【異世界編】タンデム水中空母実習3
千尋とクリオが爆音と共に雲海へと打ち上がった、まさにその同時刻。
海中には、その訓練を文字通り『出歯亀』――すなわち、隠密裏に盗み聞きしている不届きな目(耳)が存在していた。
北方人民連邦(通称・北連)所属の超巨大潜水空母、その名も『ヴェリーキー・オケアン』。
西郷帝国の主力艦『羽白丸』が全長140メートルであるのに対し、この怪物はその倍を遥かに超える巨体を誇る。船体には箒の航空機収納筒が実に24基も並び、もはや海中を泳ぐ大都市、あるいは巨大な潜水飛行場と呼ぶべき威容であった。
彼らの任務は、毎年恒例となっている西郷帝国の射出実習を傍受すること。
発射される箒の数や、射出の手際から発せられる「音」を徹底的に分析し、今年の魔法大学校4年生の総数、ひいては帝国の次世代の練度を逆算して調査するのが目的だ。
防音壁に囲まれた薄暗い発令所。ヘッドホンを耳に密着させたベテラン音測員が、静かに声を張った。
「西郷帝国艦より射出音。――完璧なローンチです。これほど無駄のない推進音、おそらくは教官の見本かと」
その報告を腕組みしながら聞いたのは、北連が誇る気鋭の女性艦長、エレーナ・ヴォストーク大佐であった。氷の彫刻のように冷徹で美しい容貌の彼女は、フッと不敵な笑みを浮かべる。
「ほう。例の報告書にあった、異世界人の教官(吉野千尋)かもしれないな。この前は私の妹が紀伊島で随分とお世話になったようだが……。機会があれば、我が連邦の対空魚雷で、叩き落としてやりたいがな」
エレーナが言葉を濁した、数分後のことだった。
先ほどまで波形を睨み、集中していた音測員の身体がガタガタと震え始める。
「――ッ!? あ、ああ……金属の擦れる音! ああああ、海面を箒が激しく叩く音……っ!」
ヘッドホンから入力される無慈悲な音響情報が、音測員の脳内に凄惨な「大惨事」をリアルタイムで再生していく。
「箒が……箒が、西郷帝国の潜水空母に墜落! 激突しました!」
「羽白丸級、緊急浮上! メインバラストタンク一斉ブローの音!」
「多数の足音が聞こえます! 雑多な男たちの怒号、女性の悲鳴も少数……救助活動が始まりました!」
「人間が海中に飛び込む音多数! 墜落したパイロットを救助している模様……っ!」
優秀すぎるがゆえに、音から情景を五感で『視る』ことができる音測員は、ついにその想像力の過負荷に耐えかねて涙を流し始めた。
音測員にとって、深海の静寂の中で響く「ローンチ事故の音」は、感情を狂わせるに十分な情報の洪水だった。事故の凄惨さが、生々しい振動となって鼓膜を、そして心を抉る。
エレーナ艦長は即座に表情を険しくし、指令所へ向けて鋭い発令を飛ばした。
「近づくぞ! 両舷全速! 機会だ、混乱に乗じて接近し、サツマ帝国の潜水空母および事故現場の撮影(情報収集)を行う!」
「しかし、艦長、これは罠では?」
副長のアレクサンドル中佐が、怪訝そうな顔で進言する。あまりにもタイミングが良すぎる大事故に、持ち前の慎重さが警鐘を鳴らしたのだ。
「いま、状況は?」
艦長は副長の言葉を無視し、涙を拭う音測員に鋭く尋ねる。
「……現在、潜水艦上の箒を、人力とクレーンを使って収納筒に収納しているようです。多数の足音と、重い金属の擦れる音が響いています」
エレーナはフッと口元を歪めた。
水中空母には、物資の積み込みや魚雷再装填用のクレーンは当然備わっている。だが、それは「墜落した箒を航空機収納筒に無理やり押し込む」といった用途を想定して作られてはいない。手際が悪く、収納完了まで相当な時間がかかるはずだ。
(動けない西郷帝国の主力艦、そして大事故の決定的瞬間……最高のプロパガンダ材料だわ)
エレーナ艦長は、サツマ帝国の醜態を収めたスクープ事件のカメラマンとして、本国から最高の名誉と勲章で表彰される己の未来を夢想した。胸の高鳴りを抑えながら、現場へと急速に針路を向けさせる。
人道的な同情か、あるいは冷徹なまでの火事場泥棒か。
巨大な黒鉄の城『ヴェリーキー・オケアン』は、静かに、しかし牙を剥くように、千尋の仕掛けた見事な「偽りの罠」が待つ海域へと、その巨体を猛スピードで滑り込ませるのだった。




