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水底に咲く花  作者: 和奏
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37/37

拒絶


 ゆらゆらと、まるで波間を漂うかのように――。

 小魚たちの微かな声に意識が浮いて明瞭となり、虚心に耳を澄ます。声が遠のくと、意識は徐々に闇に沈んでゆく。

 目を開けているのか、閉じているのかも、わからない。

 一筋の光も射さない深潭で微睡(まどろ)む晶は、いつしか自分が溶けて、ぬるい闇に揺蕩う、根のない水草にでもなったような……。

 そんな、奇妙な感覚に囚われていた。


 時間の感覚などは、()うに消え失せて。

 聞こえるのは小魚たちの囁き声と、……もうひとつ。


(とと)さんや、さよの世話は村で責任を持つと、そう言っていたのに」


 時折。

 ぶつぶつと唱えられるそれは、咽を通して発せられている声なのか、あるいは直接頭に響いているのか。

 わからない。


「約束は、守られるものだと信じていた」

 紡がれる言葉と共に、涙の結晶が、ころりと落ちた。


「だからこそ、水神さまの巫女に……、供儀となることも納得したつもりで」

 またひと粒、涙が珠となり、転がり落ちる。


真青(まっさお)な深い水に身を沈め、務めを果たさなければと、水底で祈りの言葉を唱え続けた」

「けれど、裏切られた」

「私を供儀として水神さまに捧げたにも拘わらず、村人らは、さよを俵に詰めて池に沈めた」

「身体を離れた魂に、私は触れることさえできなくて、叫んでも声は届かない」

「さよは、私を置いて往ってしまった」

「其処を離れることもできずに、崩れてゆく亡骸を抱えて、心を凍らせた」

「無音の闇に呑まれて、ずっと独り。狂うことも命を絶つこともできない。けれど」

「もしも、彼の地に戻れるのなら、還れるのなら……」


 少女の澄んだ声で言葉が紡がれると、両の目から、ぱらぱらと涙の結晶がこぼれ落ちた。

 そして。

 

「約束を違え、さよの命を奪った村の人間を、決して赦しはしない」


 哀しみの感情一色(ひといろ)であった声音に、氷水の如く冷ややかな怒りが、するりと流れ込んだ。

 語り口は穏やかだが、底知れない怒気を含む声が、晶の頭で反響する。


「村人たちは、水神さまに私という巫女の血肉を捧げることで、彼の方と縁を結び、村を守護する氏神さまになっていただこうと目論んだ。それなのに、水神さまの半身(はんりょ)であり、その御身の一部となるはずだった私に、さよを喰わせようとした。……怒って当然でしょう? 私たちの犠牲を(いしずえ)に、安穏と暮らす村人たちは、報いを受けて然るべきでしょう? だから……」


 夢現(ゆめうつつ)の状態にある晶は、声に誘われるかのように、途切れた言葉の先を問い返す。

(だから……?)


「だから、水底(ここ)にいらっしゃらない水神さまに成り代わり、()が、あの村を水の底に沈めるの」


(……村を?)


「そう。()()でしょう? 青々として連なる幾つもの深山を。()()()()()でしょう? 山間を流れる(さや)かな小川を。そこにひっそりと在る村を。……ねぇ、()()()()()でしょう?」


 言われるがままに思い浮かべるのは、村の景色。

 まだ、夜も明けきらぬうちから水汲みに出掛け、さよの小さな手を引いて歩いた、暗い村道。

 霧に包まれ浮かび上がる、山間を流れる小川に沿ってつくられた、自然と共に生きる村。

(ああ)

 知っている。


(そう、『()』は――)


「冥路に満ちる不思議の力を駆使し、山に大雨を降らせて水神さまの御池の水を溢れさせ、村に住まう人々も、家も土地もすべて押し流すの。みんな深い水の底に()()()()()()()()()()()


(――村を、水底に沈めなければ、いけない)


 池の水を大量に溢れさせれば、水は勢いよく斜面を滑り落ち、土砂を巻き込み木々を押し倒しながら、やがて小川にぶつかるだろう。

 小川は土砂により、たちまち赤茶色に濁って嵩を増す。ふくれ上がった水は激流となって、川沿いの家や田畑を容赦なく呑み込んでゆく。

 河原にいる人間などは、……そう。


「みんな……、みんな、水に呑まれてしまえばいい」


 不意に。

 川の畔で佇む、幼い死者の心許ない後ろ姿が思い出されて、晶は、はっとして我に返る。

 濁流に呑み込まれる人々が頭に浮かび、ひやりと肝が冷えた。

 人が流されれば、怪我では済まない。

 死者がでる。

(……駄目だ)

 否定しようにも咽は震えず、唸り声ひとつ上げることもできない。

 指先を動かそうと試みるも、金縛りにでもあったかのように、ぴくりとも動かない。

 かやの過去を追体験していた時と似ているが、どうも様子がおかしい。


「そのために、私には半身たる巫覡(ふげき)が……、依代としての、()()()が必要なの」


(……! ()に、村を沈めさせようとしているのか⁉)

 初動で『錨』を奪えなかったから――。

 晶は、自分の存在が『声の主』に認識されていることを知り、あまつさえ、意のままに操られそうになっていたことに気づいて、ぞくりとする。


 闇一色に覆われた視界に、かやの姿は認められない。声はどうやら耳を介さず、直接頭に響いている。

 まるで、自分の意思とは異なる『存在』が、べったりと頭蓋の内側に貼り付いているかのようだった。


「『錨』という現世と強い繋がりを持つが故に、冥路に於いて絶大な力を持つ、生者。不思議の力を駆使し、世の不条理さえも覆す資格を有する存在。あなたのすべてを、私に頂戴。私の過去を共有したあなたなら、想いを分ちあえる。私たちは、ひとつになれる」


 不穏さを感じさせる言葉に、焦燥感が募ってゆく。

 脳に巣くう『存在』に神経を毒され、じわじわと身体が蝕まれるように錯覚する。

 現状を打開するための策を講じようとするも、頭の中で響く声に邪魔され、深慮することもままならない。

 ふつふつと腹の底から湧き出した不快感が、身体の隅々まで巡り、全身を浸してゆく。

(嫌だ!)


「何故? 信じたものに裏切られ、踏みにじられた私の気持ちが……、さよの命を奪われた私が、どんな想いを抱いたのか。あなたになら解るでしょう? 身を以て、()()の過去を余すことなく、知ったのだから」


 俵に押し込められ、水に沈められた女児の姿は、晶の瞼に焼き付いている。

 女児の死に触れ、その記憶を克明に刻んだ身体が強張り、温度を失う。

 胸が、締め付けられるように痛んだ。

 それでも。

(俺は、かやじゃない、から……)

 真の痛みは、彼女にしかわからないだろう。

(だけど)

 同列に語るべきではないのかもしれないが、信じたものに裏切られる苦しみや、悲しみ。心を踏みにじられる悔しさも、晶は、経験を通して知っている。

 そして晶は、かやが、さよを大切に想っていたことも……。

 最後まで、さよの命を諦めなかったことも、間近で見て知っている。

 身を以て、かやの過去を体験したからこそ、彼女が抱いたであろう想いを想像することができる。

(……解るよ)

 できることなら、かやの気持ちに寄り添い、力になりたいとも思う。


「それなら――」


(でも、協力はできない)

 晶は静かに、けれど、きっぱりと拒絶の意を示した。


「できない、……だと? 何故だ⁉」

 凛とした少女の声音が一転し、低く太い、地を這うものに変わる。


(村には、まつだっていた。まつは、さよを連れて逃げるように勧めたじゃないか。きっと村には、まつのような人だって……、何も知らない、まだ言葉も話せない小さな子供だっている。そんな罪のない人たちまで、村に住んでいるっていうだけで、一括りにして水に沈めるべきだっていうのか?)

 努めて冷静に言葉を継ぎ、晶は、父の通夜式の後に、不倫相手の女性たちに報復を望んだ自分自身の気持ちを回顧する――。


 葬儀にまでやってくる父の不倫相手に、自分たち家族が軽んじられたような気がして、悔しくて、呪うように憎んだ。

 けれど、女性を苦しめるために、彼女の配偶者に不貞行為を知らしめたのなら。

 その子供も、母親の不貞を知ることになるかもしれない。

 自分自身が父の不倫で苦しみ、消えてしまいたいとさえ願ったのに、まったく罪のない子供にまで同じ思いをさせることになる。

 誰かの心を、壊してしまうかもしれない。

 自分の行為が、罪のない誰かを苦しめることになったら。

 心底軽蔑し、憎悪する相手と同じことをしたら……。

 

(――そんなことをしたら、俺はきっと、俺のことが嫌いになって、これから生きていけなくなると思うから。だから、俺は報復しない。俺は、俺が真っ当に生きてゆくために、報復しないって決めたんだ)


「煩い……! 煩い、煩い! お前のことなど知ったことか! さよは死んだ、死んでしまった……! もとより罪のない幼い子供を殺したのは、奴らの方だ! あの村に生きるものは、すべて咎人だ! 水神さまの唯一の巫女として水底に身を置く私が、水神として裁きを下すことの何が悪い⁉」


 感情に任せた怒鳴り声が爆音となり、頭蓋の内で反響する。

 頭を殴りつけられたかの衝撃に、晶は息を呑み、ぐっと奥歯を食いしばって(こら)える。

(違う! かやは水神じゃなくて人間だ!)

 ありったけの気持ちを込めて訴え、晶は、急ぎ考えを巡らす。

 

 小魚たちは、言っていた。

 かやから溢れた『想い』は、『結晶(なみだ)』として形を成したのだ、と。

 おそらく、深潭で襲ってきた白衣の女たちや、いま頭に響く声も、かやの『想い』が凝縮した涙の結晶から孵ったものなのだろう。

 ゆえに。

 晶が対峙しているのは、かやの『想い』であり、かや本人ではない。

 白子(アルビノ)の少女からこぼれ、弾けた涙の光を介して網膜から視神経を通じ、脳内(あたま)に入り込んだ、かやの『想い』の一片であり、彼女の能力の一端だと、晶は見当をつける。


(人を殺せば、さよを殺した人間と同じになる! 亡くした人を大切に想う別の誰かを、哀しめることになる。恨みだって買うかもしれない。それこそ、さよのような小さな子供や無関係の人まで巻き込めば、いつか、かやが現実を知った時に、心を……壊してしまうかもしれないから)


「黙れ! 私は、かやから生まれた『想い』であり、かやの意思そのものだ! 黙って、さよの無念を晴らせ!」


(かやの意思そのもの? ……違うだろ)

 村を怨み、報復を望むのも、かや自身が抱いた『想い』で間違いないのだろう。

 だが、それは多彩な感情から切り取られた一欠片(ひとかけら)に過ぎない。

 不遇であっても、かやは不平不満を漏らすことなく勤勉に、まっすぐに生きていた。

 まつを相手に意地を張ることもあれば、年相応の弱さもあった。

 生きてきた時代は違えど、喜怒哀楽のある人間だ。

 かやの過去を見てきた晶は、この『想い』だけが彼女のすべてではないのだと、確信を持って言える。

 次いで。

 晶が思い浮かべるのは、冥路に満ちる不思議の力と生者について説いた、祐樹の言葉。


『晶の、……生者の想いは、とても強いのです。なんなら、()()()()の僕などは及びもしないほどに』


 祐樹の言う半端ものとは、『錨』を持たない生者のこと。

 『錨』を手放した彼女も、それに当てはまるのだと、気づく。

 かやの能力で、晶の意識を支配できないのは、(ひとえ)に晶の方が強いから。


「悔しい、怨めしい……! つべこべ言わずに大雨を降らせ、水を溢れさせろ! 洪水を起こせ! 村も家も、人も、全部残さず押し流してしまえ! 憎き奴らを、さよと同じ目に遭わせてやるのだ。生きたまま水底に沈めて、この手で四肢をもぎ、(はらわた)を引き摺りだしてくれる!」


 哀しみと怒りの織り成す悲痛な声が、晶の心を深く抉る。

 同時に、晶の脳裏を過るのは、包丁を構えて泣き叫ぶ、何時(いつ)かの母の姿。

 過去に攫われそうになる心を押し留め、晶は静かに、ゆっくりと呼吸を整える。


(『俺は、そんなことは()()()……!』)


 心を落ち着かせ、気を引き締めると、すっと思考が冴え渡った。


(かやは、さよを亡くしてから、ずっと浅い眠りに囚われているんだろう?)

 晶が微睡んでいたのは、かや本人が、その状態だから。

 深潭に取り残された彼女は、すぐに現実を遠ざけ、眠りに就いたのだ。

(これから俺は、かやを起こしにいく。かやと話をしてみる心算(つもり)だ。……だから、ごめん)


 晶は強い意思を以て、かやの『想い』に……。

 脳裏にこびりついた、残滓に告げる。

 

(俺の中から、出ていってくれ)


・補足

巫覡――神を祀り、神に仕える男女。巫は女性、覡は男性をいう。

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