【維新RTA編】 勝ちは使わねば腐れる。
文久三年七月四日。
夏の日、薩英戦争は終わった。
錦江湾には、まだ硝煙の匂いが残っていた。
仙巌園へは、戦利品が次々と運び込まれている。
砲。
弾薬。
測量器具。
壊れた蒸気機関の部品。
そして、薩摩が英国から奪い取った、近代そのもの。
その横で、大久保一蔵は蒸気船『白鳳丸』に乗り込もうとしていた。
小松帯刀が問う。
「もう京へ?」
小松としては、大久保にも戦後処理に残ってほしかった。
英国との交渉。鹵獲品の整理。藩内の統制。
薩摩が勝った後にこそ、片付けねばならぬものは山ほどある。
だが、大久保は振り返らずに答えた。
「勝ちは使わねば腐る」
小松は、しばし黙った。
そして、苦笑した。
「……後始末は、こちらで引き受けましょう」
「頼む」
それだけ言って、大久保は船に乗った。
『白鳳丸』に乗り込んだ者たちは、ただの随員ではなかった。
朝廷、公家工作のための月照。
のちに日本警察を作る男、川路利良。
大久保と月照の護衛として、村田新八。
荒事を任せるための黒田清隆。示現流の使い手にして、砲術を知る男である。
そして、尊攘の火薬庫
月照を救った男 元福岡藩士、平野国臣。
なお、船の指揮を執るのは五代友厚である。
行き先は京ではない。
まずは大坂。
そこから商人に姿を変え、京都へ入る。
「薩摩ができるならば、長州にもできる。長州はそう考える」
船上で、大久保はそう言った。
「長州は京で暴発する」
それは予言ではない。
計算だった。
薩摩が英国に勝った理由を、大久保は知っていた。
吉野の技術。錦江湾の地形。
そして、島津が積み重ねてきた戦の知恵。
「長州は関門海峡で同じことをするつもりだろう。だが、あそこでは無理だ。狭すぎる。外国船がわざわざ奥へ誘い込まれる理由もない。あそこで同じことをすれば、下関も、門司も、小倉も焼かれる」
朝日に光る海を見ながら、五代友厚が言った。
「大久保さん、世界は広い。この船より大きな船が、海を埋め尽くすように走っている。英国に勝ったといっても、あれは英国の端を少し噛んだだけです」
「ならば、急がねばならん」
「ええ」
「長州が国を焼く前に。幕府が国を売る前に。京が戦場になる前に」
白鳳丸は瀬戸内へ入った。
大坂で上陸した大久保一行は、商人に変装し、京都の薩摩屋敷へ向かった。
京の薩摩屋敷では、吉井友実が待っていた。
「京はまだ、薩摩が敗北したと思っているのか?」
大久保が問うと、吉井は頷いた。
「英国軍艦が鹿児島へ向かったことは知れ渡っています。ですが、結果はまだ届いておりませぬ」
「ならば、こちらの勝ちだ」
噂より早く、勝者本人が京に入ったのである。
月照はすぐに、公家宛ての密書を書き始めた。
『英国を退けたのは、ひとえに帝の御徳である。
そして、その御徳を形にしたのは薩摩である。』
その文言は、薩摩の勝利をただの軍功ではなく、朝廷を守る力の証明へと変えるためのものだった。
つまりは口だけの長州と違って薩摩は実行したと!
一方、大久保は平野国臣に銭を与え放置した。
ただし、その前に、ひとつだけ話を吹き込んでおいた。
英国艦隊の旗艦ユーライアラスが、錦江湾に沈んだ。
幕府が英国へ渡した十万ポンドも、海の底へ消えた。
事実ではない。
沈んだのはパーシュースである。
だが大久保は、沈んだパーシュースと、英国が幕府から得た十万ポンドを積んでいたユーライアラスを、噂の中ですり替えた。
大久保は10万ポンドのネコババと同時に幕府と英国の威信も噂で錦江湾に沈めた。
平野国臣は、嘘を広めているつもりなどなかった。
彼にとっては、薩摩が英国を沈めたことが真実だった。
その真実は、語るたびに熱を帯び、形を変え、やがて京の尊攘派の耳へ届いた。
「聞いたか。エゲレスの総大将が乗った旗艦、ゆーらいあらすが薩摩の海に沈んだんじゃ」
平野は長州や土佐の志士たちを前に、目を血走らせて語った。
「ワシはこの目で見た。幕府が英国に渡した十万ぽんども、海の底じゃ。薩摩はやったぞ。夷狄の旗艦を沈めたんじゃ」
その話を信じ10万ポンド目当てに京の志士崩れが、いずれ異世界の西郷のもとへ流れ着くことになるのだが、それはまた別の話である。
平野の熱弁を聞いた長州藩士たちは、凄まじい焦りを覚えた。
薩摩は英国艦隊の旗艦を沈めた。
幕府から英国へ渡った十万ポンドすら海に沈めた。
ならば、このままでは攘夷の主導権を薩摩に奪われる。
薩摩にできた。
ならば長州にもできる。
そう思わせた時点で、大久保の工作は半ば成功していた。
文久三年七月十二日。
まだ薩摩の勝利は、大久保以外の口から京へ広がってはいなかった。
京に流れ始めた最初の勝利の噂は、すでに大久保によって形を変えられていた。




