27-2
ミカゲが最後の力を振り絞って放った一閃は、彼の技と速さの全てが込められていた。
影の拘束から逃れられないならば、せめて相打ち覚悟で標的の命を絶つ。それが、道具として彼に残された唯一の選択だった。
刃はユキの白い喉元へ、あるいは心臓へと吸い込まれるはずだった。
だが、次の瞬間、ミカゲの目に信じがたい光景が焼き付く。
ザシュッ、という肉を断つ鈍い音が、静寂に満ちた部屋に生々しく響いた。
ユキは、ミカゲの刃を避けなかった。
いや、避けた。だが、それは身体全体でではない。彼女は迫る刃の軌道を見極め、自らの左腕を盾にするように差し出したのだ。
「──ッ!」
ミカゲの短刀は、抵抗なくユキの白く華奢な左腕に深く突き刺さった。骨にまで達したであろう感触が、柄を握る手に伝わる。
鮮血が迸り、純白のドレスと、床に敷かれた豪奢な絨毯を瞬く間に濡らしていく。
常人であれば絶叫し、痛みでのたうち回るはずの深手。
しかし、ユキは眉一つ動かさなかった。それどころか、彼女の菫色の瞳は愉悦に細められ、その唇には恍惚とした笑みさえ浮かんでいた。
「……ふふ、いいわ、その目。やっと“獣”らしい顔になったじゃない」
腕に突き刺さった短刀を意にも介さず、彼女は自らの血で濡れた右手で、ミカゲの頬をそっと撫でた。その指先は氷のように冷たい。
「な……ぜ……」
ミカゲの唇から、かろうじて声が漏れた。
なぜ避けない。なぜ笑う。なぜ、痛くない。
理解不能な現実を前に、彼の思考は完全に麻痺していた。十二年間で築き上げた“道具”としての精神が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。
「なぜ、ですって? 当たり前でしょう。急所を庇ったのよ。あなたの狙いは私の喉か心臓。この腕一本でそれが守れるなら、安いものだわ」
ユキはまるで他人事のように言い放つ。その瞳は、ミカゲの驚愕と混乱を心底楽しんでいるようだった。
「……ねえ、お名前は?」
ユキの問いに、ミカゲは答えなかった。




