【維新RTA編】超高速大政奉還6 慶応2年の禁門の変
運命の、慶応2年6月2日。(西暦1866年7月14日)深夜。
京都の空気は、梅雨明けの不気味な熱気と、長州軍が押し寄せてくるという極限の緊張感で張り詰めていた。
大久保は革命のスタートをパリ祭(フランス革命の日)にあやかって7月14日に決めた。
御所を警護する会津藩や一橋の「禁裏御守衛」の詰め所。その篝火が揺れる暗がりに向けて、7挺の銃口が冷たく並んでいた。
握られているのは、仙巌園製の偽英国銃――サツマエンフィールド。
その引き金に指をかけながら、史実では西郷の片腕として西南戦争まで共に戦うことになる熱血漢・村田新八が、額の汗を拭いながら隣の男を振り返った。
「……いいんだな、一蔵どん。本当にこれに引き金を引くんだな。もう、引き返せないぞ」
新八のその問いに、暗闇の中に立つ大久保一蔵は、表情一つ変えずに一言だけ返した。
「ああ」
だが、同じく銃を構えていた村田新八の手が、微かに震えていた。
寺田屋の地獄を生き延び、大久保の「尊王の執念」を信じてここまでついてきた村田だったが、いざ「偽の長州兵」として、天子様のおわす御所の守衛を撃つという大逆無道の行為を前に、どうしても引金にかけた指が動かない。
大久保は すー、と足を進めると、村田の手からサツマエンフィールドを無言で毟り取るように奪い取った。
「――銃の撃ち方は、こうだ!」
パーン――ッ!!!
それは、会津の詰め所へ向けられた一発であり、
同時に、西郷吉之助の声を振り切る一発でもあった。
その音を合図に、京都の複数箇所に潜伏していた有馬新七らの別働部隊が、一斉に動いた。
火が放たれたのは、民家ではない。
会津・一橋方の詰め所。
幕府方の物資置き場。
逃走経路に面した空き家。
だが、京で火を扱うことそのものが、すでに狂気であった。
油が撒かれ、松明が投げ込まれる。
たちまち、夏の夜空に真っ赤な炎の柱が立ち昇った。
パーン!! パーン!! パーン!!
パーン!! パーン!! パーン!!
大久保に続けとばかりに、残りの6挺のサツマエンフィールドが夜闇を引き裂いて連続発砲する。
御所周辺は一瞬にして、硝煙と怒号が飛び交う戦場(地獄)へと変貌した。
不意を突かれた会津や一橋の守衛たちが「敵襲ーっ!!」と叫んで右往左往する中、大久保があらかじめ路地裏に「配置」しておいた多くの町人たちが、一斉に恐怖の声を上げて走り出した。
仕込みの町人たち:
「長州や! あいつら、長州藩士や!!」
「長州の奴らが、へたれの一橋(慶喜)を打ちに御所へ攻めてきたぞーっ!!」
「長州の奴らが、御所へ攻めてきたぞーっ!!」
そして、銃撃地点には、わざと数挺のサツマエンフィールドが置き捨てられた。
走り逃走する、八人
大久保の隠れ家 京都祇園のお茶屋に逃げ込む
朝まで潜み、翌日、大久保は何食わぬ顔で大坂へ移動する。
史上、最も激しい市街戦となった「禁門の変」の幕開け。
それは、異世界の王(西郷)の涙の声を完全に振り切った、大久保一蔵という一人のマキャベリストが放った、あまりにも非情な一発の銃声から始まったのだった――。




