第五章:慟哭の港、あるいは銀の共鳴
レティシアの港に、白く美しい帆船が静かに接岸した。
下ろされたタラップを伝い、一人、また一人と人影が降りてくる。
「やっと、着いたか……」
カイエンが周囲を見渡すが、そこには活気など微塵もなかった。繋がれた多くの船は、まるで時間が止まったかのように放置され、人影一つない。一時的に運航を停止しているというより、街全体が生気を失っているかのようだった。
カイエンの後ろに、マルコとサヤが続く。その後ろにはバルドとゴドリック、そして最後尾からは、この凄惨な光景にさえ優雅な足取りを崩さないイゾルデが降りてくる。
そのとき、サヤが突然、弾かれたように駆け出した。
「どうした、サヤ!」
マルコが驚いて声を上げる。
「エルムよ! エルムがいるわ!」
サヤが走る先、荒涼とした港の広場に、ぽつんと立つ少年がいた。
美しい光沢を放つミスリルの鎖帷子を身に纏い、その腰には以前よりも重厚な輝きを放つ剣を携えた――エルムである。
「エルム!」
「サヤ!」
サヤはエルムに飛びつき、その体を強く抱きしめた。無事を祈り続けた涙が、彼女の頬を伝い落ちる。
「生きていたのね……良かった、本当に……」
「サヤ……」
エルムもまた、溢れる感情を抑えきれず、サヤを優しく抱きしめ返した。
「あれ? エルム……どうしたの、その鎧は?」
サヤが腕の中の硬い感触に気づき、顔を上げた。
「へへへ……これには、色々とあってね」
エルムが照れくさそうに笑った、その時だった。
「エルム! その剣を俺によこせ!!」
低く、大地を震わせるような威圧的な声。カイエンだった。
「え……でも……」
エルムは思わず後ずさりし、その鞘に手をかけたまま躊躇する。その脳裏に、アルドの声が響いた。
『――こんなに早く、この時が来るとはな。いいんだエルム、その男に渡してやってくれ』
(え、いいの?)
『いいんだ。この人には、償っても償いきれないほど酷い仕打ちをした。……私に、償うチャンスを与えてくれ』
アルドの悲痛な決意を聞き、エルムは意を決して、鞘に収まったままの剣をカイエンに差し出した。
カイエンがその剣を力任せに奪い取った瞬間、彼の脳裏に直接、一人の男の声が流れ込んできた。
『私はアルドと言います。あなたには……本当に、償いきれないほど酷いことをした。許してくれとは言わない。だが、謝らせてくれ。本当にすまなかった……』
「ふざけるなぁぁぁ!!!」
烈火のごとく怒り狂ったカイエンの咆哮が、港に響き渡った。カイエンは剣を抜き放ち、その白刃を硬い石畳の地面へと叩きつけようと振り上げた。
『いいんだ……やってくれ。私を砕いてくれ。それで、あなたの気が済むのなら……』
アルドの声は、ただ静かに死を待つ者のそれだった。
「うっ……ううっ……うおおおおぉぉぉ!!」
振り下ろされるはずの腕が、空中で止まった。カイエンは剣を握りしめたまま、獣のような嗚咽を漏らして号泣した。かつての偉大な父親の面影が浮かび、呪いに狂わされた男の、行き場のない怒りと悲しみが涙となって溢れ出す。
周りの者たちは、胸を締め付けられるような思いで、その姿を見守るしかなかった。
やがて、カイエンは震える手でゆっくりと剣を鞘に戻した。
「……これ、お前のだろ」
ぶっきらぼうに、だがどこか憑き物が落ちたような顔で、カイエンがエルムに剣を手渡す。
「カイエンさん……」
マルコはそう呟くのが精一杯だった。かけるべき言葉など、この世のどこにも存在しなかった。
「ふーん? 魔剣の呪いは解かれたようね。その装備……戦えるのかしら?」
沈黙を破ったのは、イゾルデの冷徹な問いだった。
「あなた方は……あの魔術師を倒しに?」
エルムが聞き返すと、サヤが力強く頷いた。
「ええ。でもエルム、あなたまで巻き込むつもりはないわ。あなたは――」
「ううん、僕も戦うよ。本当は『僕』じゃないけど……」
「え?」
驚くサヤをよそに、エルムの脳裏では、自分とアルドが激しく語り合っていた。
『待て、エルム! 相手は黒本党だ、死にに行くようなものだぞ!』
(僕だってサヤと一緒に戦いたいんだ! 僕じゃない僕に、任せるよ!)
『……エルム。……よし、わかった。一緒に行こう。死ぬときは一緒だ、友よ!』
少年の肉体の中で、二人の魂が共鳴し合う。
「役者は揃ったようだな……。行くぞ」
カイエンの短い一言を合図に、一同は歩き始めた。
その時、向こう側の街道から、地を這うような不気味な足音が近づいてきた。
現れたのは、視界を埋め尽くさんばかりの黒い魔物の軍勢。
「来やがったな……」
カイエンの眼光が鋭く光る。
「なんだよ、あの数は……」
あまりの物量にバルドが尻込みするが、イゾルデが横から一喝した。
「ビビってんじゃないわよ! シャキッとしなさい!」
軍勢の最後尾、一段高い場所には、黒いドレスを翻すカミラの姿があった。
「ふふふ……ここで一網打尽。全て私の手柄ね」
不敵な笑みを浮かべる彼女の指揮の下、魔物たちが一斉に牙を剥く。
風のないはずの港に、血の匂いを孕んだ凄絶な嵐の予感が吹き荒れていた。




