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【維新編】西郷無き世界での大いなる呪い

まあ、史実でも島流し中の西郷は不在なのだが。


Wikipediaからの引用だが、史実では以下の通りである。

薩英戦争さつえいせんそうは、文久3年7月2日 – 4日(新暦: 1863年8月15日 – 17日)、薩摩藩と大英帝国の間で起こった戦闘である。前年に発生した生麦事件の解決と補償を艦隊の力を背景に迫るイギリスと、主権統治権のもとに兵制の近代化で培った実力でこの要求を拒否し防衛しようとする薩摩藩兵が、鹿児島湾で激突した』

以上、Wikipediaからの引用。


では、この世界ではどうなったか見てみよう。


前日に谷山沖に投錨した英国艦隊は、6月28日(8月12日)、鹿児島城下・前之浜の約1km沖に投錨。国書を薩摩藩に渡し、生麦事件の犯人の逮捕と処罰、そして賠償金2万5000ポンドを要求した。

薩摩藩側は翌日に鹿児島城での会談を要望したが、英国側はこれを拒否。早急な回答を求めた。

これに対し、奈良原喜左衛門(繁)、海江田信義、黒田清隆、大山巌らはスイカや食物を売るふりをして英国艦隊に近づく決死隊を企てたが、英国側は警戒してスイカ売りを船上に上げなかった。


スイカ売り作戦は史実通り、失敗した。


翌々日の7月1日(8月14日)、ニール代理公使は島津家の使者に対し、「要求が受け入れられない場合は武力行使に出る」と通告した。


この日は悪天候。風が強く、船には酷な環境である。

武力行使の通告を受けて、藩主・久光は本陣の吉野島津家から迎撃作戦へGOサインを出した。

磯山砲台から、吉野の若・島津重明は旗振り通信を用い、城下の砲台と町田、五代へ作戦実行の指示を出す。


御船奉行である町田久成や五代らは、桜島の小池に隠していた蒸気船『天佑丸』と『白鳳丸』の2隻を指揮して英国艦隊へ接近。船尾から小さな大砲を発射し、ついでに一斉に小銃を撃ち込んで、錦江湾の奥へと全力で逃げ出した。

大砲は当たらなかったものの、旗艦ユーライアラスの甲板員が小銃の凶弾に倒れ、ケガをした。


英国側のキューパー提督は「あのような小船、相手をする必要が無い」と判断したが、負傷者を出したユーライアラス船内では甲板員たちの不満が高まり、対応せざるを得なくなった。

提督は『パール』と『コケット』の2隻を追撃に参加させた。

しかし、ユーライアラス以下の残り5隻は鹿児島沖に投錨したままである。薩摩側は「全艦隊が追いかけてくる」想定で計画を立てていたため、ここは半分成功といったところだ。


2隻が追撃を始めると、囮砲台である三船砲台と、祇園洲砲台が火を噴きだした。

ここから撃ち込まれたのは従来の鉄の丸い砲弾であり、せいぜい発射から1キロちょっとしか届かない。英国艦隊は位置を微調整し、祇園洲砲台に向けて余裕の砲撃を開始した。


――その瞬間である。


薩摩側は一斉に『タケノコ』弾での射撃に切り替え、長射程砲撃を実施。同時に、新波戸砲台、辨天波戸砲台、そして桜島側の小池砲台(現・桜島自然恐竜公園の位置)から猛烈な砲撃を開始した。


英国艦隊は、突如として自艦のすぐ近くに立ち上る巨大な水柱に慌てふためいた。投錨していた船はたまらず錨を切り離し、錦江湾の奥へ移動し始める。

背後にある天保山砲台や大門口砲台からの長射程砲撃により、退路を塞ぐように水柱が立ち上がっていたからだ。


昼を過ぎたころ。錦江湾奥へ逃げ込む英国艦隊の旗艦ユーライアラスの真上から、磯山砲台より放たれたタケノコ砲弾が降り注いだ。

重力で加速した尖頭弾は甲板を容易く貫き、蒸気管を破裂させ、ボイラー周辺を激しく損傷させて船底近くまで達し、致命的な浸水を引き起こした。


さらに『パーシュース』も、2発のタケノコ砲弾が真上から船底までボイラーを損傷して水蒸気爆発が発生、漂流し竜ヶ水沖で沈没した。


英国艦隊側は「錦江湾からの脱出不能」と判断し、白旗を揚げて降伏したのだった。


一方、桜島を東側から回り込んで町田と五代の2隻を追いかけていたパールとコケットも、牛根に隠されていた砲台からの激しい十字砲火を受け、2隻とも中破。桜島を一周して艦隊に合流した時には、すでに旗艦の降伏判断を受け入れるしかなかった。


旗艦大破、パーシュース沈没、退路封鎖により、英国艦隊は一時停戦を申し入れた。

薩摩側はそれを降伏として扱い、武装解除と乗員の保護を行った。


戦利品を仙巌園に運び込んだと聞き、久光や小松帯刀は戦利品を見にきて大慌てした。

そこには、最新鋭のアームストロング砲や大砲、船の蒸気機関とボイラー、大量の重火器。

さらには、イギリスが幕府から賠償金としてせしめていた金品『10万ポンド』が積まれていたのだ。


この10万ポンドの扱いをどうするか。幕府へ返却するか、英国に返却するか、薩摩でネコババするかで激しい議論が割れたが――。

最終的に、「この金品は沈没したパーシュースに積まれており、海の底へ消えた(あるいは旗艦ユーライアラスの沈没騒ぎで紛失した)」ことにして、堂々とネコババしたのだった。


この薩英戦争の完全勝利により、攘夷派の影響力は爆発的に拡大。薩摩藩が攘夷派の急先鋒として、反幕の絶対的なキーパーソンになっていくのだった。


しかし、大久保や小松は島津の若は気を引き締める。

英国に勝ったのではない、錦江湾の地形と釣り野伏という、薩摩の遺産と、斉彬公の残した

吉野島津家のおかげ、もう一度外洋で戦えば負ける。


攘夷を叫ぶ者には勝利を見せる。

開国を進める者には英国の恐ろしさを見せる。

幕府には砲を見せる。

朝廷には金を見せる。


すべてを使って、まつりごとを返させる。


捕虜返還の交渉により、英国との強力なコネクションができ、金さえ出せば自由に最新の武器を購入できる立場にもなった。

最新の兵器工廠である仙巌園も、焼けずに無傷で残っている。


かくして薩摩は、英国に勝ってしまった。

もうこれは呪いである。

勝ってしまった以上、もう後戻りはできない。

金と砲と捕虜と沈没艦を抱えたまま、薩摩は「薩摩主導の大政奉還」という、史実よりもはるかに力任せな未来へ踏み込んでいく。

あ、これ異世界ハイファンタジーです。(免罪符)

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