第三章:魔影の蹂躙、あるいは鋼の意思
暗い路地裏、逃げ場のない空間に六体の異形が迫る。人間を辞めた彼らの速度は常軌を逸していた。死角から、四方八方から、エルムの命を刈り取るべく一斉に飛びかかる黒い影。
しかし、エルムは微塵も動じなかった。
「遅いな」
冷徹な呟きと共に、寸分の無駄もない最小限の体捌きで爪を弾く。弾かれた魔物の一体が、自らの突進速度にエルムの衝撃を上乗せされ、爆発的な勢いで壁面に叩きつけられた。
(な、なんだ? どうしたんだ……この力は……!)
意識の奥底で、エルムが戸惑いの声を上げる。
『これは黒本党の魔物の力だ。呪いは解けたが、奴らから流し込まれた「歪な力」だけは、お前の身体に根付いているらしい』
脳裏に響くアルドの声。
「そりゃ好都合だ」
戦士としてのエルムは不敵に笑うや否や、風と化した。
突進。
一瞬の閃光が路地を駆け抜けると同時に、数体の魔物の胴体が分断され、首が舞い、身体が真っ二つに割れた。スピード、パワー、そして精密なテクニック。人の領域を超越した力が、六体の魔物を一瞬にして肉塊へと変えた。
路地を抜け、通りに出ると、そこには数十体の魔物が群れを成して待ち構えていた。
「ちっ! さすがに数が多すぎるな」
『剣を掲げろ、エルム!』
「お、おう!」
促されるまま、エルムが天に向かって剣を掲げる。アルドの魔力が剣を媒介に増幅され、夜空を震わせた。
『――メガフリーズ!』
虚空が歪み、厚い雲が渦巻いたかと思うと、巨大な氷の塊が豪雨のごとく降り注いだ。魔物たちの叫びが響き、氷柱に貫かれ、砕かれた。十数体が瞬時に沈み、残るは十体ほど。
「なんだ、魔法も使えるのか。だったら『ニュークリアブラスト』で一掃して……」
『よく見ろ、エルム。周りをな』
「ん?」
言われて周囲を見渡したエルムは、その異様な光景に目を見開いた。
激しい魔法と殺戮が繰り広げられているすぐ横を、アステリアの市民たちが何事もなかったかのように、平然と歩き去っていくのだ。
「こりゃ、どうなってんだ一体……」
『黒い魔力だ。何があっても、目の前の惨劇を無視するように精神を操られている』
「……だろうな。だが、人に当てないように戦うのは骨が折れるぜ」
『ふん、頑張れ。――メガファイア!』
「へ?」
刹那、剣から灼熱の業火が吹き出した。
「うわわわ! めちゃくちゃだあ!」
荒れ狂う火炎を纏った剣を、エルムは神業のような体捌きで振り回す。市民たちを巧みに避けながら、魔物の身体だけを正確に焼き、斬り裂き、砕いていく。
「うは! こりゃいいぞ!」
強力な炎の力を使いこなし、さらに数体を屠る。
『――サンダー!』
アルドが次なる呪文をコールすると、今度は眩い雷光が剣から放たれた。流れるような剣舞に雷撃が加わり、魔物たちは感電し、弾け飛んだ。
静寂が戻る。周囲には魔物の残骸が散らばっているが、市民たちは依然としてそれを無視して通り過ぎる。
『……何とか倒せたが、酷い光景だな。じゃあ、身体を「もう一人」に返そう』
「もう一人?」
『そうさ。お前の身体には、もう一人……生まれ変わった優しい方のエルムがいるんだ』
剣を鞘に戻せば、意識が入れ替わる。それを理解しながらも、戦士のエルムは倒れた死体の衣服を無造作にまさぐり始めた。
『おい、何やってんだお前……』
金貨の入った袋を取り出し、エルムはニヤリと笑う。
『また! そういうことを!』
「いいだろ別に。相変わらず石頭だな、アルドは」
戦士エルムは次々と死体を漁り、手際よく路銀を回収していく。
「このくらいでいいだろ」
『どうするんだ、その金』
「さすがにこの恰好じゃ装備が薄すぎる。この先の戦いには耐えられない」
『鎧でも買うのか?』
「それを、もう一人のエルムに伝えてくれ」
『はあ? 自分で買えよ』
「馬鹿だな。鎧は意外と重いんだぞ。俺はいいけど、あいつの身体は大丈夫か?」
『そ、それは……』
「だから、本人に確認しながら買わせてくれ」
そう言い残し、戦士は満足げに剣を鞘に納めた。
「――わあ! こ、これは……!」
意識が戻った本来のエルムが、周囲に広がる地獄絵図のような死体の山を見て悲鳴を上げる。
『ごめんな、エルム。実は……』
脳裏でアルドが優しく説明を始める中、エルムはガタガタと震えながら、おそるおそる死体を跨ぎ、避けながら、夜のアステリアの街を歩き出した。その手には、戦士としての「自分」が手に入れた、重みのある金貨の袋が握られていた。




