12-D 東京湾に落ちる
盛大なしぶきを上げて、影郎は水の中に落ちた。
「っ!」
驚いた拍子に、水をしこたま飲んだ。
塩辛い。どうやら海水のようだ。しかも、冷たい。
とっさにまぶたを閉じたが、後の祭り。目がしみる。
鼻からも、水を吸ったらしい。みけんの辺りが、ズキズキする。
泳ぎは得意だ。しかし、なかなか浮かび上がれない。着物が水分を含み、とても重い。
無我夢中でもがいていると、不意に体が軽くなった。まるで、自分が塩水と同化したようだ。
そのまま彼は、ものすごい速さで水中を移動し、陸地に打ち上げられた。
「げほっ! げほっ!」
影郎は、四つんばいの格好で、せきこむ。
「信じれんわ! 何でいきなり海に落ちとんねん?」
頭の方向から、関西弁を喋る少女の声がした。
影郎は、目を見開いて顔を上げた。夜気とじかに触れたためか、目の痛みが増す。
視線の先には、晴日、らん、早月、嶺の4人がいた。
皆が皆、濡れネズミというありさまだ。晴日と早月に至っては、今なおむせている。
辺りは真っ暗。
水の中とは対照的に、夏かと思われるくらい暑い。
彼から見て右側、1メートルばかり先には、足場がない。そこからは、波の打ちつける音だけが聞こえる。
どうやら5人は、シャハルと戦った埋め立て地の、端っこにいるようだ。
「これは……けほっ、どういうこと?」
晴日が、不信感もあらわに、影郎を凝視する。
「おかしいなあ。この広場の真ん中に、戻るつもりだったのに」
影郎はとぼけた。
だが内心、狙い誤まって、海上に出てしまった原因が、分かっていた。
第1に、夜の広場を心に浮かべた際、夜空の下に広がる海原も、一緒に想起した点。
第2に、埋め立て地の中央をイメージしたとき、そのすみ、すなわち彼らが今いる地点から見たそれを、思い描いた点だ。
これにより必然的に、影郎の頭には、海の映像も相当な具体性を伴いながら、蘇っていたことになる。
結果、埋め立て地からほど近い、海の上に移動してしまったのだろう。
「役立たず」
早月がことさらに、吐き捨てるように言った。
「もし〈水遁〉無うたら、みんな溺れとったで」
らんが衣装の裾を絞る。
(ここまで来られたのは、らんのおかげだったのか)
影郎は思った。
「そうだ、今はいつかしら?」
嶺はスマートフォンをとり出した。
「おお、そうやな」
らん、そして影郎と晴日も、これにならう。
画面には、3月16日午後8時32分、とあった。
異界で過ごした時間は、半日を下らないと思われる。にもかかわらず、現在この時刻であることから、やはり現世とあちらとでは、時間の流れかたが違うらしい。
あちらには、時間という概念が存在しない可能性も、十分に考えられる。
周囲の温度が、異常に高い。
これは、シャハルとの戦いから、あまり時間が経っていないためらしい。つまり、〈アグネヤストラ〉などによる加熱の影響が、残存しているのだ。
晴日が、近くで待機しているはずの初恵に、電話をかけた。そして、シャハルを倒した旨と、けが人がいない旨を、告げる。
影郎たちは、車道を目ざして歩いた。
「で、あんた一体、何したん?」
歩きながら、らんが影郎に問うた。
取り調べをする警察官さながら、その目をじっと見すえる。
その剣幕に圧倒されつつも、影郎は、再びらんが自分と目を合わせてくれたことを、喜んだ。それ以上に、首尾よく彼女を連れ、全員で帰還できたのを、天に感謝した。
「この世と異界を、行き来する魔法なのかな。前に早月が、そういう〈巫術〉もあるって言ってただろ?」
「それで? あそこから帰る時、あんたの体の周り、真っ暗になっとったで。まるでその辺の光、奪いとるみたいにな。ホンマやったら、アウラが出るはずのとこなんに」
「そういや、ここから異界へ行くとき、晴日もそんなこと言ってたな。アウラの色って、一生かわらないものなのか?」
「色が変わったっちゅう話は、聞いたことない。けど、変わらへんとも、聞いたことないで。やから、一生おんなじ色やとは、よう断言せん。問題は、そことちゃうねん。黒は光がない状態の色や。黒いアウラなんて、あり得んはずやで」
「あ、そっか」
「やっぱ、分からへんか」
「すまんな」
「あと、もう1つ。何でみんなまで、異界に連れてきたん?」
「一応、お前が見つかるとも、帰れるとも限らないことは、確認したぞ。その上で、みんなついてきた。もし異界に引きこまれたのが、お前以外の誰かだったら、お前だってそうしたんじゃないか?」
「まあ、そやな」
以後もらんは、初恵が到着するまで、影郎を尋問し続けた。
そのようすを、なぜか早月が嬉しそうに、見守っていた。




