31-8
ミカゲの腕の中で、まふゆの思考は完全に停止していた。
彼の鼓動が、抱きしめられた胸を通して伝わってくる。力強く、速く、そして温かい。
それは、紛れもなく生きている音だった。
「あんたは、代用品なんかじゃない。俺が愛しているのは、ユキじゃない。……まふゆ、あんただ」
鼓膜を震わせた言葉が、凍りついていた心をゆっくりと溶かしていく。
嘘だ。そんなはずがない。
だって、自分は偽物で、彼の初恋の相手は、今、すぐそこに立っているのに。
「……嘘や……」
か細く、震える声が漏れる。
「だって、うちは……ユキさんに、似てるから……」
「似ているから、気になったのは事実だ」
ミカゲは、苦しそうに、しかし目を逸らさずに言った。
「最初は、そうだったのかもしれない。あんたの中に、あいつの幻影を見ていたのかもしれない。だが……違うんだ。学園であんたと過ごすうちに、俺は……あんたの優しさに、温かさに、どうしようもなく惹かれていった。俺が見ていたのは、いつの間にかユキじゃない。まふゆ、あんた自身だったんだ」
彼の言葉は、懺悔のように、そして愛の告白のように響いた。
過去を認め、その上で、今の想いを必死に伝えようとしてくれている。
「なのに、俺は……あんたを傷つけた。絶望させた。本当に、すまない……」
抱きしめる腕に、さらに力がこもる。まるで、二度と離さないとでも言うように。
その時だった。
背後から、パチパチ、と拍手の音が響いた。
「……見事な愛の劇場ね。感動で涙が出そうだわ」
声の主は、もちろんユキだった。
彼女は腕を組み、面白そうに二人を見つめている。その表情に、嫉妬や怒りの色は見られない。ただ、純粋な好奇心と、どこか諦観にも似た静けさだけがあった。
「私の負け、かしら。クロ……いえ、ミカゲ。あなたは、三百年の呪いから、ようやく解き放たれたのね」
ユキはふっと寂しそうに微笑んだ。
「あんたは……」
ミカゲが、まふゆを腕に抱いたまま、鋭い視線をユキに向ける。
「驚いた?これはあの子……アリスの身体を借りているだけ。私の魂は、とっくの昔に白檻会の魔導機の核になって、砕け散ったわ。これは、その残滓……残留思念のようなものよ」
彼女の言葉は、衝撃的な事実を淡々と告げていた。
「賭けは、私の負け。だから約束通り、彼の全てを受け入れて、愛してあげなさい、まふゆ」
ユキはまふゆに視線を移し、悪戯っぽく片目を瞑る。
「でも、忘れないで。彼の初めてを奪ったのは、この私だっていうことだけはね」
その言葉を最後に、ユキの身体が再び淡い光に包まれ始めた。
まふゆにそっくりだった姿はみるみるうちに縮んでいき、元の、口数の少ない金髪の少女──アリスの姿へと戻っていく。
光が完全に消えた時、そこに立っていたのは、何が起きたのか分からないといった表情で、きょとんと目を瞬かせるアリスだった。
牢獄に、束の間の静寂が戻る。
ミカゲの腕の中、まふゆはまだ混乱の中にいた。
けれど、彼の確かな温もりと、先程の力強い告白が、疑いようのない真実として、胸の奥にじんわりと広がっていく。
自分は、代用品じゃなかった。
彼は、自分を見てくれていた。
その事実だけで、枯れたはずの涙腺が、また熱を持つのだった。




