降り続いた雨の夜から、一夜が明けて(2)
「恵まれてるかな……? やってるのは祈り係の子たちが汚い、って言って、あんなにも嫌がってる仕事なのに?」
カティアが自分たちの仕事に対する周りからの扱いを、やはりかなり気にしてるふうなので、セーラはすぐに頷いて、
「そんなことないよ。他の街で色々仕事をしてきたから分かるよ。ここの王都の人たちは皆、品が良くて穏やかだから、お金や物の盗難も起きなくてすごく安心できるし」
「とっ、盗難!? ここ以外のよその街では、そんな危ないことまであるの?」
「全然珍しくないよ? 女学院の寮に入る前なんて、家賃が限界まで安い小さなお店の屋根裏にひとりで住んでて、鍵もぼろぼろだったからいつも夜中は泥棒が怖くて、毎晩寝る時はお金は身体にくくりつけてたよ。自分の物は自分で守らなきゃいけなくて、いつも気を抜けないし必死で……」
セーラがひとつ言葉を重ねるごとに、みるみるうちにカティアの顔が強張っていく。
「そうだったんだ。そんな怖い思いまでしてたなんて……何も知らないでごめんね。とてもつらかったよね」
自分の境遇を改めて知って動揺するカティアを、セーラは逆に励ますように、
「もう慣れたよ。どんな環境でもやらなきゃならなくなったら、なんとかなるものだよ。それにね……今はこの聖堂の制服を着ていると、国王様の後ろ盾があるからだと思うけど、街の中のどこを歩いていても、いつも感謝されるばかりで、すごく楽なんだ。大きな力に守られてるって実感できるって、生まれて初めてだった。だからこの服もとても好き。大事に着たいって思ってる」
セーラはそう言って、雑用係の制服の裾を指先で大切そうにそっと撫でた。
「大変だったんだね……。だったらなおさら、わたしも反省しないといけないな」
声を落とし気味にして、うなだれたカティアにセーラは不思議そうに、
「わたしの昔の話で、どうしてまたカティアが反省するの?」
「だって、わたしって何かあるたびに、ちょっとしたことでも、すぐ苛々しちゃって不機嫌になっちゃうでしょ? 今だってそうだよ。本当は自分が恵まれてることも知らないで。そういうのって良くないって、自分でもわかってるから本当は直したいのに、でもなかなかできなくて……」
「……」
「それに、どうしても納得できない時には、どうすればいいんだろう、って、よく思うんだ。わたしもセーラみたいに、小さなことから大切なものを見つけられる人になりたいのに」
誰かを傷つけるような悪いことをしたわけではないはずなのに、自分の行いを悔いるように言うカティアのことを見ながら、セーラはまたここでも自分が何か言わない方がいいような気がして黙っていた。
それからさらにふたりの間に沈黙が続いて、カティアはもう一度口を開くと、
「認められなくて、仕事にやりがいを感じられなくなっている時は、どうすればいいんだと思う? そんな時、セーラだったらどうするか聞いてもいい?」
「それは心の持ちようだよ」
セーラは微笑んで言った。
今ならカティアの為に、自分にもできることがあるんだと、ようやく分かったから。
――幼かったころ、お腹がすいて淋しくて眠れないままひとりで朝を迎えた日、虚ろな目で開けた窓から見えた、いつの間にか窓枠の近くに生えていた草の葉の上についていた、朝露の光輝く美しさ。
ほんの小さなそれが、まるで天から授けられた贈り物のように思えたこと。
――もし、今のあなたの目から見た世界が暗闇に閉ざされているとしたら、それは心が暗いものにとらわれてしまっているから。感じる思いの形は変えられるんだと。自分が初めてそう気付けた瞬間の気持ちを、カティアにも伝えられたら変わるかもしれない。
セーラはそう思った。
「心の持ちよう?」
「うん、そうだよ。なんでも少しだけ引いて、物の見方を変えてみるの。そうすれば見えてくる大切なものもきっとあるよ。カティアは自分のいいところに、自分で気づいていないだけ。わたしは自分の感情って出そうと思っても、いつもうまく出せないからすごく下手で、誤解されやすくてそこが欠点なんだ。そのせいで心を開いて誰かを頼るのがいつもうまく出来なくて、ひとりでなんでもやりすぎちゃう。だからカティアのことがうらやましいって思ってる」
「……」
「皆それぞれ違うけど悩みがあって、わたしだって同じで、全然特別なんかじゃない。わたしだってカティアみたいになりたい。お互い心の中ではそう思ってるんだね」
「セーラがわたしみたいになりたい、って本当にそう思う? なぐさめるために言ってくれてるんじゃなくて?」
カティアが問いかけると、セーラが深く頷いた。
「思ってるから言ったんだよ。心に無ければそんな言葉なんてひとつも出てこないよ。良いところが皆、違うだけだよ。違うからいいんだよ。カティアもわたしも。だからふたりで一緒に、雑用係のこの制服がもっと他の人たちからうらやまれるくらいのいい仕事をしようね」
セーラが思いを込めて伝えた言葉で、カティアはまだ少し心に消え残るものがありながらも笑顔になった。
「そうだよね、くじけないでわたしはわたしにしかない良いところをのばすよ! もっとセーラになりたいって思ってもらえるような、わたしになれるように! よっしゃあ、セーラのおかげで気分軽くなって俄然やる気出てきたから、残りの仕事もめげないで気持ちを変えて頑張ろー!」
カティアは腕まくりして、まだ倉庫内に残っていた荷物を持ち上げた。
聖堂のセーラの部屋に、ふたつの目の家具が新たに出現したのは、雑用係の持ち場で雨漏り事件が起きた翌日のことだった。
その日、セーラはひとつの大きなことに改めて気がついた。
それはあのチェストのことが、たった一度きりで終わりというわけではなかったということだった。
二番目に部屋に置かれていたのは、立派な二人掛けのカウチソファだった。
きれいな布張りで、やはり前回のものと同じで脚の部分は猫足になっている。
最初に届いたチェストと同じ材質、同じ色で出来ているので、本来は両方が同じ部屋の中に揃いで置かれるものだということは一目でわかった。
移動させて両方を隣り合わせに置いてみると、後ろの壁の風景をのぞけば、まるでその一角だけが貴族の邸宅の中にある一部屋のように見えた。
気後れするほど立派過ぎるものなので、前回のチェストについてもセーラは自分の物になったとは思ってはいなかった。
身分不相応な過ぎたものなので、自分の部屋の中にあっても、あくまでこれは誰からのいわば『借り物』として見なしていた。
だから元の持ち主にお返しする時期がいつくるかは分からなくても、妖精の家具はそれまでの間だけ、期間限定で一時的に預かっただけに過ぎないつもりだった。
それでもその日を境に、妖精たちが新たに家具を届ける行動は断続的に続き、以降は週に一度か二度の頻度になった。
――なんだか、ドールハウスで思い描いてきたことが、そのまま本物のお部屋になっていくみたい。
セーラは不思議な思いを感じながら、妖精たちから新しく家具が届くたびごとに、傷つかないように丁寧に、慎重に拭き清めた。
それから部屋が余りにみすぼらしくつり合いがとれないままだったので、せめての気持ちから一番最初に届いたチェストの上には花瓶を置いた。
花瓶の中には聖堂内の庭園に咲いていた、月の光を集めたかのように夜だけに儚く楚々と咲く、かぐわしい香りを放つ白い花を飾った。




