鉱夫の歌・上(ハリード)
【連続投稿 1/2】
仄暗い地の底。
梁が渡され、線路の曳かれた坑道に酒焼け声が木霊する。
「どんとやーれ
どんとやーれ
炭ネズミ」
三十手前ぐらいだろうか。浅黒い肌の男が頬を煤だらけにし、歌いながら採炭機を動かす。落剝した石炭と、売り物にならないクズ石を貨車に載せる間も、一定のリズムは変わらない。
「地の底 つついて 何が出た
金出た 銀出た 光る石
馬鹿言え そいつは ただの炭」
何故歌うのかと言えば、一つは習慣だ。
男が――ハリードがこのインドネシアにある炭鉱で働くようになって、もう二十年以上。子どもの頃から、鉱夫とは歌うものであった。誰に教わったわけでもなく、周りに合わせているうち、自然と歌詞を覚えていた。
おそらく「生存術」なのだろう。
地上と隔絶されたこの場所では、常に死の気配が漂っている。落盤、水没、ガス突出。仲間の歌が聞こえ無くなれば、それは何か異常が起きたということ。すぐ駆けつけるか、逃げるかしなくてはならない。
それに気がまぎれるというのも大きい。
どうせ黙っていたって、仕事の辛さから怒りが溜まってくるだけだ。
愚痴や文句は本人のみならず、周りの感情をも逆撫でする。
喧嘩になるぐらいなら、仲良く歌っている方がまだマシと言えよう。
といって、四六時中歌うわけでもないが。
坑道は息をするだけでも塵肺――粉塵による病気リスクが高まる空間だから。
「どんとやーれ、どんとやれー……っと」
キリの良いところまで掘りきって、ハリードは首を回した。
頭が少しぼうっとする。いい加減、休息を取った方がいいだろう。
「一服入れるかぁ」
坑道内は当然、火気厳禁だ。
周りに声をかけながら、ゆるやかな上り坂を歩いていく。
もし道中、重たい鉱石を乗せた貨車に当たれば、手や足が吹き飛ぶのは当たり前。悪くて即死だ。ゆえに自分はここにいるぞ、という声かけが欠かせない。そんな息のつまる世界を脱出して、ハリードは目を細めた。
日差しが眩しかったのである。気分はネズミかモグラだ。
(今月の目標値まで、あと――)
休憩所として使っているプレハブ小屋まで近づくと、戸が開けっぱなしになっていた。そこから賑やかな話し声が聞こえてくる。どうやら先客がいるらしい。
「聞いたか? ヘンリーのやつ」
「ああ、上手いことやったよな。しくったぜ。あん時乗っておけば……」
「え、先輩、何かあったんスか?」
ハリードは考え事をやめ、はたと足を止めた。
「知らねぇのか? ダンジョンだよ、ダンジョン」
「探索者……? とかなんとか、ヘンリーのやつ、それになったらしくってよ。これがまた稼げるんだと。この間アイツ、派手に遊んでやがった」
「へぇ~」
「こんなクソ田舎おさらばして、俺たちもさ――」
話し込んでいたのは、いずれも若い鉱夫たちだった。
その内の一人がハリードに気づき、慌てて立ち上がる。
「親方! お、お疲れ様です!」
「おう」
親方とはすなわちハリードのことだ。人員の入れ替わりが激しい職場だから、長く勤めている内、自然とそうなっていた。
「お前らも休憩か?」
「はいっ」
「そうか、よく休めよ」
「……ウス」
なんとも言えない、緊張感に溢れた空気が流れる。
明らかにハリードと鉱夫たちの間に見えない壁のようなものがあった。
「でも俺ら、そろそろ行かないと……!」
「失礼しますっ」
「あ、おい!」
ヘルメットを被り、若い鉱夫たちがそそくさと散っていく。
ハリードは普段から、鉱山内の規律を守るため声を荒げることも多いから、居心地が悪かったのだろう。
「……ったく」
伸ばした手は行く当てを失い、一人寂しく煙草を咥える。
そのまま草臥れたベンチに座り込んだ。
恐れられるのは何も悪いことばかりじゃない。
結果それで事故が減るのなら、いくらだって嫌われ役を演じてやろう。
けれど紫煙を吐いて、ハリードは黄色く汚れた壁を睨む。
「どいつもこいつも――何が『ダンジョン』だよ」
まるで呪詛のような。
その言葉には、隠しきれない憎悪が滲んでいた。
◇ ◇ ◇
魔石、と呼ばれるものがある。
ダンジョンにおいて、モンスターを倒したり採掘したりすることで産出するそれ。世界中から新時代のエネルギーとして注目されるその不思議な石は、ハリードにとって路傍の石も同然だった。
なにせ、彼が暮らすのはひなびた鉱山街だ。
この町の売りといえば、一に石炭、二に石炭、三四がなくて五も石炭。
良く言えば伝統的、悪く言うなら旧態依然とした掘り方で生計を立てている。
機械を駆使した露天掘りでなく、鉱夫の人海戦術に頼った坑道掘りをしているところなんて、今日日なかなか見ないだろう。
そんな辺境の町だから、「ダンジョン」だの「魔石」だのといった響きは、胡乱なものとして処理されてきた。ともすれば、お伽噺でも聞くように。まともに取り合う人間などほとんどいなかったのである。
ところが。
「おいマスター、信じられるか?! 今月だけで五人だぞ、五人!」
やわらかなランプの明かりに照らされる、夜の酒場。
喧騒に混じって、ハリードはカウンターにグラスを叩きつけた。
「これだから最近の若い奴ぁ……根性が足りねぇ……!」
「はいはい。その話はもう何百回と聞いたよ」
「じゃあもういっぺん聞かせてやらぁ!」
橙色の照明に照らされて分かりづらいが、ハリードの顔は真っ赤になっていた。すっかり酔っぱらって、まるで茹蛸のようだ。
感情のブレーキが効かず、思うがまま口角泡を飛ばす。
「いいかマスター、悪いのは全部『ダンジョン』なんだよ! あの糞のせいで、俺たちの町ぁ滅茶苦茶だ、若い奴らがみーんな辞めていきやがる! どいつもこいつも、ダンジョンでひと山当てるだの抜かしてよぉ……!」
鉱夫たちのまとめ役を任されているハリードがその異常に気がついたのは、数か月前のことだ。元より人の入れ替わりが激しい業種だから、一時辞めていく人間がいても、結局は穴が埋まるように補填がなされる――はずだった。
けれど欠けた櫛の歯は、いつまで経っても挿げ替えられず。
ぽろぽろと崩れていくばかり。
そこで思い切って聞いてみれば、辞めた若い鉱夫たちは皆、探索者――ダンジョンで生計を立てる道へ進むつもりであった。
ハリードからしてみれば、何を馬鹿なという話だ。
「お天道さんに誇れる仕事を投げ出してまで、やることなのかよ……そいつは」
この町にダンジョンはない。
ただし山を越えた先、遠く離れた都市まで行けば別だ。
ハリードにはまったく理解出来ないが、そんな遠出をしてまでも、若人たちを惹きつける何かがダンジョンとやらにあるらしい。
「ハリード。あまり人のやることに口出すもんじゃあないぜ。特に、若い奴らはな」
「ハン。俺だって、アイツらが立派な道に進むんなら心から応援してやらぁ。でもよ、掘るモンが炭から魔石とかいう、よく分かんねぇ石コロに変わるだけだって言うじゃねぇか。それなら今の仕事をほっぽり出すのは、無責任だろ!」
何でもハリードが聞くところによると、魔石は全ての燃料物を過去のものとする、究極のエネルギーらしい。
全て、とは文字通りの意味だ。この町の売りである石炭も、もし風聞が本当なら掘る意味がなくなってしまう。そんな馬鹿げたこと、あるだろうか。だが少なくとも、インドネシア政府はそれを本気で信じているようだ。
魔石が環境公害を引き起こさない、理想のエネルギーになると。
そこで、脱炭素社会が叫ばれて久しい昨今、この国は魔石を軸とした新時代のエネルギー政策へ舵を切った。すなわち石炭による発電と輸出を縮小していき、魔石の研究・活用へ大きくシフトしていくのだという。
あるいは若者たちもその気配を肌で感じ取り、辞めてしまったのかもしれない。
もう炭鉱業に未来などないと。
そんな――そんなの、道理が通るわけがないとハリードは思う。
「……なぁ、マスターだって知ってるだろ。この町は鉱山があるから生まれたんだ。あの家も、どの家も、町長の家だって。石掘って建てた炭御殿だ。俺たちはずっと御山に生かされてきた。それを、どうして簡単に捨てられる? 俺は、俺には……ちっとも分かんねぇんだよ……!」
確かに石炭掘りなんて、今の時代もう古いかもしれない。
魔石が登場する前から規模は少しずつ縮小する運命にあった。その運命が、神様のいたずらによって少しだけ早くなったのだとしても。
グラスに残ったビールを一気に飲み切り、ハリードは言った。
「ダンジョンなんてクソくらえだ」
灰色の双眸に、憎悪の火が灯る。
本来、ハリードは思慮深い人間だ。そうでなければ危険な鉱山に入り、この歳まで生きていない。けれど酒が入っているのもあってか、彼はまだ自分で見たこともない、よく知らないダンジョンを口汚く詰る。
きっと人間をだまくらかす悪いものに違いないと。
一方、酒場の主は酔客の相手など慣れたものだ。
空いたグラスを引っ込め、代わりに水を差しだした。
「ほれ、飲み過ぎだ。こいつで頭を冷やすんだな」
「……チッ」
どうやら、この場にハリードの味方はいないらしい。渋々水を飲み干してから、飲食代を叩きつけるようにカウンターへ置き、席を立った。
どいつもこいつも――とぼやいて外に出れば、夜でも生ぬるい風。
そのまま目的もなく、酔いを醒ますようにぶらつく。
あちこちの軒先から光が零れ、楽しそうな笑い声が響いていた。
平時なら賑やかに感じるそれも、今はただ神経を苛立たせるのみ。自分でも過敏になっていると分かっていながら、仲間外れのような感覚を覚える。
「――ほら、お前ら! これが魔石だ」
雑踏の中ふいに聞こえたその声が、ハリードの足を止めた。
「お~、なんか宝石みたいだな」
「へへっ。ただ綺麗なだけじゃないぜ。こいつがまた金になるんだ。もう鉱山で石コロ掘りなんて古い古い! 時代は探索者よ」
「でもさぁ、危なくねぇか?」
「心配すんなって。確かにモンスターは怖ぇけどよ、集団採掘の依頼に参加すれば、みんなが守ってくれるし、それに万一死んじまっても生き返れるんだ! 炭鉱なんかで働くより、よっぽど安全だぜ?」
見れば若い男たちが、シャッターの降りた店先でたむろしている。ほんのり赤らんだ顔の者もいることから、酒が入っているらしい。そして中心に立つ青年の右手には翡翠色の小石が握りこまれ、空へと掲げられていた。
かれらは皆、通行の邪魔になろうともお構いなしだ。
(チッ。嫌なモン見ちまった)
ハリードには若人を掴まえて説教する趣味などない。
この場に留まっても、気分が悪くなる話を聞かされるだけだろう。
だからさっさと通り過ぎようとして、
「おいおい、本当に大丈夫なのかそ――いでっ」
「っ……!」
折悪く、後ずさった若者の一人とぶつかってしまった。
大した衝撃じゃないが、一瞬、水を打ったような静寂が訪れる。
「ってぇな! どこ見てんだおっさん!」
「…………悪かったな」
本音を言えば、ハリードに謝る義理などない。
むしろ、どこを見ていたのか聞きたいのはこちらのほうだ。
それでも大人の余裕で、ぐっと堪えて返す。
「はぁ? それが謝るヤツの態度かよ。ちゃんと謝罪してくれよ、謝罪!」
「悪いことしたんならさぁ、頭下げなきゃ駄目じゃね?」
「そーそー」
酒臭い息だ。かなり酔っているらしい。
そのうえ集団でいるから、気が大きくなっているようだ。
かくいうハリードもまた、泥酔具合でいえば負けていない。
「断る」
だから一度は我慢したにも関わらず、結局喧嘩腰になっていた。
「あ゛ぁ?」
「ダンジョンってのは、品性まで消しちまうんだな。本当にクソくらえだぜ。おいガキども、こんな時間までぶらついてんじゃねぇ。さっさと家に帰んな」
「……テメェ!」
睨み合ったのも束の間、先に手を出したのは青年の方だった。振りかぶった右の拳が、ハリードの頬に突き刺さる。ハリードはそれを避けることもせず、僅かに首を逸らしただけで受け止めていた。
それから血の混じった唾を吐き、鋭い眼光で睨み返す。
「……ぺっ。ゲンコツの作り方も知らねぇ甘ちゃんが」
炭鉱で鍛えた体だ。一発二発殴られたところで、びくともしない。ましてや採掘機も握ったことがない青二才の拳となれば、なおさらだ。
やられたら、やり返すのが筋というもの。
両手を組み、指を鳴らしながら、ハリードは酒焼け声でがなり立てた。
「俺が一から、やり方を教えてやらァ!」
その気迫に男たちがたじろぐ。
だが、あくまで一瞬だ。
「っ、俺たちをナメんじゃねぇぞ……!」
「はぁ!? 正気かよ!」
「おいお前ら! 人呼べ、人! 囲んで叩くぞ!」
こうして唐突にも、夜の路上で乱闘騒ぎが始まった。
ハリードはどちらかといえば喧嘩慣れしている人間だ。炭鉱という、一つ判断を間違えたら仲間の命さえ危険にさらしてしまう世界。そこに生きる鉱夫たちは諍いなど日常茶飯だし、仲裁するにも腕っぷしを求められる。
だから荒事に強い――といえども、多勢に無勢だ。
「囲め囲めッ!」
「ぐっ……」
確かに男たちと比べ、ハリードは屈強で荒々しかった。それでも倒せて数人が限界というところ。後から増援も湧いて出て、数の暴力に押し流される。こうなってしまえば、もう強さなど関係ない。四方八方囲まれて、棒で滅多打ちにされてしまう。
我ながら馬鹿なことをしたものだ。
安いプライドなんて捨てればよかったのに――と自嘲したのは、全てが終わった時。
「ぜぇ……ぜぇ……」
「お、おい。もう止めようぜ……」
「サツが来る前にズラかるぞ!」
幾つもの足音が慌ただしく遠のいていく。
気がつけばハリードは路地裏にいて、ゴミ山の上で空を仰いでいた。
体中が熱く、腫れぼったい。もはやどこが痛いのか分からないほど。しかも酔いが醒めかけて、時を追うごとに痛みが酷くなってくる。
「あ゛ー……」
これが、つまらない虚勢を張った結果だ。
魔石に対する石炭と同じ。
意地になって、まだやれると叫んでみたところで、初めから勝負がついていて。
なんと合理的で――――反吐が出る。
(クソが。あいつら加減ってもん知らねぇのかよ)
立ち上がろうとして、体に力が入らなかった。
このまま誰にも看取られず、一人寂しく死ぬのだろうか。元より独り身だから悲しむ人間もいない。だったら、それもいいかもしれない。このまま自分が愛した鉱山から、少しずつ人が消えていくのを見るくらいなら。
そう思い、ハリードはゆっくりと目を閉じる。
ところが。
「お、いたいた。……こいつはまた、手酷くやられたねぇ」
迎えに来たのは天の使いなどでなく、嗄れた男の声だった。
霞む視界に映る顔が、心配そうにハリードを覗き込んでいる。
「……せん、せ」
古ぼけた鞄が印象的な、髭の豊かな老紳士。
この町に住んでいて彼を知らない者はほとんどいない。こんな辺境の地に好んで個人院を建てた、変わり者の町医者だ。怪我人や病人がいると聞けば、鞄片手にどこへでもすっ飛んでいく。
そんな好々爺が目の前に立っていた。
「ああ、いい。喋らんでいい。今治してやるからな、ちょーっと待っとりなさい。……うむ、君は幸運だったね。この間、勉強会でもらったアレの出番だな」
そう言って老爺が取り出したのは、一本のガラス瓶。
中に半透明の液体が注がれている。
きゅぽん、と栓の抜ける音がして、飲み口がハリードへ向けられた。切れた唇を押しのけて、少しずつ流し込まれるそれを反射的に飲み込む。血痰と一緒に、謎の液体が喉を滑り落ちていった。
「安心しなさい。ちゃんと私自身で治験は済ませたからね。この……なんだっけ? ああ、そう――『初級ポーション』は」
老爺が説明するのと、効能が現れるのは同時だった。
ハリードの全身に出来た擦り傷や切り傷が薄くなる。完治とまではいかないが、滲み出る血がぴたりと止まった。それから熱っぽさと腫れも引いていく。これなら腰を起こすくらい出来そうだ。
あまりにも劇的な変化に、困惑は言葉となって飛び出した。
「これ、は……」
「凄いだろう? ポーションといってね、ダンジョンが我々にもたらした神の祝福、新たなる人類の叡智だよ! いやぁ、ちょうど持ち合わせがあって良かった」
「…………ダンジョン」
ぽつり。思わず零した響きは、ごく自然に拾われる。
「ああ、気にしないでくれ。ダンジョンといってもね、これはそう珍しくない品なんだそうだ。試供品としてもらったものだから、お代はいらないよ。それより――あっ、君! まだ立つのは」
「世話んなりました。もう大丈夫です」
「しかしね、見たところまだ怪我が……」
確かにじくじくとした痛みは残っているし、倦怠感もある。
多少良くなっただけで、全快にはほど遠い。
それでもハリードは医者の制止を振り切って、よたよたと歩き出す。
とにかく遠くへ。一歩でも遠くへ。
でないと――
「ダンジョン。ああ、クソッタレ。どいつも、こいつも……」
せっかく助けてくれた恩人に、酷くあたってしまいそうだから。
今彼の頭の中は、自分でもよく分からないくらいぐちゃぐちゃになっていた。
何がしたいのか、どこに行きたいのか。
それさえも思いつかず、惑い歩く――どこまでも。




