【鹿児島観光編】城山町 大久保利通像前
ここは鹿児島市城山町。
吉野島津重工業本社前、鹿児島市地下鉄・中央公園駅三番出口を上ったところにある、大久保利通像前広場だ。
テレビで鹿児島が紹介される時、だいたい映る場所だね。
大久保利通は、みんな知っているよね。
日本近代化の父。
国父。
そして、一万円札の人。
日本がここまで大国になったのは、彼のおかげだよ。
え?
ここには西郷隆盛像?が?
大久保像は高見橋の甲突川左岸緑地?
隆盛?どなた?
吉之助のことかな?
大久保利通が建てた西郷吉之助像なら、高見橋の甲突川左岸緑地に建っているよ。
銅像の位置史実とは逆だよ。
路面電車通り沿いにあるし、天文館電停からなら二系統、四系統、七系統のどれかに乗ればすぐだよ。
地下鉄なら、ここの中央公園駅から中央駅まで一駅。そこから歩いて八分くらいかな。
降り損ねたら、鹿児島空港(鴨池)駅まで連れていかれるよ、寝過ごさないでね。
あそこに観光ボランティアがいるよ。
青いTシャツの少女が、大勢の観光客に向かって説明している。
高校生くらいかな。
観光ボランティアガイドとは偉いね。
少し、お話を聞いてみよう。
「みなさん、こんにちは!!」
「こんにちは……」
「はい? 聞こえないよ、こんにちは!!!!」
観光ボランティアなのに、圧が強いなこの子。
「こんにちは!」
「はい、よくできました」
少女は満足そうにうなずいた。
「皆さん、この正面の銅像の方、ご存じですよね?」
少女は大久保利通像を指さした。
「ご存じ、国父・大久保利通です。皆さんのお財布の中にも、たくさんいらっしゃいますよね? 一万円札の人です」
観光客たちが笑う。
「彼は文政十三年八月十日、西暦一八三〇年九月二十六日、鹿児島市の高麗町で生まれました。幼少期に加治屋町へ移り住みます」
少女はすらすらと続けた。
「子供のころは、禁忌とされていた桜島の火口に石を投げたり、温泉に引き込む滝水の量を勝手に変えて温泉客を驚かせたりする悪戯小僧でした」
そこで少女はにっこり笑った。
「これ、ウィキペディアからの引用です! ははっ!」
持ちネタなのだろう。
観光客たちから笑いが起きた。
「武術は胃が弱かったため得意ではありませんでしたが、学問では郷中の中でも抜きん出ていました」
少女は大久保像を見上げる。
「その後、島津斉彬に見いだされ、次の藩主の父である島津久光のもとで、明治維新のプランニングを行います」
「薩英戦争後の京都工作では大活躍。倒幕、明治維新、そして近代日本建設の最大の功労者となりました」
少女の声が、少しだけ熱を帯びる。
「江戸開城時の東京最後の戦災――幕府側の江戸焦土作戦。その後、焼け野原となった江戸を、近代都市・東京へと大改造した男です」
観光客の何人かが、感心したようにうなずいた。
「東京を大都市に育てた後、明治三十一年五月十四日、東京の自宅で亡くなりました。六十九歳でした」
「ヘビースモーカーだった彼は肺を病みましたが、医者に止められてもパイプを手放せず、亡くなる日まで手にはパイプと東京の地図を持っていたと言われています」
「墓所は東京の青山霊園にあります」
観光客から拍手が起きた。
少女は一礼し、少し声の調子を変えた。
「彼の人生には、何度か大きなターニングポイントがあります。その中でも、特に大きかったのが、盟友・西郷吉之助との死別だと言われています」
観光客たちの空気が少し変わる。
「西郷吉之助は、今でこそ大久保利通の友人として知られる薩摩藩士ですが、当時はまだ無名に近い人物でした」
「彼は京から月照を薩摩へ連れてくることに成功します。しかし月照の処刑を憐れみ、錦江湾に入水。月照だけが生き残り、西郷吉之助は行方不明となりました」
少女は一拍置いた。
「明治になってからは、海の底の国で帝国設立した、という流言も流れたそうです」
「西郷吉之助像は、高見橋の甲突川左岸緑地にあります。明治十一年、大久保利通が建てた像です」
「大久保は鹿児島に帰るたび、その像へ通ったと言われています」
少女は大久保像の右手側へ視線を向けた。
「そして大久保像の右側に見えるのが、重要文化財の鶴丸城です。大正末期まで鹿児島県庁舎として使われ、県庁移転後は文化財として保護されています」
一通りの観光案内が終わると、少女はまた明るい声に戻った。
「記念写真どうですか? シャッター押しますよ!」
観光客たちが笑いながら列を作る。
その背後で、大久保利通像は静かに錦江湾の方角を見つめていた。
西郷吉之助が消えた海の方を。
この世界 大久保像と 西郷像の位置が逆です。
高見橋の吉之助像は軍服姿ではなく、若いころの大久保の記憶の中の西郷です。




