第四章:片道の航路、先駆者の灯
見晴らしの良い後部デッキには、繊細な意匠の施されたテーブルと椅子が設えられていた。風こそ吹いていないが、そこから見渡す港の景色は、どこか現実離れした静謐さを湛えている。
「まあ、堅苦しい挨拶抜きだ。こっちへ座れよ!」
バレルの促しに、カイエンとマルコは顔を見合わせながらも椅子に腰を下ろした。マルコは座るなり、身を乗り出して問いかける。
「初めまして、マルコです……って、本当に『初めまして』ですよね!? なぜ僕のことを知っているんですか?」
「わははは! お前の村に行ったからだよ。あの、時が止まったような呪われた村にな」
「ええっ!? 一体どうやって……あそこを見つけたんですか?」
「話せば長くなるがな。まあ、不思議な村だったよ。古い文献や技法の宝庫で、随分と勉強させてもらった」
バレルが事もなげに笑う横で、マルコは呆然と呟いた。
「……あなたのほうが不思議です。僕だって、あの村から出るのには相当な苦労をしたというのに」
「今はどうだ?」とバレルが不意に真剣な目で尋ねる。
「子供の頃は、あんなに外の世界に憧れていたのに……勝手なものですね。今では、あの静かな故郷が少し恋しいですよ」
「わはは! 正直なやつだな、気に入ったぞ」
二人の会話を横で聞いていたカイエンが、懐かしげに口を開いた。
「相変わらずだな、バレル。今も冒険好きか?」
「いつの話だ。子供の頃とは違うさ。俺だってちゃんと工房を構えて、後進の育成に励んでいたんだがな……少しばかり、へまをやらかしちまってね」
バレルは苦笑いして肩をすくめると、カイエンの眼帯を鋭く見据えた。
「俺のことより……カイエン、お前『精霊の目』を使っただろう?」
「……なぜそれを」
「わははは! シュタインベルグとリングベルの戦争は有名だろ。全世界が知ってるさ。目撃談を繋ぎ合わせれば、お前が何をしたかくらい想像がつく」
バレルは懐から三枚の漆黒の眼帯を取り出し、テーブルの上へ滑らせた。
「必要だろう?」
「……悪いな。あの一件で、一つダメにしていたところだ。助かる」
カイエンは短く礼を言い、その眼帯を手に取った。
「お二人は、どういう関係なんですか?」
不思議そうに尋ねるマルコに、バレルが快活に答える。
「まあ、幼馴染かな。昔はよくやんちゃしたもんだ。ドラゴン王にもよく怒られたよな?」
その言葉に、カイエンは否定することなく、ただ黙って静かな微笑を浮かべていた。
「ところで、この船はどうしたんだ?」
カイエンの問いに、バレルは愛おしそうに船の床を踏み鳴らした。
「ああ、師匠の形見の設計図を元にな……俺が作らせたんだ。見事なもんだろ?」
「風がなくても進めるのか」
「いや、本来それは補助的な機能でな。これほど完全に風が死んでいる状態は想定外だ」
「……と言いますと?」
マルコが首を傾げると、バレルの表情がわずかに曇った。
「レティシアに渡るんだろう? 魔力が足りない。この船を動かす『魔法電池』が持たないんだ。行きは何とかなるが、帰りの分までは保たない……つまり、片道切符だ」
「この船……借りられるか?」
カイエンが真っ直ぐにバレルを見つめる。
「いや、俺も一緒に行くよ。船の機嫌を取れるのは俺しかいないからな」
「いいのか? 戦場だぞ」
「一緒に戦うことはできないがな。船の維持なら俺が何とかしてやる」
そのやり取りを聞いていたマルコが、少しだけ表情を和らげた。
「まあ……サヤが一緒に行けば、戻ってくるだけならなんとかなりますしね。彼女の力なら」
「……そうだな。悪いな、バレル。助かるよ」
風のない岬、ゼファー・エンド。
停滞した海を前に、三人は戻れぬ航路を進む覚悟を決めた。水平線の先、黒本党の本拠地であるレティシアで待ち受ける運命へと、美しい帆船は静かにその舳先を向けようとしていた。




