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影人の一族にとって、時間は意味を持たない。
昨日と今日、そして明日に違いはなく、ただひたすらに課せられた修練をこなすだけ。
季節が何度巡ったのか、自分がいくつ歳を重ねたのか、幼い彼は知らなかった。
ただ、以前は届かなかった木の枝に手が届くようになり、持てなかった重さの剣を振れるようになり、半日もすれば空になっていた水筒が一日持つようになったことで、己の身体が成長していることを漠然と理解していた。
訓練はより苛烈さを増していく。
もはや師が直接手を下すことは稀になり、代わりに実戦形式の対人訓練が日常となった。相手は同じように育てられた影人の同胞たち。
「……ッ!」
闇夜に紛れ、互いの気配を探り合う。
土くれを投げて注意を逸らし、その隙に背後を取る。抜き放たれた短刀が月光を鈍く反射し、相手の喉笛に迫る。
だが、相手もまた同じ修練を積んだ者。寸でのところで身を翻し、体勢を崩した少年の脇腹を蹴り上げた。
肺から空気が搾り出される。
地面に叩きつけられ、追撃の刃が顔面に迫る。咄嗟に腕で受け止めると、浅く肉が裂け、熱い血が流れた。痛みで思考が途切れる。
「感情を殺せ」
師の声が脳裏に響く。
少年は痛みを思考から切り離し、相手の体重が乗った腕を掴むと、そのまま身体を捻って投げ飛ばした。
立場が逆転する。
馬乗りになり、無慈悲に短刀を振り下ろす。相手はそれをかろうじて受け止めるが、力の差は歴然だった。
「そこまで」
師の静かな声が響き、訓練は終わる。
勝者にも敗者にも、言葉はない。互いに黙礼し、傷の手当てもそこそこに、また次の訓練へと移る。
誉められることも、慰められることもない。
ただ、任務を遂行できるか、できないか。生き残れるか、死ぬか。そこにあるのは、それだけだった。
ある時、一族の掟を破った者がいた。
任務の最中、標的の子供に情を移し、逃がしてしまったのだという。
その男は広場に引きずり出され、見せしめとして一族全員の前で処刑された。
「情は毒だ。我らを蝕み、判断を鈍らせ、死を招く。影に生きる者に、心は不要。我らはただ、影として、依頼主の望みを叶えるための道具であればよい」
長の言葉を、少年は無表情で聞いていた。
処刑された男の顔は覚えていない。仲間だと思ったこともない。
ただ、胸の奥に、冷たい石のような何かがすとんと落ちた気がした。
怖い、という感情ではない。
悲しい、という感情でもない。
それは、もっと得体のしれない、名付けようのない感覚だった。
夜、一人で寝床に入り、目を閉じる。
暗闇は彼の故郷であり、安らぎを与えてくれるはずの場所だった。
だが、その日の闇は、やけに深く、冷たく感じられた。
『……』
昼間の光景が脳裏に蘇る。
血飛沫。絶命した男の虚な瞳。
それらを振り払うように、彼は寝返りを打った。
(心は、不要)
自らに言い聞かせる。
感情は任務の邪魔になる。不要なものだ。
そう思考を巡らせるほどに、胸の奥の石がずしりと重みを増していく。
(俺は、道具だ)
その言葉だけが、彼が拠り所とすべき唯一の真実。
少年は己にそう刻み込むように、何度も何度も心の中で繰り返した。




