【維新RTA編】英国海軍『完コピ』作戦3.5 羽白丸事件
文久三年十二月。
史実ではこのころ、薩摩藩の蒸気船「長崎丸」が長州藩の砲台から誤射・撃沈され
船は炎上・沈没し、乗組員68人のうち薩摩藩士ら28人が焼死、溺死する
事件が起きる時期である。
ここは東シナ海から関門海峡を抜け、瀬戸内海へと抜ける道中。
深夜の海を鋭く引き裂いて進む一隻の蒸気船があった。
──羽白丸。
元は英国海軍から「徴用(実質的な強奪)」した、アルバコア級ガンボート「ハボック号」である。
薩摩藩はこのイギリス製の頑丈な艦を、薩摩~長崎~大坂~江戸を結ぶ国内連絡用の貨客船として重宝していた。
この時代、何十人もの飛脚を使い、命がけで走らせても、天候の条件が良くて最短一週間はかかる薩摩・江戸間の通信。それがこの羽白丸を使えば、天候次第でわずか三日で移動できる。情報戦における、圧倒的な「戦略級チート兵器」であった。
通常であれば、不穏な動きを見せる長州藩を警戒し、太平洋側の「日向灘」から「豊後水道」を通って瀬戸内海へ入るのが安全ルートである。しかし、太平洋側は大荒れの悪天候予報。なおかつ、同乗している坂本龍馬の神戸へ帰る期限が迫っていたため、一行はあえて危険な東シナ海側から関門海峡へと突入するルートを選択していた。
船底の貨物室には、ギチギチに詰め込まれた黒砂糖の樽と、芋焼酎の瓶。そして、イギリスからせしめたばかりの最新鋭エンフィールド銃が詰まった木箱が、隙間なく並んでいる。
甲板上では、五代友厚が舵を握り、大久保一蔵(利通)や坂本龍馬と静かに言葉を交わしていた。
夜間とはいえ、天下の難所であり長州の目の前である関門海峡の通過だ。船員は全員が総員配置についており、いつどこから撃たれても大砲を打ち返せる「即応体制」を敷いている。船尾には「丸に十字」の島津の家紋旗。海外の軍艦と誤認されて無駄な戦いにならぬよう、わざわざ甲板にかがり火まで焚いて、煌々と自船を照らし出していた。
「……いや、驚いたちや。大久保さん、おまんら薩摩はイギリスの軍艦をパクって、それに砂糖と焼酎と大砲を詰め込んで大坂へ突っ込む気かえ? 豪快を通り越して、ただの悪党ぜよ!」
龍馬が白い歯を見せて豪快に笑うと、隣に立つ大久保は、眼鏡の奥の目をピクリともさせずに煙管をふかした。
「悪党で結構。陸路でちたらたらと飛脚を走らせ、関所で幕府に頭を下げて武器を運ぶなど、時間の無駄じゃ。この『羽白丸』を使えば、金も、武器も、おはんのような『おもしろい人材』も、すべて一瞬で京のへ送り込める。──五代、大坂の商人に砂糖を卸す準備はできとるな?」
操舵室から顔を出した五代友厚が、不敵に親指を立てる。
「万事抜かりありません、大久保兄さ。大坂の鴻池には、極上の黒砂糖と引き換えに、明日の朝一番で一万両の現金を……」
黒煙を吐き出しながら、時速十四キロ(約七・五ノット)で関門海峡の一番狭い海域を突き進む羽白丸。
──その瞬間、闇夜の向こう、長州側の「前田台場」が激しく火を噴いた。
「砲撃ッ!!」
ズドオオォォン!という腹に響く轟音と共に、わずか一キロ先から放たれた砲弾が羽白丸の至近の海面を爆らせ、巨大な水柱を上げた。
「敵、長州の前田台場! 直撃コースです!」
船員の悲鳴が響く。五代は即座に的確な判断を下した。
「取舵! 船尾を振れ! 砲台に腹を見せるな!船首を門司側に向けろッ!!」
船体を傾けながら急旋回し、砲台に対して投影面積の少ない船尾を向ける。と同時に、五代は叫んだ。
「船尾三十二ポンド砲二門、撃てッ!! 応射に構うな、そのまま全速で駆け抜けるぞ!」
ドン! ドン! と羽白丸からも激しい応射の火の手が上がる。
しかし、長州側の砲撃精度も高かった。次の一発が、不運にも羽白丸の後部マストの中間を貫いた。
「バリバリバリッ!」と凄まじい破壊音を立て、巨大な木柱がへし折れ、海面へと崩れ落ちる。
「くそっ、マストが引きずられて速度が落ちる!」
海面に落下したマストが、無数の頑丈なロープで船体と繋がったままブレーキとなり、羽白丸の速度がみるみる低下していく。長州の次の砲弾が周囲に着弾し、船体が激しく揺れる。
「斧を持ってこい! ロープを切れ! マストをパージ(切り離し)しろ!!」
五代の指示で、薩摩藩士たちが火花を散らすような勢いで斧を振るい、繋がったロープを叩き切った。ずるりと折れたマストが海へと沈み、羽白丸は再び元のスピードを取り戻す。
数人の船員がマスト落下の衝撃で負傷したものの、羽白丸の頑丈なイギリス製船体は致命傷を免れ、なんとか長州砲台の射程圏外へと執念で抜け出した。
「はあ……死ぬかと思ったがや」
龍馬が冷や汗を拭いながら、苦笑いを浮かべた。
「長州の奴ら、相手が薩摩と判った上で撃ってきよったな。あの騒動(八月九日の政変)で京から追い出された恨み、相当根に持っとるようだがや。ハハハ……すまんね、私が関門を通ろうなどと我がままを言ったばかりに」
「……いや」
操舵室の五代が、苦々しく呟く。
「まだ、ここ(関門海峡)を平然と通るには、時期が早すぎましたね」
緊迫した硝煙の漂う甲板で、大久保一蔵はただ一人、険しい顔のまま、闇の向こうの下関をじっと睨みつけていた。
その眼鏡の奥の瞳には、怒りを超えた、冷徹極まりない「計算」の光が宿っていた。
大久保の中で、長州という存在の「管理方法(扱い方)」が、完全に変わった瞬間だった。
(長州の奴らは、未だに『異国を打ち払う』などという時代遅れの狂信に取り憑かれ、手当たり次第に牙を剥く。ならば……よろしい。その『狂気』、我が薩摩の資金源、そして幕府をすり潰すための爆弾に仕立て上げてやろう)
大久保は静かに煙管の灰を叩き落とした。
長州は、薩摩の「羽白丸」を撃った代償として
この夜、長州は薩摩の工程表から外された。
大久保の中で、長州という藩の扱いが、この夜、完全に変わった。
同志ではない、火薬である。
幕府を砕くために、ちょうどよく燃やす火薬。
この日、長州は薩摩の維新計画から外された。
ただし、捨てられたわけではない。
もっと悪い、方法で使われることになったのである。




