、表紙を見て少し眉を上げた。
「懐かしいな。私も昔読まされた」
「なんで血生臭いの? 子供向けでしょう、この本」
「この国では、伝統的な安全教育だ」
「安全とは」
千尋は教本を閉じた。
そして、二人をじっと見た。
「というか、そろそろ説明して」
「何をかね」
「全部」
千尋は、指を折りながら言った。
「まず、なんで鹿児島以上に鹿児島なの。みんな鹿児島弁。しかも濃い。あんな鹿児島弁、お年寄りしか喋らないでしょう」
「なるほど」
「軍人が刀を二本差して箒で飛んでる」
「うむ」
「猫とか犬とか虎とか、獣人っぽい人が普通に喋ってる」
「いるな」
「エルフっぽい人も、ドワーフっぽい人も歩いてる」
「いる」
「たしかに異世界。剣と魔法の世界。でも鹿児島。どういうこと?」
千尋は、源吾を見た。
「しかも初代皇帝が西郷吉之助。どういうこと? 説明して」
一拍置いて、千尋は真顔で付け加えた。
「気になって夜しか眠れないわ」
「十分寝てるな」
玉利が言った。
「比喩です」
「まあ、説明は必要だろう」
玉利は、眼鏡をくいっと上げた。
その仕草が、少しだけムカつく。
「まず前提から言おう。ここは地球ではない」
「それは分かりました。箒で警察に捕まりましたので」
「正確には、地球と非常によく似た地形を持つ、別の世界だ。こちら側にも錦江湾に似た湾があり、桜島に似た火山がある。だから、西郷吉之助が漂着した」
「安政五年、錦江湾で入水した後に?」
「そうだ」
玉利はうなずいた。
「西郷吉之助は、死ななかった。こちらの世界へ渡った」
千尋は黙る。
源吾は、静かに茶を飲んでいた。
「彼はこの世界で生き延び、戦い、仲間を得て、やがて国を作った。それが、今のサツマ帝国だ」
「いや、ちょっと待って」
千尋は手を上げた。
「西郷吉之助が異世界で国を作った?」
「そうだ」
「なんで鹿児島弁なの」
「初代皇帝が鹿児島弁だったからだ」
「それだけではない」
玉利は淡々と続けた。
「明治十年、西郷は一度、この世界で建造した潜水艦で鹿児島へ帰還している」
「……明治十年?」
千尋は、思わず聞き返した。
「そこで西郷は、大久保ら維新の志士と再会した。そして、明治政府に不満を持つ鹿児島の不平士族とその家族、およそ一万五千人を、この世界へ引き取った」
「初耳」
千尋がぽつりと言うと、源吾がうなずいた。
「おかげで、西南戦争は起きなかったのでごわす」
「西南戦争? それも初耳」
「日本最後の内戦と言われるはずだった戦争でごわす」
「はあ? 最後の乱は、明治九年十月の萩の乱では?」
「ほう。詳しいでごわすな」
「一応、軍人なので……」
源吾は、少しだけ表情を改めた。
「皇帝西郷には、“予言の鏡”と呼ばれるものがありもした。西郷自身がこの世界へ来なかった場合に起こった出来事を映したもの、と伝えられておいもす」
「予言の鏡?」
「その予言では、鹿児島で国内最後の内戦が起こり、最後は西郷自身も城山、岩崎谷で命を落とすことになっていたそうでごわす」
千尋は黙った。
「その戦争を止めるため、西郷は鹿児島の不平士族とその家族、一万五千人をこの世界へ引き取った、と伝えられておいもす」
「……それ、本当に戦争を止めるため?」
玉利が、そこで口を挟んだ。
「人材不足を補うための詭弁だった可能性はある。だが、国父大久保利通はそれを信じた。そして、一万五千人を異世界へ送ることを認めた」
「大久保利通が」
「そうだ」
玉利はうなずいた。
「その結果、建国当初は小さな王国にすぎなかったサツマ帝国は、急速に拡大した。西郷吉之助の周囲には、この世界の各種族が集まった。人間、獣人、エルフ、ドワーフに相当する種族。彼らは西郷の言葉を学び、西郷の軍制を学び、西郷の価値観を学んだ」
玉利は、そこで一度言葉を切った。
「そこに、鹿児島からの一万五千人が加わった
たった一万五千人と思うかもしれないが、彼らは移民ではない。建国パッケージだ。
兵、教師、職人、書記、商人、そしてその家族。国を鹿児島化するには、十分すぎる人数だ」
「結果、異世界に鹿児島弁国家が生えた?」
「ざっくり言えば、そうだ」
「ざっくりしすぎでしょう」
「細かく説明すると三日かかる」
千尋は頭を抱えた。
「じゃあ、軍人が刀を差しているのは?」
「西郷帝国の軍制は、初期薩摩藩士団の影響を強く受けている。刀は武器であると同時に、身分と責任の象徴だ」
「箒で飛ぶのに?」
「箒で飛ぶからこそ、接近戦の刀術が残った」
「意味が分からないようで、少し分かるのが嫌」
源吾が、穏やかに補足した。
「初代皇帝陛下は、この世界に来てからも薩摩の男であられたのでごわす。言葉も、礼も、戦も、国の形も、ぜんぶ薩摩から始まりもした」
「それで、鹿児島以上に鹿児島」
「そうでごわす」
千尋は、深く息を吐いた。
「じゃあ、この国の鹿児島弁は、方言じゃなくて公用語?」
「正確には、帝国古典語に近い」
玉利が言った。
「帝国の標準語はかなり整理されているが、貴族や軍、古い家ほど、初代皇帝由来の言い回しを尊ぶ。君が聞いている濃い鹿児島弁は、こちらでは格式ある言葉に近い」
「じゃあ源吾の鹿児島弁は、時代劇かぶれではなく、貴族言葉?」
「まあ、そうなる」
千尋は源吾を見た。
「……ごめん。時代劇で精神汚染された人だと思ってた」
「薄々、そう思われている気はしておいもした」
「否定はしないんだ」
源吾は少し笑った。
玉利は話を戻した。
「そして、日本側だ。地球側では、西郷は入水後に死亡したことになっている。残された大久保たちは、西郷不在のまま維新を進めた」
「そこは知ってます」
「だが、大久保は知った。西郷が死んだのではなく、こちら側に渡ったことを」
千尋は、黙った。
「以来、日本側ではごく一部だけが、この国の存在を知っている。海上自衛隊の一部、防衛省の一部、島津・吉野島津・一部関係者。それだけだ」
「だから、なんげいで来た」
「そうだ」
「台湾秘密ドック」
「伝統ある便利な言葉だ」
「便利すぎるわ」
千尋は額を押さえた。
情報量が多い。
多すぎる。
だが、少しずつ線がつながってきた。
西郷吉之助。
錦江湾。
サツマ帝国。
鹿児島弁。
刀を差した軍人。
箒で飛ぶ世界。
そして、自分がここへ連れてこられた理由。
「つまり」
千尋は、ゆっくりと言った。
「ここは、西郷吉之助が異世界で鹿児島を再現した結果、鹿児島より鹿児島になった国、ということ?」
玉利は少し考えた。
「かなり雑だが、おおむね正しい」
「雑なのは世界の方では?」
「否定はしない」
源吾が、静かに頭を下げた。
「ようこそ、千尋殿。初代皇帝陛下の国へ」
千尋は、しばらく源吾を見た。
それから、教本を見た。
『よいこの はじめての ちぇすと飛行』
帯には、まだ物騒な文言が踊っている。
千尋は、ため息をついた。
「分かった。だいたい分かった」
「理解が早いな」
「理解したというより、諦めた」
千尋は、教本を指で叩いた。
「で、明日から私は何をすればいいの」
玉利と源吾は、顔を見合わせた。
「まずは、箒の訓練でごわすな」
「それはやる」
千尋は即答した。
「その後は?」
玉利が、少し真面目な顔になった。
「軍の訓練を見てもらう。こちらの飛行魔法使いたちは、潜水艦の狩り方を知らない」
千尋の目が細くなった。
「資料は?」
「ある」
「装備は?」
「ある」
「教官は?」
玉利は、そこで少しだけ間を置いた。
「いない」
千尋は、ゆっくりと理解した。
「……それで、私か」
「そういうことだ」
源吾が言った。
「嫁としてだけではありもはん」
「嫁ではない」
「はい」
「まず、そこから覚えて」
玉利は茶を飲みながら、ぽつりと言った。
「まあ、そこは帝国側の方が覚えるのに時間がかかるだろうな」
千尋は、もう一度ムカついた。
玉利の言うことは、だいたい正論だった。




