30-3
その言葉は、静かでありながら、まふゆの絶望した心の奥底に、鋭い楔のように打ち込まれた。
賭け。
ユキと、自分で。
ミカゲが本当に愛しているのはどちらなのか、と。
「……何を、言うてはるの……」
まふゆはかろうじて声を絞り出した。
馬鹿げている。そんな賭けに、何の意味があるというのか。
答えはもう、エドウィンの言葉によって示されたではないか。ミカゲが追っていたのは、三百年前の幻影。自分ではなかった。
「ふふ、分からないかしら?簡単なことよ」
ユキはアリスの姿のまま、まふゆの頬を撫でていた指を離し、自分の胸にそっと手を当てた。
「彼は、必ず助けに来るわ。あの愚直なまでに一途な犬は、あなたが私と似ていようがいまいが、二度も目の前で女を攫われる屈辱を、己に許したりしない」
その言葉には、絶対的な確信が込められていた。三百年の時を経ても、彼の本質は何も変わっていないのだと、ユキは知っている。
「その時よ」
ユキの菫色の瞳が、妖しい光を湛えて細められる。
「彼が助けに来たその時、彼の目の前に、あなたと私が並んで立っている。どちらも危機に瀕している状況で……彼は、どちらの元へ最初に駆け寄るのかしらね」
「……っ!」
まふゆは息を呑んだ。
想像してしまった。ミカゲが、迷うことなくユキの元へと駆け寄る姿を。
そして自分は、その光景をただ見ていることしかできない。それは、死よりも残酷な仕打ちだった。
「そんなん……答えは、決まってる……」
まふゆは俯き、震える声で呟いた。
「彼は、あなたを……」
「本当にそうかしら?」
ユキはまふゆの言葉を遮り、くすくすと喉を鳴らした。
「確かに、彼は三百年もの間、私に囚われてきた。私の影を追い続け、あなたの中に私の面影を見た。それは事実よ。でもね」
ユキはまふゆの耳元に顔を寄せ、熱を帯びた声で囁いた。
「彼の凍てついた心を溶かし、再び感情というものを教え、安らぎを与えたのは、一体誰だったかしら? 私が与えられなかったものを、彼に与えたのは……あなたでしょう、まふゆ」
その言葉は、毒のように甘く、まふゆの心を蝕んでいく。
やめて。
そんな希望を、抱かせないで。
「だから、賭けをしましょうと言っているの。もし彼が私の元へ来たのなら、あなたは潔く身を引きなさい。彼の心は永遠に私のものよ」
「……」
「でも」
ユキは一度言葉を切り、まふゆの瞳を真っ直ぐに見据えた。
「もし、彼があなたの元へ駆け寄ったなら……その時は、彼の全てを受け入れてあげて。彼の過去も、三百年間私を想い続けた罪も、全てを赦し、愛してあげなさい。……それが、賭けのルールよ」
ユキの提案は、悪魔の囁きそのものだった。
どちらに転んでも、待っているのは地獄だ。
それでも、万に一つ、億に一つの可能性に縋ってしまいたくなる自分がいた。ミカゲが自分を選んでくれるという、淡く、愚かな希望に。
「さあ、どうするの? このまま絶望の中で物言わぬ人形になるか、それとも……最後の最後に、真実をその目で見届けるか」
ユキは問いかける。
揺れる馬車の中、鉄格子の隙間から差し込む冷たい月明かりが、瓜二つのアルビノエルフの顔を、残酷なまでに美しく照らし出していた。




