28-6
夜の静寂を切り裂く、低く、獣のような唸り声。
ミカゲの振り払った手は、まだ熱を持っているかのようだ。触れてしまった肌の、一瞬の柔らかさと温もりが、まるで火傷のように彼の神経を逆撫でする。
彼は激しい自己嫌悪と恐怖に震えていた。これ以上、この女に心を乱されたくない。道具であるべき自分が、壊れてしまう。
目の前で、ユキは目を見開いたまま固まっていた。
その白い頬に、ミカゲが振り払った衝撃で赤い筋がうっすらと浮かんでいる。
しかし、彼女の瞳に宿ったのは、恐怖や怒りではなかった。
それは、まるで大切なものを失いかけた子供のような、深い悲しみと狼狽の色だった。
「……嫌よ」
か細く、しかしはっきりとした声が、震える唇から紡がれる。
ユキは振り払われた手を、もう片方の手でぎゅっと握りしめた。まるで、行き場のない痛みを堪えるかのように。
「あなたに拒絶されたら、私、ひとりぼっちになっちゃう」
その言葉は、ミカゲの胸に重く突き刺さった。
ひとりぼっち。
その言葉が、なぜこれほどまでに心を揺さぶるのか、彼には理解できなかった。影人として、彼は常に孤独の中にいた。
孤独こそが彼の世界そのものだったはずだ。
「……俺は、お前の友達ではない」
ミカゲは、自分に言い聞かせるように吐き捨てた。
「ただの、任務だ。話し相手という、任務を遂行しているだけだ」
「嘘」
ユキは即座に否定した。その瞳から、大粒の涙がぽろりと零れ落ちる。
「嘘よ。だって、あなたの瞳が揺れてる。私の歌を聴いて、私の言葉を聞いて、あなたの心が動いているのを、私は知ってる」
彼女は涙を拭うこともせず、一歩、ミカゲににじり寄った。
ミカゲは反射的に身構えるが、彼女の纏う悲痛な空気に、後ずさることができない。
「友達じゃなくてもいい。犬でも、道具でもいいわ。でも、拒絶しないで。私を見て、私の声を聞いて。あなたがそうしてくれるだけで、私は、この退屈な世界で息ができるの」
その姿は、これまでミカゲが見てきた、気まぐれで、少し意地悪な姫の姿ではなかった。
ただ、孤独に怯える、か弱い一人の少女の姿だった。
「お願い、クロ……。私を、ひとりにしないで……」
それは、命令でも、挑発でもない。
心の底からの、悲痛な懇願だった。
ミカゲはその言葉を前に、完全に動きを止めてしまった。
殺意も、怒りも、拒絶の意思さえも、彼女の涙の前で霧散していく。
どうすればいい。
この女を、どうすればいい。
この感情を、どうすればいい。
答えの出ない問いが、彼の心を埋め尽くす。
ミカゲは、伸ばされた手を振り払うことも、その場から逃げ出すこともできず、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
月明かりの下、涙に濡れる姫と、心を失った暗殺者の少年が、互いの孤独を映し出すように、静かに対峙していた。




