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白の少女はこの世界に愛される  作者: 有氏ゆず
第二十六話 影人
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26-1




影と闇に親和性を持つ稀少な亜人種族、影人(アンブラル)

その一族がまだ、影の世界で確固たる地位を築いていた三百年前のこと。


一人の赤子が産声を上げた。


──否、その赤子は声すらなかった。

生まれた瞬間から、影人の子はその在り方を定められる。気配を殺し、音を殺し、己という存在そのものを希薄にすること。


それが、この世に生を受けた影人の子に課せられた最初の試練であり、生涯続く宿命であった。


赤子は名を持たなかった。

影人の一族では、個を識別するための名は任務に就くようになって初めて与えられる。

それまでは番号で呼ばれるか、あるいは「小僧」「童」といった、個性を一切排した呼び名で呼ばれるのみ。




物心ついた頃から、彼の日常は訓練一色だった。


朝日が昇るよりも早く起こされ、夜の闇が全てを覆い尽くした後にようやく短い休息が許される。


「立て。まだ息があるだろう」


まだ五つか六つほどの小さな身体を、容赦なく打ち据える木剣。

師であり、一族の長でもある男の声には、何の感情も乗っていなかった。


受け身も取れず、土の上に転がされた幼い少年は、口の中に広がる鉄の味を飲み込み、霞む視界の中でゆっくりと立ち上がる。


痛みは、生きている証。

恐怖は、死を遠ざけるための本能。

感情は、任務を遂行する上での最大の障害。


そう、繰り返し教え込まれた。


「気配を消せ。お前の心臓の音がうるさい」

「呼吸を殺せ。吐く息一つで獣に気取られるぞ」

「影に溶け込め。光あるところに必ず影は生まれる。影こそがお前たちの故郷であり、揺り籠だ」




訓練は多岐にわたった。

短刀や暗器の扱い方。毒や薬草に関する知識。気配の遮断。高所からの落下に耐える体術。そして、影にその身を溶かす、影人固有の能力。


ある日の訓練は、深い森の奥で行われた。

目隠しをされ、両手足を縛られた状態で、獰猛な獣が放たれる。課せられたのは、ただ生き残ること。


『……っ』


縄を解こうと身じろぎすれば、枝が擦れる微かな音で位置を特定される。


息を潜め、獣の唸り声と足音、そして風の流れを読む。

背後から迫る獣の荒い息遣い。死の気配が肌を撫ぜる。


その瞬間、彼は身体の力を完全に抜き、まるで屍のようにその場に倒れ込んだ。

生命の気配を極限まで薄めることで、獣は一度興味を失い、その横を通り過ぎていく。


その隙に、背中で隠し持っていた小さな刃で縄を切り、音もなく木を駆け上がった。

上から獣の動きを見下ろし、急所である首筋を目掛けて、石を投げつける。


それは致命傷にはならなかったが、獣を怯ませるには十分だった。






──朝、迎えに来た師は、傷だらけだが五体満足で生き残った彼を一瞥し、ただ一言だけ告げた。


「……悪くない」


それは、彼が生まれて初めて受けた、賞賛に最も近い言葉だった。


感情を殺せと教えられながらも、その言葉は乾いた心に染み入る一滴の水のように、彼の内に微かな波紋を広げた。


もっと上手くやらなければ。

もっと強くならなければ。

もっと完璧に、影として在らなければ。


その一心だけが、彼を明日へと繋ぎとめる唯一の楔だった。




来る日も来る日も、血と泥に塗れる日々。

仲間という概念はなかった。同じように訓練を受ける童は他にもいたが、彼らはいつか任務の成功率を上げるための駒であり、あるいは自分の価値を証明するために蹴落とすべき競争相手でしかなかった。


会話はない。

笑い声もない。

ただ、己の技を磨き、生き残るためだけに存在する日々。




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