【維新RTA編】超高速大政奉還14
慶応二年六月十一日。(1866年7月21日)
京へ、江戸の騒ぎの結果が届いた。
知らせは、薩摩の高速蒸気船と早馬を乗り継ぎ、異常な速さで運ばれた。
薩摩が十か条の要求を幕府に突きつけ、将軍家茂がそれを全面的に受け入れたこと。
十か条の要求の中身。
横須賀沖での西郷砲の発射。
西郷丸に錦の御旗が掲げられたこと。
そして、江戸から逃亡する覆面の東北藩士らが、焦土作戦と称して江戸に火を放ち、江戸の一部が火の海になったこと。
幕府側も、長州側も、戦う意味を失った。
戦は、止まった。
*
「薩摩に踊らされておる? 知っちょるわ」
高杉は笑った。
「だが、踊って京を燃やせば、幕府は京へ目を向ける。江戸の喉元に、別の刃が届く」
桂は眉をひそめた。
「その刃も薩摩のものだぞ」
「なら、薩摩が徳川を斬った後に、わしらが薩摩の背中を見るだけじゃ」
長州は、ただ踊らされたわけではない。
一部の者は、自分たちが囮であることを理解していた。
それでも、火をつけた。
薩摩に利用される屈辱より、幕府と会津を京に釘付けにする快感の方が勝ったからである。
長州という藩は、折れてもなお、そういう燃え方をする藩だった。
そして、気づいてしまった、
本物のエンフィールド銃と、自分たちが掴まされた偽物のエンフィールド銃の違いを。
王冠のマークのてっぺんに丸十字が偽物のエンフィールド銃には存在している
「さすがに、笑ったよ」
桂は報告を受けた時の事を思い出す。
本物と同じか超えている、優秀だ、これがあったから長州は暴れられた
大半の長州藩士が、薩摩製と知ってもなお、自分の相棒として一緒に
長州へ帰り、家宝として子孫に受け継いだ。
*
会津は何も知らなかった。
薩摩の謀も。
長州の一部が囮役を承知していたことも。
江戸湾へ向かう黒い艦隊のことも。
何も知らず、ただ御所を守るために戦った。
だからこそ、会津の戦いだけは本物であった。
大久保がもっとも信頼していたのは、会津の忠義であった。
会津は裏切らない。
会津は逃げない。
会津は御所を守る。
だからこそ、京を任せられる。
それは信頼であり、同時に利用であった。
新選組もまた、同じ理由で大久保から信頼されていた。
*
一橋慶喜は江戸開城の報とともに、大久保から新政府入りの打診の手紙を受け取った。
大阪に蒸気船を用意したから江戸にすぐ来てくれとのことだ。
薩摩が上手だったと認める一方、幕臣に語る。
「なるほどね、大久保が「新政府入り」を打診してきたということは、裏を返せば「薩摩も、徳川を完全に敵に回して日本を統治するだけの体力(資金・人材)はない」と白状したようなものだ」
「江戸を火の海にしたのは、東北の藩士とはいえ、原因を作ったのは薩摩だ、まあ花火大会の計画に夢中でそこまで考えて無かったんだろう。」
「新政府入り、よかろう。大政奉還、よかろう、
将軍家茂公には江戸で隠居していただく。
その代わり、新政府の『議長(総裁)』の席は私がもらう。さらに、大坂城と周辺の直轄領(徳川の財布)の管理権は、新政府の基本財産として私が引き続き差配する
薩摩が用意した船で江戸へ帰るぞ」
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当時、京の人々はこれを「禁門の乱」と呼んだ。
だが後世の歴史家は、これを「禁門の変」と呼ぶ。
なぜなら、この夜の騒乱は京だけで終わらず、江戸幕府そのものを倒す引き金となったからである。




