第二章:共鳴する魂、二人のエルム
剣を握りしめた少年が、アステリアの夜道を風のように走り抜ける。だが、その疾走は闇に潜む者たちの目を逃れることはできなかった。街角に立つ数人の男たちが鋭い目で少年を追い、一人が顎で促すと、獲物を追い詰める猟犬のように静かに集まり始めた。
「はぁ、はぁ……っ」
エルムは人目につかない路地裏へ飛び込むと、壁に背を預けて荒い息を整えた。そして、恐る恐る手にしていた剣を鞘へと収める。
その瞬間、少年の目に宿っていた鋭い光が消え、戸惑いの色が広がった。
「え? ええっ? わあ! どこだ、ここ!?」
エルムは挙動不審にキョロキョロと夜の街を見回し始めた。数分前までの凛々しさは消え失せ、そこには見知らぬ場所に放り出された、いつもの臆病な少年がいた。
『どうした、エルム?』
脳裏に直接響くアルドの声。エルムは飛び上がって叫んだ。
「ひいぃ! つ、柄なんか握らないぞ! サヤは? あの剣士はどこ!?」
ローゼンバーグに赤子の姿で預けられ、そこで何も知らずに育ったエルム。剣の柄から手を離したことで、意識が「今のエルム」に戻ったのだ。アルドはその様子から、全てを察した。
『柄は握らなくていい。落ち着いてくれ、エルム』
「え? ど、どうしたの? 急に……」
『君には謝っても謝りきれないことをした。申し訳ない。……さっき、ようやく私にかかっていた呪いが解けたんだ』
「呪いが解けた? もう、魔剣じゃないの?」
『……そういうことだ。私にはアルドという名前がある。よろしくな、エルム』
「よ、よろしくお願いします……」
戸惑うエルムに、アルドは静かに、かつての物語を語り聞かせた。
『君は知らないだろうが、私たちはかつて「食人樹」を狩る討伐隊だった。私は魔法使いで、弟は剣士だったんだ』
「その弟さんは、どこに行っちゃったの?」
『君の中にいる』
「ぼ、僕の中に!?」
『私の双子の弟の名前もエルム。つまり君は、私の弟の生まれ変わりなんだよ』
「ええ!? 僕が? ……でも、僕なんかじゃ剣士は無理だよ。ごめんね、弱っちくて」
『いや、君が謝る必要はない。実は……柄を握ると、かつてのエルムの記憶が蘇るようなんだ。だから、もう柄を握る必要はない。これ以上、君の人生を奪うわけにはいかないからな』
アルドの声には、深い慈愛と諦念が混じっていた。だが、エルムは首を振った。
「え? でも、それじゃアルドの弟さん……もう一人のエルムが出てこれなくなるんでしょ?」
『いいんだ。私たちはとっくに食人樹に殺された身。今はもう、君の人生なんだから』
「そんなの……」
エルムは躊躇いながらも、腰の剣に手をかけようとした。
『ま、待て! 私の話を聞いていなかったのか!?』
「ううん。でも、僕のまんまじゃ、弱いままだから……きっとみんなの足手まといになっちゃう」
エルムは遠くを見つめ、自分を助けてくれた人たちの顔を思い浮かべた。
「アルド、君の弟さんは強い剣士なんでしょ? 僕は……『強い方のエルム』に任せるよ」
『エルム……いいのか?』
「うん。君たちはいい人だ。僕は、君たちを信じるよ」
エルムは迷いを振り切り、ためらいなく剣を抜き放った。
その時、路地裏にぞろぞろと数人の男たちが入り込んできた。
「おい、お前……確かカミラ様が連れてきたガキだな。どうしてここにいる?」
男たちの下卑た笑い声が響く。だが、振り返った少年の顔に、もはや怯えはなかった。
「ふふふ……剣を持つ男に不用意に話しかけるとは、いい度胸だな」
不敵な笑みを浮かべた「エルム」が、流れるような動作で剣を構える。その瞳には、戦場を生き抜いた精鋭の輝きが宿っていた。
「へへへ……俺たちに剣なんざ必要ねえのよ!」
男たちが叫ぶと同時に、彼らの肌がどす黒く変色し、指先から鋭く長い爪が突き出した。人間としての姿を捨て、異形へと変貌していく。
「なるほど。これが『黒本党』か……」
低く冷徹な声が路地に響く。
闇夜のアステリア、その湿った路地裏に、恐ろしいまでの戦慄が走り抜けた。




