29-6
「来るな!」
ミカゲの咆哮が、閃光に満たされた部屋に響く。
彼は血に濡れた短刀を振るい、波のように押し寄せる白装束たちを切り伏せていく。
だが、一人を倒しても、すぐに二人、三人と新たな敵がその隙間を埋めてくる。影を失った彼は、もはやただの腕の立つ少年でしかなかった。
キリがない。
じりじりと後退させられ、彼の背中はついに壁に追い詰められた。その身体には、浅いが無数の切り傷が刻まれ、闇色の装束を更に黒く濡らしていく。
「クロ……!」
彼の背後で、ユキが悲痛な声を上げる。自分を守るために傷ついていく少年の姿が、彼女の心をナイフのように抉った。
仮面の男は、その光景を冷ややかに見下ろしていた。
「無駄な抵抗はそこまでだ。小僧、お前の忠誠心は見事だが、多勢に無勢という言葉を知らんわけではあるまい」
男が合図をすると、白装束の一人がユキの腕を強く掴んだ。
「きゃっ……!離して!」
「ユキ!」
ミカゲがユキを助けようと一歩踏み出そうとする。だが、その瞬間、数本の刃が彼の喉元に突きつけられた。
ほんのわずかでも動けば、その喉は切り裂かれるだろう。
「……っ」
ミカゲは屈辱に歯を食いしばり、動きを止めるしかなかった。その黒曜石の瞳が、ユキを掴む男を射殺さんばかりに睨みつけている。
「話が早い」
仮面の男は満足そうに頷くと、捕らえられたユキの前に立った。
「さあ、姫。我々と共に来ていただこう。貴様のその稀有な力は、我々の理想のために、大いに役立ってもらう」
「……あなたたちの理想ですって?」
ユキは恐怖に震えながらも、その瞳には強い侮蔑の色を浮かべていた。
「エルフを物のように扱い、命を弄ぶことが、あなたたちの理想だというの……!?」
「理想のためには、多少の犠牲はつきものだ。貴様の犠牲が、世界に新たな秩序をもたらす礎となる。光栄に思うがいい」
男の言葉は、ユキの最後の希望を打ち砕いた。
実験される。物として、扱われる。その先にあるのが緩やかな死か、あるいは永遠の苦痛か。どちらにせよ、人としての尊厳を奪われる未来しか待っていない。
そんなのは、死ぬよりも辛い。
ユキは、喉元に刃を突きつけられ動けないミカゲを見た。彼の瞳には、無力な自分への怒りと、ユキへの申し訳なさが渦巻いている。
──ああ、そうだった。
彼は、私を殺しに来た暗殺者だった。
「……クロ」
ユキの声は、驚くほど静かだった。
彼女は自分を捕らえる男の手を振りほどこうともせず、ただ真っ直ぐにミカゲを見つめる。
「私を殺して」
「……なっ」
ミカゲの瞳が、驚愕に見開かれた。
「実験されるくらいなら、あなたの手で死にたい。それがいいわ」
ユキは、まるで夢見るように微笑んだ。その笑みは、絶望の淵で咲いた、狂おしいほどに美しい花だった。
「思い出して。あなたの最初の任務は、何だった?……私の暗殺でしょう?」
彼女の声が、熱を帯びていく。
「さあ、今すぐ任務を遂行なさい!これは命令よ!私が、あなたに与える最後の命令!私を殺して!」
その言葉は、呪いのようにミカゲの心を縛り付けた。
殺す?
この女を?
一年間、共に過ごした。彼女の我儘に振り回され、彼女の歌を聴き、彼女の孤独に触れた。道具だったはずの自分に、感情という名の毒を注ぎ込んだ、この女を。
──できない。
喉元に刃を突きつけられたまま、ミカゲは無意識に後ずさった。
短刀を握る手が、カタカタと震える。
ユキの懇願が、白装束たちの嘲笑が、部屋中の全てが、彼を責め立てているようだった。
「どうしたの、クロ!早く!」
「殺して!殺してよ!」
「私を……ひとりにしないで……っ!」
最後の言葉は、悲鳴に近かった。




