【明治編】明治新政府1 十四日間の国家元首・徳川慶喜
史実では大坂城で亡くなる家茂だったが
慶応二年七月二十日(1866年8月29日)
江戸城にて脚気で亡くなった、手続き上、彼は亡くなるその瞬間まで征夷大将軍であった。
この世界において、天子は京を離れなかった。
京は燃えなかったからである。
燃えたのは、江戸であった。
ゆえに新政府は、京都を首都とし、大坂を財政と物流の中枢とし、焼けた江戸を東国統治のための新都市として再建する道を選ぶ。
その京と大坂を押さえる特別職――京坂総裁。
その初代に就いたのが、家茂の死後に徳川宗家を継いだ、一橋慶喜であった。
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「江戸は燃えた。だが京は残った」
慶喜は地図を見下ろした。
「ならば、天子様は京におわすべきだ。江戸へ移す理由はない」
大久保は黙っていた。
「私は将軍職を返す。だが、京と大坂は空白にできぬ。朝廷だけで政務は回らぬ。薩摩だけでも回らぬ」
慶喜は扇子で大坂城を指した。
「京坂の総裁職を私が預かる。大坂城と周辺直轄領は、新政府の財布として使え。ただし、その差配は私が行う」
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慶応二年十二月二十五日。
孝明天皇、崩御。
慶応三年一月九日。
明治天皇、十四歳にて第百二十二代天皇として即位。
その十四日間、新政府の正式な役職はまだ整っていなかった。
朝廷は喪に服し、諸侯は様子をうかがい、外国公使たちは日本の継続性を疑った。
その空白を埋めたのが、京坂総裁・徳川慶喜である。
慶喜は将軍ではない。
だが、大坂城を押さえ、旧幕府の財政を握り、京を守る立場にあった。
結果として、十四日間だけ、徳川慶喜は日本の暫定国家元首に近い立場へ立つことになった。
明治天皇が無事に即位した日。
慶喜は、外国公使たちの前で深々と頭を下げた。
「私が暫定でお預かりしていた大政を、ここにお返しいたします」
それは、徳川慶喜にとって二度目の大政奉還であった。
慶喜を野に放たなかった判断は、正しかった。
大久保は、改めてそう思った。




