【維新RTA編】英国海軍『完コピ』作戦3
文久四年一月。
うっすらと雪化粧をした桜島を背景に、白い煙を大量に吐き出しながら、新たな船が錦江湾を進んでいた。
英国艦『パール』を三分の一規模で写し取った薩摩藩海軍船――『南海丸』である。
全長三十五メートル、幅八メートル、排水量はおよそ七百トン。
本家『パール』の二千百トンには及ばぬものの、薩摩が独力で造り上げた軍船としては破格であった。
機関には、薩摩製の蒸気二気筒ピストン機関、約百馬力を搭載。
推進はスクリュー式。
本来なら石炭を焚かせたいところであったが、薩摩では安定して確保できない。
そのため燃料は薪である。
その結果、南海丸は白煙をもくもくと吐きながら、六ノットほどの速力で海を進んでいた。
『パール』の半分ほどの速さではあったが、それでも十分に“走っている”と言えた。
武装もまた、薩摩の執念の結晶であった。
舷側には薩摩製八インチ前装滑腔砲を左右四門ずつ、計八門。
さらに前後には旋回式八インチ砲を一門ずつ、計二門。
薩摩の技術と執念、そしてネコババした十万ポンドが生み出した、日本初の、薩摩式『戦艦』である。
*
試運転。
舵を操りながら、五代が満足げに語る。
「本当なら、上海から石炭を取り寄せて食わせてやりたいところですが、
薩摩の木を燃やしてこれだけ走れば上出来ですな。
正真正銘、薩摩の『戦船』です」
南海丸は白煙を引きながら、冬の錦江湾を力強く進んでいく。
その姿を、磯浜から大久保一蔵が見つめていた。
西郷吉之助が消えた、花倉沖の海。
大久保は海に向かって叫んだ。
「吉之助さあー! あの船で、迎えに行くからなあ!!」
その目が見つめていたのは、西郷と共に目指すはずだった、その先。
はるか向こうの江戸の空であった。
そして磯浜では、すでに同型艦二隻の建造が始まっていた。
薩摩の『戦艦』は、ついに量産体制へと入ったのである。
*
一方、英国との講和・捕虜返還交渉も完了した。
十万ポンド、そして『ユーライアラス』『パール』『ハボック』の三隻は、賠償艦として薩摩が没収。
特に小型で足の速い『ハボック』は、のちに『羽白丸』と名を改め、薩摩と長崎、大坂、江戸を結ぶ連絡船として酷使されることになる。
『ユーライアラス』は『太平次丸』 『パール』は『真珠丸』と名を変え薩摩海軍の主力として運用されるようになる。
代わりに、薩摩の手で修理された英国艦『アーガス』『レースホース』『コケット』の三隻が、英国の捕虜たちを乗せて横浜へと送り返されることになった。
その傍らには、護衛と威嚇を兼ねて、薩摩が造り上げた『南海丸』が堂々と並走していた。
それから数ヶ月――。
文久は元治へと改まり、
春の海。
薪で走る戦船はできた。
だが、海軍を作るには石炭が要る。
薪では足りない。
錦江湾を走るだけならともかく、大坂へ、江戸へ、上海へ、そしてその先へ進むには、黒い石が必要だった。
五代をはじめとする薩摩の使節団を乗せた新たな船が、次なる野望と、さらなる石炭調達の命を帯びて、上海へ向けて錦江湾を出発していった。




