【維新編】薩英戦争合戦準備
文久2年8月21日(1862年9月14日)。武蔵国・横浜の生麦村。
そこで『生麦事件』は起きた。
大名行列を、イギリス人商人の一行が馬に乗ったまま横切ったのだ。
結果は火を見るよりも明らか――『チェスト』である。死者1名、負傷者2名。
幕府内で福沢諭吉らが英国側の要求を翻訳した。本来は「犯人・首謀者の処罰」を求める内容だったのだが、幕府内の伝言ゲームによって「久光の首を差し出せ」という最悪の形で伝わってしまう。
それを受け取った薩摩藩は、いずれ来るであろう英国艦隊を迎え撃つ気であった。
久光らが薩摩に帰還してすぐ、対策チームが発足した。
ここは吉野島津家屋敷、二階の若の部屋。錦江湾が一望できる場所である。
中央には錦江湾の正確な地図が広げられていた。
集まったメンバーは以下の通り。
・作戦統括兼交渉担当(家老):小松帯刀
・動員、兵站担当:大久保一蔵(利通)
・海軍担当(御船奉行):町田久成、補佐として五代才助(友厚)
・砲術の専門家:大山弥助(大山巌)
・スイカ売り決死隊などを立案した:奈良原喜左衛門(繁)
・吉野島津家の若(技術担当):島津重明
大久保は心の中で思う。(こんな時に、吉之助さあが居てくれたならば……)
なお、この時期、吉之助(西郷隆盛)は大久保と手紙のやり取りこそしていたが、沖永良部島へ流刑中であるため、史実通り薩摩には不在であった。
大久保が、温めていた計画を次々と話し出す。
「まず、ここ(吉野島津家屋敷)を本陣とし、久光様の避難所とします。ここなら錦江湾を見渡せ、手旗信号で城下と直接やり取りができますゆえ」
「仙巌園を守るために、花倉に囮の砲台を設置。そして仙巌園にも隠し砲台を設置する」
中央の地図を指指しながら説明を行う。
砲術の専門家である大山が続けて口を開く。
「現在、砲撃試験を行っている磯山砲台に大砲を増やし、英国船を上から撃ち下ろす形にする」
海外の武器事情に明るい五代が懸念を口にした。
「しかし、英国の砲は射程が長いと聞きます。我々の砲が届く位置まで、素直に近づいてくれるかどうか……」
「そのための、町田殿と五代殿です。お二人には囮となっていただく。」
「英国艦隊は、こちらの砲台の射程を測りながら動くはず。ならば、見せる砲台と、見せぬ砲台を分ける」
大久保が不敵に笑いながら語る。
「囮、ですか」
五代が呟く。
「そうです。海の釣り野伏です」
「それに、奴らの射程外からでも届く砲弾ならある。吉野の若様が作った『タケノコ』がな」
大山がニヤニヤしながら言った。
*
場所を移して、ここは磯山砲台。
重明は小松と五代に望遠鏡を渡し、「あの辺りを見ておれ」と告げる。
大山と重明が、大砲の発射準備を進める。
重明は手旗信号で、湾の向こう側の「どこか」へ合図を送っていた。
発射準備を終えた直後――対岸の桜島で、ドォン!という砲撃の音と、煙、そして光が上がる。
その瞬間に合わせて、磯山砲台で大山が砲を放った。
数秒後、桜島の赤水沖で巨大な水柱が上がる。
磯山砲台から約5キロ先、現代の『溶岩グラウンド』にあたる位置である。
五代は戦慄した。異常な長射程兵器の存在、そして、今の桜島でのダミーの砲撃の意味に気づいたのだ。
幕府の隠密の目から、この長射程兵器の存在と発射地点を隠匿するための、偽装工作。
町田と五代は、互いに顔を見合わせた。
英国艦隊を釣る。
世界最強の海軍を、錦江湾の内へ誘い込む。
正気の沙汰ではない。
町田と五代は、腹を括って力強く返す。
「……釣り役は任せてください。我らの他に、適任などおらんでしょうからな!」
吉野島津家の若(技術担当):島津重明 は 創作の人物です。




