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水底に咲く花  作者: 和奏
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思索


 深い眠りの中から放り出されたかのように、晶は唐突に意識を取り戻した。

 横たえた身体は重く、うまく力が入らない。

 ゆっくりと瞼を持ち上げると、真っ暗な視界の片隅に浮かび上がる、やわらかな白い灯りがあった。

(……ホタルブクロ?)

 淡い花灯りの向こう側には、冥路の闇を(うっす)らと纏う、半袖の白いシャツが見える。

「晶……! よかった、気づいたんですね! 大丈夫ですか? 僕がわかりますか?」

 安堵と気遣いの入り交じる声が、頭のすぐ上から降ってくる。


「祐樹?」

 口からこぼれたのは、馴染みのある自分の声。

 ひどく長い間、聞かなかった声に驚き、晶は妙な感覚に囚われる。

 かやと共有していた五感は、既に切り離されている。

 けれど。

 未だ、かやの過去は鮮明に瞼に焼き付き、聞いたものすべての音や声が、耳に残っていた。

 命の尽きた女児の身体が失われてゆく感覚も、両腕や肌が覚えている。

 自分自身が、かやであったかのような錯覚に陥り、『白河(しらかわ) (しょう)』という人間が、本当に実在しているのかどうか、認識があやふやになる。

「俺は……?」

 晶は横たわったまま、自分の手を目の前に翳し、思い通りに動くことを確認する。上半身を起こして身体を見下ろし、衣服が制服であることを視認する。次いで、手を持ち上げて髪に触れた。

 髪の堅さ、長さも馴染みのあるものだ。

 指で梳いた髪の間から、ぽろっ、と何かが落ちた。

 思わず手を差し出して、受け止めようとするも、小さな雪片のようなそれは、ふわりと舞い上がり、慌てた様子で晶の頭に付着する。

(雪華蛍? ……ああ、深潭に下りる時に、祐樹が『憑いてる』って、言ってたっけ)

 白子(アルビノ)の少女と邂逅する前、雪華蛍は、既に晶の髪に憑いていた。

 今目にしているもの、触れているものは、かやの創った夢でも幻でもない。身体も自分のものであることを実感して、晶はようやく安堵の胸をなでおろす。


 祐樹と晶のいる辺り一帯には、黒百合の花が咲き乱れている。

 晶は視線を巡らせ、自分たちから離れたところに正座する白子の少女の姿を認めると、深く項垂れ、大きな溜め息を吐く。

 危うく、かやの『想い』に取り込まれるところだった。

(あぶ)なっ……!」

「?」

 両膝をついて腰を上げ、祐樹は晶の視線を追う。少女を見遣り、表情を曇らせた。

「彼女と晶の間で何かが強く光って、直後、あなただけが倒れたんです。呼びかけても反応が無くて心配で……。とりあえず彼女から離した方がいいかと思って、ここまで運んだんです」

「そっか、ありがとう。……あのさ」

 溜め息交じりの声で礼を述べ、晶は、わずかに逡巡する。

 祐樹に向けた顔が、どうしようもなく引き攣る。

「その……」

「はい?」

「俺は、どのくらい気を失ってた? まさか、数年とかじゃあ、ない……よな?」

 数百年とは、恐ろしくて口には出せない。

 

 大きく目を瞠った祐樹が、確認するかのように尋ね返す。

「数年?」

 ちら、と頭上を仰ぎ見た祐樹は、眉尻を下げ、当惑の表情を浮かべる。

「倒れた晶を運んでから目を覚ますまで、体感で現世の五分くらいでしょうか」

「五分⁉」

 大きく目を瞠り、晶は声をあげる。

 小首を傾げる祐樹は、案じる眼差しで晶の顔を覗き込み、問うた。

「椿たちも、じきに下りてくるでしょう。一体何があったんですか?」

 晶は、しばし黙考して。

 自身に起こったことの整理も兼ねて、説明すべく口を開く。

「ああ、実はさ――」

 

 ――晶は、かやの過去を追体験したこと。かやが水底に身を沈めることになった事情や、冥路で『錨』を手放すことになった経緯。自分たちが襲われた理由を、簡潔に祐樹に話した。また、彼女の『想い』の詰まった涙からは様々なものが孵り、彼女自身が制御できないことも、併せて伝えた。


 祐樹は信じられないといった面持ちで、何度も目を瞬かせる。

「えぇ……っと。つまり、彼女が生者で、ほぼ間違いないのですね。そして、江戸時代初期よりも以前に人身御供として池に沈められた彼女は、妹さんを亡くされてからは、冥路の深潭で眠りに就き、哀しみや怒りといった感情を涙に閉じ込め、流し続けている。その涙の内側で育った『想い(もの)』が、様々な形で孵っていた……と、そういうことでしょうか」


 晶は、さよが亡くなったのだと知るや否や、目を閉じて眠りに就いた、かやを想う。

「うん。……村に裏切られたことも、妹を亡くしたことも、何ひとつとして受け入れることができなかったんじゃないかな。ずっと、うとうとしていてさ、眠ったかと思うと小魚の気配を感じて、……泣いて、また浅い眠りに就いて、過去を夢見るんだ」

 一面に咲く、黒百合の花の素になったのは、かやの涙だ。

 祐樹は物憂げな顔で辺りを見回し、嘆息する。

「そうでしたか。半睡半醒(はんすいはんせい)朦朧(もうろう)とした状態で、過去を夢見ては、涙と一緒に『想い』を溢れさす。そうすることで彼女の自我は、均衡を保っているのかもしれませんね」

「祐樹が、死者や俺の中から『想い』を抜き出して花に換えたのと、なんだか……、少し似ているな」

 晶が呟くと、祐樹は答える代わりに、頬を緩めてやわらかに微笑した。


 つん、と。

 俯きがちに咲く小さな黒花を、小魚が口で突いた。

 小魚の尾鰭の掻いた水に圧され、花々が不規則に揺らめく。

 小魚たちが花と戯れる様子を、晶は、ぼんやりと眺める。


「小魚の気配って言えば……、本当に喋るんだな」

「え?」

 微かな声を漏らすと同時に、びくん、と祐樹の肩が震えた。

「小魚の声が、聴こえたんですか?」

 ああ、と相槌を打ち、晶は話を継ぐ。

「今は聴こえないんだけど、かやの記憶の中でさ。最初は聞き取り辛かったんだけど、慣れてくると案外はっきり聴こえて。……話は逸れるんだけど、そういえば、気になることがあったんだ」

「気になること?」

 小首を傾げる祐樹に、晶は頷いて応える。

「かやの記憶を追体験している時、ラジオやテレビのない時代なのに、かやだけじゃなく、周りの人間や、小魚たちも共通語を話していたんだ」

 説明しながら、晶は小さな引っ掛かりを覚える。

 違和感の元を探ろうと、言葉を紡いでゆく。


「憑依、……とでもいうのかな? 俺の脳内(なか)に、かやの『想い』が侵入することで再生された記憶だから、自然と俺の知っている言葉で、言語化されたのかと思ったんだけど」


 明確にならない靄の一部を捕まえて、晶は祐樹に尋ねる。

「祐樹は前に、祐樹に冥路が何であるかを教えたのは、小魚だって言っていたよな? 小魚の言葉は、共通語だったのか?」


「ええ」

「変、だな」

 晶は一息ついて、思案に耽る。

 祐樹の濃褐色の瞳が、まっすぐに晶に向けられた。 

「何が、変なんですか?」

 慎重な響きを持つ小さな声で、祐樹は、晶に尋ねる。

 

「言葉が、だよ。江戸時代以前に使われていた日本語が、現代と同じなわけがないだろう? 俺の脳内で再生されたのが現代の言葉だった……っていうのは、一旦置いておいて。当時、かやが小魚の言葉を理解できたのは、彼女の生きた時代や地域に合致した言葉だったから。……つまり、現在の共通語ではなかった」

「ええ、まぁ」

 そうでしょうね、と祐樹は相槌を打つ。


「でも、祐樹が小魚の言葉を聴いた時は、現代の共通語だった」


 生者の存在が稀で、テレビやラジオ、インターネットもない冥路で、時代の変遷とともに、小魚の言葉が変化している。

 だとすれば。

 晶は、ひとつの可能性に気づく。

「小魚たちは、()()()()()()で人の言葉を取り入れて、群れで共有しているんじゃないか? かやも、小魚が覚えた言葉をそばで聴いて、学び続けているとしたら……」

 独りごちて、晶は点と点を結ぶために、空白の時間に何があったのか、考えを巡らす。

 当てはまる欠片を探す。……そして。

 自分自身の中で、宙に浮いている事柄が、ふ、と頭に浮かんだ。


「あの、さ、祐樹」


 名を呼ばれた祐樹の顔に、感情の彩りはない。

 ただ静かに凪いだ瞳が、晶の瞳から心の奥までを覗き込むかのように、見つめ返してくる。

 ほんの少したじろいで、晶は疑問を口にする。


「その……、冥路に迷い込んだ生者が、監視者である小魚たちに『アウト』だって判定されたら、生者は、どうなるんだ?」


 ――刹那。

 祐樹の瞳孔が散瞳(さんどう)し、濃褐色の虹彩がわずかに濃くなる。

 小魚の黒い眼を彷彿とさせる暗い瞳に、晶は小さく息を呑む。

 固まって、微動だにしなくなった祐樹から視線を逸らし、晶は、しどろもどろになる。

 

「あ、いや。現世の情報が常に入ってくるわけでもなくて……、冥路が現世と交差したとしても、小魚は生者の目の前で、堂々と宙を泳いだりしないだろうに、どうやって……」

 どうやって、時代に釣り合う現世の言葉を覚えたのか。

 想像したものを口にするのが躊躇われて、晶は言い淀む。


 監視者たる小魚たちは、……たとえば。

 冥路や死者に害を及ぼす生者を喰うことで、その知識を得ているのではないか。

 そんな考えが、脳裏を過ったのだ。

 あるいは。

 小魚こそが、冥路に迷い込んだ生者の『成れの果て』なのではないか。

 生者を取り込むことで、小魚たちの言葉は、より現代に近いものに更新(アップデート)されてきたのではないかと、晶は仮説を立てる。

 なんといっても此処は、不思議の力に満たされた、冥路なのだから。

 そして。

 以前祐樹は、『錨』を持って冥路に下りた人間をふたり知っている、と言っていた。

 だが、今まで冥路で生きた人間に会ったことがない、とも。

 祐樹は、ふたりがどうなったのかを知っているのではないか。

 だからこそ、祐樹は『これからも祐樹として、冥路で生きてゆきたいから』などと、椿に――。


「晶」


 祐樹の唇が、緩く弧を描いた。

 片手をついて身を乗り出し、祐樹は晶に顔を寄せる。祐樹の人差し指が、す……っと伸びて、晶の唇に触れる寸前で止まった。

 仕草で沈黙を促され、思わず顎を引いて後ろに退(すさ)る晶の視線が、自ずと祐樹の指先から彼の双眸へと移る。

 硝子玉のように澄んだ祐樹の瞳が、ひたと晶に据えられた。

 間近で、視線が交わる。


「あなたは『アウト』にはならない。僕が、させません。ですから、怖いことを考えて口にしてはいけません。あなたの言葉は、嘘をも真実(まこと)にしてしまう力があります。門番の存在を口にした時に、学んだでしょう? ……いいですか、小魚は小魚です」


 まだ、すべてを話し終えないうちに、考えを見透かすかのように(たしな)められ、晶は動揺する。

 言葉を失い沈黙する晶に、しっかりと目で釘を刺して、祐樹は、そっと人差し指をおろす。

 瞼を伏せることで晶から視線を外し、淡く微笑む。

「僕が、小魚たちから冥路の知識を得たように、彼女もまた、小魚たちから知識を得て、言葉を学んだのかもしれません。僕たちが不思議の力を駆使するように、小魚たちが、現世の時代に合った人の言葉を駆使しても、何ら不思議はありません。なぜなら此処は、現世の(ことわり)から一歩外れた、冥路なのですから」

 毅然として放たれた祐樹の声は、穏やかだが、有無を言わせぬ響きがあった。


 辛うじて平静を装い、晶は小さく頷いて返す。

「……解った。気をつける」

 おそらく祐樹は、文脈の流れから晶の言わんとすることを、察したのだろう。

 冥路に身を置く祐樹や、迷い込んだ他の生者に対しても、不謹慎な考えだった。

 祐樹に不快な思いをさせたのだと、晶は自省する。

「ごめん」

「いいえ」

 ほぅ、と深く息を吐き出して、祐樹は浮かべた笑みを儚く翳らせる。

 視線を滑らせ、物思う瞳で白子の少女を窺い見る。

「彼女は、どうしたものでしょうね。負の感情が『生者』に向いているうちは、いいでしょう。幸か不幸か、冥路の深潭で生者と邂逅することは、まずありませんからね。ですが、彼女は意識もあやふやな状態ですし、何かのきっかけで、攻撃の対象が『死者』や『冥路』へと転じるかもわかりません」

「うん」

 話題が逸れたことで気持ちを切り替え、晶も白子の少女へと視線を転じる。

 深潭に独り取り残された時の、かやの声が耳の奥に蘇る。


「かやは、深潭(ここ)で妹のさよに置いて往かれた時に、『私も、連れていって』って、そう言っていたんだ」

 晶は一呼吸置いて、言葉を継ぐ。

「……俺はさ、冥路に迷い込んだ時に、祐樹と椿に助けてもらっただろ? 最初は何が何だか分からなかったけど、今となっては、冥路に独りで取り残されなくて良かった……って、心底ほっとしてるんだ。こんな灯りひとつない深潭で、もう誰も来ないかもしれないっていうんなら、尚更。置き去りにするなんて、見捨てるような真似はできないよ」


「そう、ですね」

 軽く目を瞑って頷き、祐樹は肩の力を抜く。

「何処へも往くことができずに、独りで泣いている女性(ひと)を放って先に進むことなんて、できないですよね」

 透明に澄んだ、あたたかみのある声音で言った。


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