鉱夫の歌・下(ハリード)
【連続投稿 2/2】
ハリードは親の顔を知らない。
拾い子で、小さな頃から納屋を寝床に、大店の雑用係として生きてきた。
転機が訪れたのは10歳の頃。買い出し帰りに、街の広場で鉱夫の募集をしているのに行き合った。何でも新しい切り場が出来たとかで、大々的に人を集める必要があったらしい。ハリードはその時初めて、鉱夫という仕事に興味を持った。
何せ彼は学が無い。文字も読めない。さらに出自さえ怪しいと来た。そんな人間だろうとお構いなしに雇ってくれるのだという。
ハリードだって男だ。いつかは一端の人間として立身したいと思っていた。孤児である自分を拾ってくれた大店には感謝している。けれどだからこそ、世話になりっぱなしというわけにもいかない。
そこで思い切って、鉱夫見習いになることを決めたのだ。
鉱夫はただ黙々と石を掘ればいいわけじゃない。常に崩落の危険性が脳裏にちらつくし、硬い岩盤は発破で破壊することだってある。さらに切り場ごとでルールが異なり、暗黙の了解や、理由の分からない禁止事項が山ほどあった。
それを教えてくれる人間もいれば、見て覚えろという人間もいて。
全てが体に沁み込むまで、ハリードは何度も地面に転がされた。
肉体的にも、精神的にも辛い日々。
ただ一度内側に潜り込んでしまえば、鉱夫たちは仲間意識の強い集団だった。体調の悪い者がいれば進んで仕事を変わってやるし、休憩時間には下世話な話で盛り上がる。ハリードが子どもながらに食らいついていけば、いつしか輪の中に入れてくれた。
坊主、偉いなと頭を撫でてくれる鉱夫もいれば。
ガキがこんなところで働いてるんじゃねぇ、と怒る鉱夫もいて。
読み書きや世の中の常識も、全てかれらから教わった。
――他の山は知らないが、この街の鉱夫たちは唄う。
仲間の無事を祈り、あるいは大鉱脈に当たることを願って。
いつしかハリードも大人になった。
鉱夫の歌はそらで歌える。
かつて何者でもない拾い子だった男は、己の力で道を切り開き、身を立てることに成功したのだ。
時の流れとともに、世話になった鉱夫が引退していき、自分も引き際を考えさせられるようになったが、ハリードにとって炭鉱は『全て』であった。
ようやく掴んだ居場所であり、成功の象徴。
想い出も山のようにある。
だからそう簡単に、失うわけには――
「ハリードさん。このままだと、僕の代でこの山は廃鉱になるかもしれません」
「あ?」
それは、週に一度の進捗会議で投げかけられた言葉だった。
ハリードが働く炭鉱は代々同じ一族が経営していて、つい数年前代替わりしたばかり。現当主は前のオーナーと違ってあまり現場に来ない、影の薄い男だ。ハリードのやり方へ口を出してくることもなく、今まで機械的に成果を報告してきた。
それが今日になって突然この物言いだ。
鉱山の麓に建てられた事務所で二人、剣呑と視線を交わす。
「……今月も規定量には届いてんだろうが」
「もちろん、皆さんの仕事ぶりに問題があるわけじゃありません。むしろ働き過ぎなくらいだ。人が減っていることを考えれば、非常によくやっていると言って良い」
「ならなんで! 廃鉱なんつぅ話になる!」
「まだ話の途中です。最後まで、落ち着いて聞いて下さい」
食ってかかるハリードに対し、相手はあくまでも冷静だった。
眼鏡の奥に冷ややかな瞳が覗いている。
「そもそも炭鉱業自体が斜陽なんです。ウチはやり方も古いですしね。ついには魔石なんて商売敵まで出てきました。あれは環境公害もない。世界一クリーンなエネルギーだと言います。そりゃあ、お国も優遇するでしょう。おかげで助成金は先細りする一方です」
魔石。また魔石か。ダンジョンか。
沸々とハリードの中で怒りが再燃する。
「もちろん今すぐ廃鉱にするつもりはありません。少しずつ規模を縮小していって……それこそ機械化を進める良いチャンスに――ハリードさん?」
廃鉱。その一言がハリードに与えた衝撃は計り知れなかった。
恐れていたことがついに起きようとしている。
耐えるばかりじゃ事態は好転しない。
ならばどうするか。
答えは一つ。戦うしかない。
「ああ、分かった。全部、分かったよ」
「はぁ……」
経営者の男からすれば、さぞ不気味だったろう。
直前までいきり立っていた職人が、急に落ち着きを取り戻したのだから。
「要件はそれだけか? なら仕事に戻らせてもらうぜ」
そう言ってハリードは小屋を出ていく。
澄ました顔の裏には、ぐつぐつと煮えたぎるような激情が隠されていた。
――とどのつまり、問題なのは人材流出だ。
これ以上、ダンジョンに人が取られないようにすれば良いのだ。
そう考えたハリードは、まずダンジョンがいかに危険な場所であるかを説いて回った。
と言っても、彼はダンジョンについてよく知らない。
だから魔石には石炭の比じゃない毒素があるだの、ダンジョンに行く奴は皆化け物になって帰ってくるだの、思いつく限りのホラを吹いて回った。それで騙されるのは信心深い年寄りくらいのもので、大勢は変わらない。
ならばと、鉱夫たちに廃鉱の未来を煽ったところで、ついてくる者はいなかった。結局その時になってみなければ、誰しも自分ごとに捉えられないのだろう。白けた目で、何を意気込んでいるんだと返すばかり。
むしろハリードが躍起になって足掻けば足掻くほど、それを嘲笑うように「ダンジョン」という響きが町のあちこちで聞こえるようになっていく。
他人など当てにならないと気づくまで、そう時間はかからなかった。
若い鉱夫たちは相変わらず、思い出したように辞めてしまう。
日を追うごと、ハリードの眠りは浅くなっていき、傍から見ればその憔悴ぶりは一目で分かるほどだった。
真っ赤に充血した眼と、こけた頬。それでいながら一日として休まず、今日も採炭機を動かしている。今や親方となった男には、頼れる相談相手もいない。その孤独がさらに彼の心を暗くさせた。
それからまた幾日が経って――蒸し暑い夜だった。
空には分厚い雲が広がり、星も見えない。
山から吹き下ろす風は湿気ていて、ざわざわと木立を揺らす。
こんな夜に出歩く人間は、よほど急ぎの用事があるか、何か後ろ暗いものを持っているに違いない。
その夜闇に紛れて、戸外へ出る者が一人。
ハリードだ。彼は周囲を気にするよう見回して、それから早足で進みだした。やがて鉱山の敷地内――バリケードが張り巡らされた区画に侵入すると、鍵を使って倉庫の扉を開け放つ。
「…………」
およそ十分後。
倉庫から出てきた時、彼は木製の荷車を引いていた。
荷台いっぱいに爆薬を満載して。
それは本来、硬い岩石を爆破するために使うものだ。持ち出すどころか、用もなしに触ることさえ禁じられている。他ならないハリードが定めたルールだ。だからこそ、鍵も彼が管理していた。
(どいつも、こいつも)
爆薬まみれの荷車が、がらがらと山道を行く。
道の凹凸で車体が跳ねる度、背筋をひやりとした感触が撫でる。
たとえ危険を冒してでも、彼には進まねばならない理由があった。
(先代の倅も、町の連中も、あいつらも、皆分かってねぇ)
夜道に浮かび上がる双眸はぎらついて、まるで鬼火のよう。
「……俺が全部、ぶち壊してやる」
やがて急勾配に差し掛かる。かなりの上り坂だ。しかし足を止めるわけにはいかない。この峠を昇りきったところがハリードの目的地なのだ。そこまで行けば、隣町へと続く山間の道を見下ろせる。
彼はそこで爆薬を使い、人為的にがけ崩れを起こすつもりでいた。
そうして隣町――引いてはダンジョンへ繋がる道を塞いでしまうのだ。
とても正気に思えない。
まずハリードは捕まるだろう。それに、ただ問題を先延ばしにするだけだ。
けれど彼はそうすべきだと信じていた。
誰も理解してくれないなら、自分が戦うしかない。
きっと多くの人に誤解されるだろうが、これは正しい行いなんだと。
どんなに普段が理知的で、常識を持った人間だとしても。
もし己の領分を――積み上げてきた生業、分かちがたい半生を壊されそうになった時、人は正気でいられるだろうか。たとえば昨日まで自分がこなしていた仕事を、次の日から突然、機械にとって代わられたら。
不平不満はもちろん、恐怖すら抱くかもしれない。
「あと……少し……」
ぜいぜいと息を吐く。頭が割れるように痛かった。
暗闇のせいで見づらいが、頂上までほんの数十メートルというところまで来ている。後僅か。そんな気の緩みが『見落とし』につながった。
「っ、ああクソ! 詰まりやがった!」
どうやら道が窪んでいたらしい。
後輪がはまって、ハリードは前につんのめる。慌てて後ろに回り込めば、荷車が思い切り傾いていた。
「ふんっ……ぬぬ! 動け、このポンコツ!」
恐らく、自重のせいもあるだろう。荷車は完全に穴に沈み込み、押しても引いても、持ち上げても出てきそうにない。どころか衝撃で木の車輪が割れていた。
知らず、ハリードは舌打ちを零す。
「チッ。こんなんなら、とっとと新しいのに買い替えときゃあ良かったぜ!」
これまで壊れるたび、鉱夫たちが手ずから修理してきた荷車であるが、いよいよお役御免だろう。よりにもよって最悪のタイミングで壊れたものだ。
「ったく、これだから老いぼれは! 足引っ張るばかりで、役にも立たねぇ! クソッタレ!!」
正直、迷ったのだ。軽トラックはさすがに大仰すぎる。動かしたらすぐにバレてしまう。だから荷車を選んでみたが失敗だった。毒づいて、ハリードは手を伸ばす。仕方がない。ここからは手で運ぶことにしよう。
慎重な手つきで、まず爆薬を一束掴もうとし――
「……役に、立たねぇ」
――ふと、動きを止めた。
まるで石像のように、黙したまま動かなくなる。
時間にして一分ほど。己の手を見つめていたと思えば、急にずんずん山道を登りだした。息が切れるのもお構いなしだ。最後の坂を越えたところで、ぱっと視界が開け、眼下にハリードの暮らす町が見えた。
既に多くの人間が寝静まる時間。
だが、全て闇に包まれているわけじゃない。
まるで夜空に星が瞬くように、ぽつぽつと明かりが見える。人の営み、色とりどりの光源。眩い電光もあれば、微かな照明もある。窓からぼんやり光の零れた家には、きっと働き者が住んでいるんだろう。一方、あの真っ暗な家は朝が早いに違いない。
そんな、どこにでもある夜景。
ただしハリードにとっては違う。
彼にとって、その光景は尊いもの。
『――いいか、ハリード』
耳を澄ませば声が聞こえた。
先々代の親方、ハリードに鉱夫のイロハを教えてくれた恩人の声だ。普段は怖いけれど、たまに夜遊びへ連れ出してくれた。その中で一度だけ、こうして山頂から町を見下ろしたことがある。
端から端まで指差して、確か言ったことには。
『あの灯も、その灯も、向こうの灯も。ぜーんぶ、俺たちが掘った炭で出来てんだぜ。電気……つってもガキのお前にゃ分かんねぇか。とにかく、人間ってのは明かりがなくちゃ生きていけねぇ。俺たちはソレを作る仕事をしてんのさ。な、スゲェだろ?』
子どものように輝く目は、まるで街の灯が映り込んだかのようで。
『つまり、あー……なんだ。俺たち鉱夫は誇り高い山の男だ。他の奴らが何と言おうが、気にすんじゃねぇ。もし馬鹿にするヤツがいたら、心の中でこう思っとけ。俺はお天道様に向かっても恥ずかしくない――人の役に立つ仕事をしてるんだって』
きっと彼は、親の顔を知らずに育ったハリードを、彼なりに慰めようとしてくれたのだろう。分からないが、岩のように硬い掌はわしわしと、まだ子どもだったハリードの髪を滅茶苦茶にかき混ぜた。
そうして真剣な目つきで言ったのだ。
『だから鉱夫の誇りを忘れて――誰かを、何かを……恨むばかりの人間にゃあ、なるんじゃねぇぞ』
そんな男は、傍にある幸せを見落としてしまうから。
何も持たず生まれたハリードは、その時初めて自分の人生に意味を見出した。からっぽだったから、器にたっぷり水を注ぐように、鉱夫という生き方が全身に満ち満ちたのだ。居場所を、与えられたような気がした。
だから醜く抗って。
周りの足を引っ張ってでも、失わないよう血眼になった。
不意に、空を覆っていた分厚い雲が晴れる。
「…………ああ。老いぼれは、俺か」
月の光に照らし出されたハリードの顔は、直前までの狂気が消え去り、まるで憑き物が落ちたようだった。冷静になった頭の中に、自分の吐いた言葉が木霊する。
「そうか。……そうか」
力なく呟いて、ハリードは腰を下ろした。
視線の先には、いつか見た夜景が少し形を変え広がっている。
あの灯も、その灯も、向こうの灯も。
闇に輝く煌めきを、ハリードは飽きることなく見つめる。
いつまでも、いつまでも。
稜線の向こうから、朝日がやって来るその瞬間まで――
◇ ◇ ◇
引継ぎは全て済ませた。
それでもなお、心配な気持ちが尽きないけれど――きっと先代も、先々代も、そうだったんだろう。
だからハリードは仲間たちの見送りを断って、一人静かに山を見つめる。
事業縮小に向けた人員整理。その先駆けに彼が手を挙げると思っていなかった経営陣の顔は、正直傑作だった。
鉱山。厳しくも平等な世界。持たざる者だった自分に生き方を与えてくれた場所。
今、その山に別れを告げる。
「……どんとやーれ」
歌声は、自然と胸の奥から溢れ出した。
「どんとやーれ
どんとやーれ
炭ネズミ」
旋律に乗って思い出もまた蘇る。
二十数年、紡いだ記憶はアルバム一冊じゃ足りないぐらいだ。
「地の底 つついて 何が出た
金でた 銀でた 光る石」
初めて現場を任された時。一人の鉱夫として認められた、あのこそばゆさ。
「馬鹿言え そいつは ただの炭」
金の使い方を教えてやると、先輩に言われるがままついていって、給料日なのに財布がからっぽになってしまった苦い思い出。しょうがなく、皆で狭い部屋、文句を言い合いながら暮らしたこともあった。
そんな時、誰かが歌いだせばすぐ肩を組んでの大合唱。
「どんとやーれ
どんとやーれ
穴ネズミ」
風の日も、雨の日も、変わらず石を掘り続けた。
気がつけば周りの顔ぶれが変わって、怒る側の人間になっていたけれど。
歌い継いできたメロディーは今日も変わることなく、山のあちこちで響く。
俺たちはここにいるぞ、と。
そう思えば寂しさも和らいで、またひと掘り。
「岩壁 つついて 何が出た
ジャヤの 御山を 掘ったらば
光る神さん こんにちは」
ずっと、変わらないと信じていた。
歌い続ければ、変わらないのだと信じたかった。
でも、この世に不変のものなどなくて。
たとえそれ自体が変わらなかったとしても、周りは日進月歩で変化していく。
どんな素晴らしいものも、いつかは時代遅れになってしまう。
「どんとやーれ
どん、と……」
自分の仕事が時代遅れになること。それはきっと喜ばしいことのはずだ。だって、世の中がもっと便利に、もっと賢く進んだということなのだから。諸手を上げて、受け入れなくっちゃいけない。
なんて考えることが出来たら、どんなにか楽だったろう。
「どん……と、やー……れ……」
実際は、悔しくて悔しくて仕方がない。
恨み言が山ほど浮かんでくる。
けれど、それに囚われたら最後、ハリードはもうお天道様に顔向けできない。
人のためになる仕事――鉱夫としての誇りが、消え去ってしまうから。
きっとダンジョンとやらは、これから多くの人間を救うに違いない。自分の怪我をあっという間に癒してくれたポーション。あれさえあれば、採掘中に落命する鉱夫の数を減らせるし、塵肺にかかって志半ばで山を下りる、なんて悲劇も無くせるだろう。
あるいは石炭が完全に魔石へと置き換わり、発電効率が良くなれば、日々の生活だって楽になること間違いなしだ。
「っ……ぐ……」
執念は人を曇らせる。本来なら歓迎すべき人類の進化、ダンジョンなんてクソくらえ。そう考えながら生きるのは、ハリードがなりたかった大人じゃない。
だから――見晴るかす御山がぼやけて見えるのは、きっと日差しのせい。
汗がにじんで、目に入ってしまっただけだ。
瞬き一つ。
麓から山頂まで、穴ぼこだらけの山を網膜に焼きつけるよう目を見開く。
「どんとやーれ
どんとやーれ」
これが最後だ。
万感の思いで声を絞り出した。
「――日はまた 昇る」
今日この日をもって、ハリードは新しい人生に向かっていく。
想い出に縋って、誰かの足を引っ張るような真似はもうしない。
もう一度、胸を張れる自分になろう。
決別代わりの歌が山肌に吸い込まれ、しんとする。
それを見届けたハリードは踵を返した。
彼の気持ちと裏腹に、空はどこまでも青く、澄み渡っていた。
それから、どうしたか。
ハリードは雑貨屋になった。隣町へ続く山間の道。その入り口となる場所に居を構え、生活品を売る傍ら、茶飲み処も営む。そうして旅立つ者、逆に町へやってきた者に、一時の安らぎを提供するのだ。
辺境の町だから物が揃いにくいという事情もあって、彼の商店はそれなりに客が来る。鉱夫だった時、親方になってから多少金勘定もするようになったが、基本そろばんを弾くのはパートタイム――子育てを終えた近所の奥様方だ。
彼女たちに頭を下げて、ハリードも一生懸命ついていこうとしている。
――我ながら、馬鹿なことをしたものだと思う。
確かに炭鉱業は消えゆく定めなのかもしれない。だが、それは今日明日の話じゃない。たとえこの町の鉱山が廃鉱になったとしても、また別のところへ稼ぎに行けばいい。ハリードの経験なら、雇ってくれる場所もあったろう。
現状、魔石だって研究段階で、「全てのエネルギーを過去のものとする」とは大言壮語な状態らしい。それに産出量も無限じゃない。
だから、何も鉱夫を辞めなくたって良かったはずだ。
慣れない仕事に一生懸命汗をかくくらいなら。
しかし――ハリードは自分の選択が正しかったと信じる。
時代が進んだのに、古いやり方に固執して世の中を恨んだり、あまつさえ誰かの邪魔をする。そんな人間になるくらいなら、すっぱり捨ててしまおう。たとえ抱えきれないほどの想い出があったとしても。
あのまま鉱夫でいたら、ハリードはきっとまた間違えていた。
それにしたって、もっと緩急をつけて良かった気はするが。
ともかく。
ハリードは商人になった。
彼の店には名物が二つあって、一つは「鶴嘴」だ。
かつてハリードが炭鉱で使っていたのはもっぱら採炭機で、鶴嘴で壁を掘る、なんて原始的なことはほとんどしなかった。が、昔取った杵柄とやらで、彼なりに考案したそれが案外売れる。
ダンジョンへ旅立つ若者たちが、たまにまとめて買っていくのだ。
何でも、手掘りでないと採掘ボーナスがかからないだの、取り回しや、戦闘でも使える丈夫さがいいだの、前者についてはよく分からないが、理由があるらしい。時折、店先のベンチで茶を飲みながら話してくれる。
それからもう一つ。
これは正直売り物のつもりで出していないが、「木彫りの像」だ。
ハリードは昔から、休みの使い方が下手な人間だった。趣味らしい趣味がなく、ある時から小刀を使って、彫刻で時間を潰すようになった。特に何も考えず彫ることもあれば、目的をもって削り出すこともある。
あるいはそうして培った器用さが、オリジナル鶴嘴の開発に繋がったのかもしれない。
せっかく作ったからにはと、店の装飾として木彫り像を置いておくと、何故だかたまに売れるのだ。売ってくれと言われれば、ハリードとしても悪い気はしない。
あまりに出来が悪いと、恥ずかしいので断ることもあるが。
「……よし」
今、店番がてら彫っていた像はなかなか上手くいった。
木くずを手で払って、店の明かりに透かす。
一言で形容すれば天使像。羽の生えた人間の像だ。いかにも空想の中から飛び出してきたような見た目をしているが、実在の人物である。この世界にダンジョンなんて発破を爆裂させた啓示者。
「あんたのお陰で、俺の人生は波乱万丈だ」
くるくると手の中で回し、苦笑する。
いろいろ言いたいことはあるけれど、これも棚に飾っておこうと腰を上げた瞬間。
「――ごめんください」
カランカラン、と来客を告げるベルの音。
どこかで聞いたことがあるような、凛とした声が届く。
ハリードは顔を上げ、
「な……あ……!」
思わず木彫り像をカウンターに落としてしまった。
何故なら、彼の目の前に『本物』がいたからだ。
ついさっきまで彫っていた像とまったく同じ顔をした、本物の『天使さま』が。
澄んだ琥珀色の瞳に吸い込まれそうになる。
「こちらで、質の良い鶴嘴を取り扱っていると聞いたのですが、ぜひ見せていただけないでしょうか。ああいや、順番が違いましたね。まず本題から――こんにちは、人類。貴方、広告を出してみる気はありませんか?」
律儀に挨拶したかと思えば、あらぬ方向へすっ飛んでいく会話。
それでいて紡がれる言葉は歌のよう。
「多少、あって良いだろうと思いましてね――ローカルCMも」
どうやら知らない内、とんでもないものを掘り当てていたらしい。
ハリードは思わず目を見開く。
頭の奥で、かつて散々聞いた鉱夫の歌が響いていた。
どんとやーれ、どんとやーれ、穴ネズミ。
岩壁つついて、何が出た。
ジャヤのお山を、掘ったらば――
光る神さん、こんにちは。




