【維新RTA編】英国海軍『完コピ』作戦3.2話『太平次丸』
文久四年一月。
吉野島津家の屋敷では、重苦しい沈黙のなか、激しい議論が交わされていた。
五代友厚(才助)、大久保一蔵、そして吉野の若。彼らの前に立ちはだかっていたのは、あまりにも巨大な「現実」――すなわち、金の壁であった。
京での過激な工作活動資金、捕虜返還に伴う英国艦隊の修理費用、さらには新型蒸気船『南海丸』の建造費。海外からの石炭や武器の調達に、大砲の鋳造。
「生麦の件で幕府からネコババした十万ポンド」という莫大な軍資金も、これだけの超高速軍拡を前にしては、ついに底が見え始めていた。
そこへ追い打ちをかけるように、幕府からの冷酷な返済要請が届く。
『英国艦をぶんどろうが、それが沈もうが知ったことではない。立て替えた十万ポンドは速やかに薩摩が支払え』
大久保が苦渋の表情で呟くなか、一同が頭を悩ませていると、じっと図面を見ていた若がぽつりと意見を出した。
「この軍艦を、どこかへ傭船できないだろうか?」
「若、商船ではなく軍艦を、ですか?」
五代が目を丸くして尋ねる。
「どこがそんなバケモノを借りてくれるというのです」
「幕府への返済と相殺するのだ。天狗党の乱や長州への対応で、奴らも船はいくらあっても足りぬはず。あるいは、内戦の続く清国(上海)へ売り込むか……」
若の言葉に、五代と大久保は一瞬目を輝かせた。しかし、希代の政治家とビジネスマンの頭脳が弾き出したリスクは、利益を遥かに上回った。
「いや、ダメだ。戦地でボロボロになって帰ってくる可能性もある。何より、余計な恨みを買う。傭船は悪手だ」
大久保が即座に否定的な首を振る。
「そうか、貸すのがダメなら……」
若は決まり悪そうに頭を掻きながら、本当に贅沢な独り言のようにポロっと言葉を漏らした。
「では、名前だけ売れぬか? 軍艦の名を、太平次に」
若が、ポロっと口にだす。
「「それだ!!」」
大久保と五代が揃えて返事を返す。
*
薩摩藩の密貿易を支え、「西の横綱」と称された豪商・濵﨑家。
その名を継いだ若き当主、第九代・濵﨑太平次。
先代である八代太平次の巨大な海運網と財力を受け継いだ男である。
濵﨑太平次から金を引き出す手段として、軍艦の名を売る。
それは、薩摩にとってあまりにも自然な発想だった。
軍艦を買うためなら、銃を買うためなら、留学生を密航させるためなら、平気で数万両をポンと出す男。
その男からさらなる巨費を合法的に「毟り取る」手段として、これ以上の名案はなかった。
*
ここは濵﨑太平次の自宅がある指宿宮ヶ浜沖
第九代・濵﨑太平次。
“西の横綱”と称された八代太平次の名と海運網を、前年に受け継いだばかりの、数えで二十歳の若き当主である。
鏡のように穏やかな春近き海に、修理を終えたばかりの英国旗艦『ユーライアラス』が、その圧倒的な威容を浮かべていた。
デッキの隅々まで案内する五代の「軍艦ツアー」を終えたあと、船上。五代は、まだ興奮冷めやらぬ太平次へ、懐から一枚の書状を取り出して不敵に笑った。
「才助さあ! おはん、また俺の懐から金を毟り取る気か!」
提案の全貌を聞いた太平次は、宮ヶ浜の海に響き渡るような声で頭を抱えて怒鳴った。
対して五代は、ニヤリと狐のような笑みを浮かべて返す。
「滅相もない。何をおっしゃいます、太平次さん。今度の船は、あの世界最強を誇る英国艦隊のド真ん中にいた、一番デカい大将首ですぞ。これを完璧に直して、我が薩摩の海に浮かべるのです」
五代はユーライアラスの巨大なマストを見上げた。
「――その船体に、太文字で『太平次丸』と墨を入れさせてもらいます。上海の海、果ては世界の海にその名が轟くと思えば、数万両など安い買い物でしょう?」
「太平次丸……」
太平次は、しばらく腕を組んで唸っていた。
その目は、すでに巨艦の船首に刻まれる己の名を幻視している。
上海の港に入る、元英国旗艦。
それを見上げる外国商人たち。
誰かが尋ねる。
あの船は何だ、と。
そこで五代が答える。
太平次丸です、と。
商人の血が騒いだ。
男の見栄が燃え上がった。
「……フン、乗ったが!」
太平次は、五代が持参したネーミングライツ契約書に署名した。
こうして英国海軍の誇り高き旗艦『ユーライアラス』は、世界に類を見ない商業契約によって、薩摩の超弩級広告戦艦『太平次丸』へと生まれ変わったのである。




