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異世界の貴族に嫁入りした海自パイロット、魔法大学で潜水艦狩りを教えています なお旦那は初代皇帝西郷隆盛の玄孫です。  作者: なたろう


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【現代異世界編】『よいこの はじめての ちぇすと飛行』2

前田コヨミ先生が帰った直後。


菊池西郷家の応接室で、千尋は渡された教本に目を通していた。


『よいこの はじめての ちぇすと飛行』

――いっそ、敵の首を斬るまで、箒から降りてはなりもはん。


表紙には、満面の笑みで箒にまたがる子供の絵が描かれている。


帯の文言は、まったく子供向けではない。


千尋は眉をひそめながら、ページをめくった。


箒の飛び方は、簡単に言えばこうらしい。


一、箒にまたがる。

二、体の中心にある魔力を、体の外側へ添わせるように巡らせる。

三、箒を握った手から、魔力を注入する。

四、体の外に纏わせた魔力全体から、上昇する力を絞り出す。


千尋は、しばらく黙った。


なんのこっちゃ。


もう一度読む。


やはり分からない。


操縦桿もない。

スロットルもない。

昇降舵も方向舵もない。

そもそも揚力の説明がない。


なのに、これで飛ぶらしい。


しかも後半では、箒にまたがった主人公の兵六が、空中から突撃し、敵の大将首をはねていた。


血生臭い。


こんな本を子供に読ませるな。


千尋はそう思った。


そう思ったが、読むのはやめなかった。


飛べるなら、読む。


理解できないなら、試す。


それが飛行機乗りである。


千尋は顔を上げた。


応接室の隅に、小柄な少女が控えている。


十代半ばほどだろうか。

菊池西郷家の使用人で、名をフミというらしい。


源吾やその両親からは、滞在中の世話係として付けられていた。


「フミさん」


「はい、奥様」


「いや、奥様ではない」


千尋は即座に訂正した。


「箒を貸して」


フミは、困ったように瞬きをした。


「あの、奥様。明日、コヨミ先生がいらっしゃってからの方がよろしいかと……」


「だから、奥様ではない」


千尋は教本を閉じた。


「とにかく箒を貸して。庭で飛ぶ」


「飛ぶ、のでございますか」


「飛ぶ」


「今から?」


「今から」


「初めてで?」


「初めてで」


フミの顔が、見る見るうちに青ざめていく。


気の毒ではある。


だが、源吾も源吾の両親も言っていた。


フミを世話係として付けるから、遠慮なく使ってよい、と。


ならば、遠慮なく使う。


さすがに遠慮がなさすぎる気もする。


だが、今の千尋には、それより重要なことがあった。


箒で飛べるかどうか。


それを確かめるまでは、眠れる気がしなかった。


千尋は、箒にまたがった。


清掃道具である。

棒である。

どう見ても、航空機ではない。


操縦桿はない。

スロットルもない。

昇降舵も方向舵もない。

姿勢指示器もない。


あるのは、棒。


そして、自分の身体だけだった。


「体の中心の魔力を、外へ添わせる……」


千尋は目を閉じた。


魔力など分からない。

だが、重心なら分かる。

空気の流れなら分かる。

機体が浮き上がる直前の、あの軽くなる感覚なら知っている。


箒を機体だと思うな。


自分が機体だと思え。


そう考えた瞬間、身体の内側から、薄い膜のようなものが広がった。


何故だか、分かった。


上方向へスラストが発生している。


足の裏へかかる荷重が、少しずつ軽くなる。

代わりに、箒についている小さな椅子のような部分へ、自分の体重が移っていく。


上向きのスラストを、少しずつ大きくする。


つま先立ちになる。


重力とスラストが釣り合った。


そう思った瞬間、千尋は両足を持ち上げた。


数センチ。


千尋は、浮いていた。


「浮きました! 奥様、浮きました!」


「奥様ではない。あと、もう少し上げる」


スラストを上げる。


身体が、ふわりと持ち上がった。


十センチ。

三十センチ。

一メートル。


庭の芝生が、少しずつ遠ざかる。


「……なるほど」


千尋は、空中で姿勢を安定させながら、感覚を探った。


上方向のスラストを、前斜め方向へ傾ける。


すると、箒は静かに前進し始めた。


「ひゃははは」


思わず笑いが漏れた。


「なるほどね。ヘリコプターと同じか」


「奥様?」


「安全確認いきます。右」


千尋は、右へ進路を振った。


「左」


今度は左。


「右旋回」


庭の上で、ゆっくりと右へ旋回する。


「左旋回」


次に左。


フミは、両手を胸の前で握りしめ、顔を青くしていた。


「お、奥様。そろそろ、降りていただいても……」


「奥様ではない。次、姿勢確認」


「姿勢?」


「背面飛行」


「はい?」


千尋は、箒ごと身体をひねった。


空と地面が入れ替わる。


ほんの一瞬。


だが、千尋は確かに背面になっていた。


「問題なし」


「問題しかございません!」


「次。タイム・トゥ・クライム、一〇〇〇メートル」


千尋は腕時計を確認した。


「開始」


その場で、急上昇を始めた。


フミは、限界だった。


菊池西郷家の廊下を、全力で走る。


「源吾様!旦那様、奥さま!」


扉を開けるなり、フミは叫んだ。


「奥様が! 奥様が、たいむ・とぅ・なんとかと言いながら、空に消えて行きました!」



千尋は、一〇〇〇メートルまで上がるつもりだった。


だが、五〇〇メートルを超えたあたりで、横から笛の音が聞こえた。


ぴいいいいいっ。


「そこの箒! 停止しなさい!」


千尋は、声のした方を見た。


制服を着た男が、箒に乗って並走している。


腕には、白い腕章。


そこにはこう書かれていた。


帝都空中警邏隊。


「……空にも警察がいるの?」


「おい、コラ そこの箒! 上昇速度超過の疑いあり! ただちに降下!」


千尋は、少し考えた。


逃げられる。


いや、逃げてはいけない。


ここは外国。

いや、異世界。

いや、外交問題。


千尋は、しぶしぶスラストを絞った。


空中警邏隊に誘導されるまま、菊池西郷邸の庭へ着陸する。


警邏隊員が、眉をひそめた。


「おい、ここは菊池西郷家のお屋敷やっど。降りるなら、道路側の指定空域に降りるでごわす」


千尋は、箒にまたがったまま答えた。


「いや、ここ、うちですので」


言ってから、少し固まった。


うち?


いや、うちではない。

正確には、源吾の家である。


訂正しようとした瞬間、フミが駆け寄ってきた。


「奥様! どやっと帰って来られましたか!」


「いや、奥様では――」


フミは、千尋の言葉を遮るように、警邏隊員へ深々と頭を下げた。


「申し訳ございません。新しい箒の試験飛行だからと、奥様が張り切って速度を限界まで出してしまわれたのでございます」


「ちょっと、フミさん」


「旦那様にも、きちんと申し付けますので」


「旦那様でもない」


フミは千尋の腕を取った。


「ほら、奥様。箒から降りて、空中警邏隊の方に、ごめんなさい、と」


「いや、だから奥様では――」


言いかけて、千尋は止まった。


ここで否定すると、話が長くなる。

無免許初飛行、速度違反、高度違反、国際問題。


いや、異世界問題。


千尋は、静かに箒から降りた。


「……ごめんなさい」


その時、源吾も駆けつけてきた。


「千尋殿!」


続いて、警邏隊員に向かって深く頭を下げる。


「うっかたが、失礼しもした」


「うっかた?いや、奥様では…」


*うっかた 鹿児島弁で奥様

警邏隊員は、源吾と千尋を見比べた。


そして、急に姿勢を正した。


「菊池西郷家の奥様でございましたか。次からは、指定空域と制限速度に気を付けてくだされば」


「奥様でh…」



源吾は、横で申し訳なさそうに笑っていた。


フミは、千尋の袖をそっと引っ張った。


「奥様、今はそれで押し通した方がよろしゅうございます」


「だから奥様ではない」


「では、無免許の異国人として詰所に行かれますか?」


千尋は黙った。


しばらくして、小さく言った。


「……はい、奥様です。」


源吾が、少し嬉しそうな顔をした。


「一時的な行政処理上の便宜です」


「はい」


「嬉しそうな顔をするな」



翌日。


前田コヨミは、菊池西郷家の庭で驚愕していた。


目の前で、昨日まで箒に乗ったことがないと言っていた女が、空を飛んでいる。


しかも、ただ飛んでいるだけではない。


バレルロール。

コブラ。

宙返り。

箒の上に足で立ち上がっての姿勢制御。


次々と繰り広げられる、コヨミの知らない極限飛行。


「あの……それは、何でごわすか」


「バレルロールです」


「ばれる……?」


「次、コブラいきます」


「こぶら…??」


コヨミは、自分が何を見ているのか分からなくなっていた。


子供向けの教本。

初めてのちぇすと飛行。

敵の首を斬るまで降りるな。


そんな次元ではない。


これは、箒の飛行ではない。

何か別の、空を飛ぶための狂気である。


コヨミは、静かに悟った。


自分は今日、教えに来たのではない。


自分の知っている箒の常識が、壊されるところを見に来たのだ。


やがて千尋は、何事もなかったように着地した。


「先生、大変お世話になりました」


そう言って、千尋は深々と頭を下げた。


そして、謝礼として大金を差し出した。


コヨミは、それを受け取った。


受け取ってしまった。


何も教えていないのに。


「……こちらこそ、たいへん勉強になりもした」


コヨミは、かろうじてそう答えた。


帰り道。


コヨミは箒にまたがり、ゆっくりと空を飛んだ。


いつもの空だった。


昨日までなら、自分はこの空の先生だった。


だが今日、その自信は少し揺らいでいた。


そろそろ、引退の時期を考えるべきかもしれない。


前田コヨミは、そんなことを考えながら、静かに帰路についた。

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