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子宿し幽霊 〖子、想い〗


 女性の霊を抱きしめて慰めてあげたい、成仏させてあげたい、涙ながらにそう訴えていた男の傍らで、その女性の霊が男を睨んでいた。

「オイラは最初から、怪しい奴だと思ってたっす。あの男が殺したっすか?」

 宇梶が生二狼を見る。生二狼は外を見ていた。今夜、階段の所で男と待ち合わせをしている。外は暗くなり始め、明るかった空もほとんど沈んでいる。

「あの女性には、二つの念がありました。一つは、あの男に対する恨みの念です」

「やっぱりそうっすか! 妊婦の霊は男を呪い殺そうと思ってるんすね」

「いえ……あの女性はそれを望んでいません。もう一つの念が成就する事を強く願っています。その事で成仏出来ずにいます」

 生二狼は身支度を始め、最後に姿見の前に立った。姿見には布がかけられたままでいる。鏡に写っていない今、鏡の中の自分は何をしているのだろうかと、そっと布を掴む。

「アニキ、何してるっすか?」

 生二狼が、布から静かに指を離す。姿見にかけられたままの布が僅かに揺れた。

「宇梶くん……そろそろ、行きましょうか」


 運動公園内は暗く静かで、冷たい空気が流れていた。

 それはまるで、階段へと導くように遊歩道を流れている。

「妊婦の霊はどうやったら成仏するっすか?」

 宇梶の言葉に、生二狼が一旦歩を止め目を閉じる。

「もう一つの念を叶えてやったらいいんすね」と、先を急ぎたい宇梶が足踏みしながら聞く。

「はい……あの女性は、自分のお腹の中に新しい命が出来た事をとても喜んでいました。早く産まれて来て欲しいとも願っていました。それはとても強く……それが叶えられ無かった事が悲しく、悔しく、強い念と成っています。その為、成仏出来ずにいます。その原因となったあの男を恨んでもいます。しかし……たとえ、あの男を呪い殺したとしても、子が産めなかった未練は消えません。あの女性は子を宿したまま亡くなりましたから、もう産む事が出来ないのです。その未練はずっと、この地に留まり続けてしまいます……」

「じゃあオイラが代わりに産んでやるっす!……って、オイラじゃ産めないっす! どうしたら良いっすか? どうしたら霊が子を産めるっすか?」

「この世にさ迷っている霊の時間は、流れているようで流れていません。出口の無い溜め池のように、同じ所を回り流れているだけです。成仏出来ずにこの世をさ迷うあの女性の霊にも時間の進みは有りません。ですので、あの女性の霊は子を産む事は出来ません」

 うぅ、と宇梶が頭を抱える。生二狼は話を続ける。

「出口が無ければ……成仏できなければ、同じ所、同じ時間(とき)に、留まり続けてしまいます。それが長く続くと、やがて動きも滞り、澱み、邪となってしまいます。あの女性も成仏出来ずに、この地に留まり続けていれば、このままでは邪になってしまうでしょう」

「うぅう、なんか方法は無いんすか」と、宇梶が地団駄を踏む。

「一つだけ…………方法は、あります」と、生二狼がゆっくりと歩き出す。


 遊歩道を抜け、待ち合わせの階段の下へと着いた。辺りは闇に包まれ、長く急な階段だけが自ら光を発しているかのように、ぼおっと淡く見えている。男の姿は見えなかった。妊婦の霊も姿を現していない。二人は階段の下へ行き、上を見上げ手を合わした。

 手を合わせ終わると、すぐに宇梶が、キッと暗闇を睨んで言う。

「そこに隠れているのは判っているっす。とっとと出て来るっす!」

 暗闇から、スッと男が現れる。

「ずいぶん隠れるのが上手いっすね。いつもそうやって隠れてるんすか?」

 一瞬、男が宇梶を睨む。しかしすぐに愛想笑いを浮かべる。

「な、何を言ってるんですか。ここも夜は物騒ですから、用心の為ですよ。夜中でも若者とかが騒ぎに来ますからね、何をされるか分かりませんから……」

「そうっすね。いろんな奴が来るっすからね。若い兄ちゃん達とか、見回りの警察官とかも来るかも知れないっすからね」


 男は、現れた時から片手をポケットの中に入れていた。ポケットの中にはナイフを隠し持っている。そのナイフを確かめるように男は手を動かしていた。今も宇梶の言葉を聞き、ポケットの中のナイフを握りしめるように手が動いた。同時にチラチラと辺りを伺っている。

「警察……? お前らだけで来ると言ってたじゃないか。だ、誰か呼んだのか? 話が違うぞ!」

 言いながら男は一歩二歩と下がり、また暗闇に隠れようとしている。


「安心して下さい。誰も呼んでいません。成仏させてあげるのに邪魔になりますから……あなたの願いも叶えてあげれなくなってしまいます」

 闇に紛れようとしていた男が、しきりと辺りを警戒しながら再び姿を現す。

「ほ、本当だな? 嘘じゃねえな、お前らだけだな」

「はい、本当です。信用出来ないのでしたら、やめても構いませんよ」

 そう言いながらも、生二狼は二つの蝋燭(ろうそく)を取り出し地面に置き始めた。

 男が、辺りに向けていた視線を生二狼に向ける。周りも気になるが、男には、もっと、強く、早く、叶えたい欲望があった。

「本当に、抱きしめられるんだな? 感触を味わえられるんだな?」

「はい、生きている時と、同じように……」

 生二狼が小包を取り出し、手のひらに粉を出す。

「さあ、始めましょう。どうぞ、こちらへ」


 男は辺りを警戒しつつ、生二狼に近づいて行った。

 それを待って生二狼が粉を撒く。暗闇の中で、僅かな光を受けた粉がキラキラと舞った。

「な、何だ! これは」

 男が手を振り回し粉を払う。粉は辺りに舞っている。右に左に前に後ろに。男も舞うように手を振り回す。後ろに前に左に右に。と、男の動きが止まる。一点だけを見ている。

「み、実佐子」

 男の前に女の霊が現れた。男が凝視する。女の霊は俯きお腹を擦りながら、しくしくと泣いている。最初、驚きひるんでいた男は、女の顔を見つめ続けやがて薄ら笑いを浮かべ始める。

「実佐子、へへっ。やっと会えたな」

 男がニヤリと笑い、女の霊へと飛びついた。しかし、男の体は女の霊をすり抜け、階段へと転がる。男はすぐに起き上がり、再び女の霊へと飛びつく。けれど、体はやはりすり抜ける。

「おい! 何だこれは! 触れられねえじゃないか! 騙しやがったな!」

 男は再びポケットに手を入れ、ナイフを握るように手を動かす。生二狼は構わずに蝋燭を置いた場所に座り、マッチを手にする。

「これからあなたの願いを叶える儀式をします。こちらへ来てお座り下さい」

「本当だな。それで実佐子に触れられるんだな」

 男が生二狼の対面に腰を降ろす。その様子を、宇梶は不信そうに睨みながら見ていた。それに気づいた男は小さく舌打ちをした。

「ちっ、早くやってくれ。次で出来なかったら許さねえぞ」


 生二狼が蝋燭に火を灯す。ボッと蝋燭が燃え、炎が生二狼と男の顔を照らし、暗闇に二つの顔が浮かび上がった。闇の中に階段が薄く(にじ)み見え、その下でしくしくと泣いている女の霊を炎が照らす。生二狼と男の顔も蝋燭の火が照らし、ゆらゆらと揺らす。

「彼女を、実佐子さんを強く思って下さい」

 蝋燭の炎のように生二狼の顔が揺れる。男の顔もゆらゆらと揺れている。

「強く、強く思って下さい」


「実佐子!」と男は強く思う。叶えられ無かった欲望を、独りよがりの欲望を、ただそれだけを、強く強く思う。

 炎は、徐々に男の体隅々まで灯し始める。全身がゆらゆらと、影のように揺れ動く。

「実佐子……一目見た時から俺は……それなのにお前は……」

 ゆらゆらと揺れる男の体が二体に分離し始め、さらに揺れ動く。

「実佐子……お前は、俺の理想の女……」

 二体の体はゆらゆらと揺れ続ける。


 二体の体。

 その一つは、男の体。もう一体は、女を強く思う男の生き霊。強く思う気持ちが生き霊となり、男の体から抜け出そうと揺れている。

「実佐子……実佐子……俺は、俺はお前を、抱きたかった……()りたかったんだ!」

 男の生き霊が完全に姿を現す。けれどまだ男の体の中にある。重ね合わせのように、男の体の中で、生き霊がゆらゆらと揺れている。

 その生き霊が、女の霊を見てニヤリと笑う。しくしくと泣いていた女の霊が、男の生き霊に気づき、顔を強ばらせ後ずさる。


「実佐子、実佐子!」と、男が立ち上がる。

 立ち上がった男の体から、生き霊が離れ始める。生々しく完全に姿を現した生き霊が、女の霊に飛びつこうと、男の体から抜け出し始める。

 その瞬間、生二狼が蝋燭を消した。


 暗い園内に、長く急な階段が、濁りくすみ光っている。その下で、女の霊がお腹を庇いながら後退り、恐怖の顔を浮かべている。その女の霊を男が見ている。ゆらゆらと体を揺らせながら。抜け出そうとする生き霊を体の中に留めおきながら。男の体はゆらゆらと揺れている。

「実佐子……実佐子……」 「み、さ、こ、ぉ……み、さ、こ、ぉ……」

 男の声と生き霊の声が重なり女の名を呼ぶ。

 男が生二狼を見る。しかし男の生き霊は、女の霊を見続けニタニタと笑っている。


「な、何をした! 何だ、この感覚は? 俺の中に別の人間がいるみたいだぞ、何だこの感覚は……」

「あなたは、そのままでは霊に触れる事は出来ません。生きている限りは……」

「何?! ちきしょう、やっぱり騙しやがったな!」

「なので、あなたに生き霊を出してもらいました。生き霊であれば霊に触れる事も出来るでしょう。けれど、それではあなた自身に触れた感触を味わう事は出来ません。ですので、生き霊があなたの体から抜け出す前に、それを止めました。今、あなたの体には、生身の体と生き霊とが重なり合っています。これであなたは霊に触れられますし、感触も感じ取れます」


「本当だな」

 男は言うなり女の霊に飛びついた。女の腕を掴み乱暴に引き寄せる。

「へへっ、凄えな。本当に生きてるみたいな感触だな。こりゃ凄えや」

 女は逃れようと身をよじっているが、男は離さず、楽しむように体を押さえている。

「おいっ!」と宇梶が声を出した。

「お前、成仏させてやりたいんじゃないっすか!」

 ずんっ、と拳を握りながら宇梶が前に出る。

 それを見て男はナイフを取り出し宇梶に向けた。

「近寄るんじゃねえぞ! お前達にはもう用は無え! とっとと帰んな!」

 宇梶がもう一歩前へ出る。

「そんな物がオイラに通用すると思ってるすか」

 さらに前へ出ようと足を動かす。しかしそれを生二狼が止めた。

「アニキ、何するっすか」

「宇梶くん……いいのです。これは……あの女性が望んでいる事でもあるのです」

「何言ってるすか? あんなに嫌がってるっす」と、言ってすぐに男にも向かって怒鳴る。

「お前、幼なじみが嫌がってるじゃないっすか! 今すぐ離しやがれっす!」

 

「アハハハハ」と男が笑う。

「間抜けな奴だな。本当に幼なじみだと信じてんの? アハハ、俺はこの女と幼なじみなんかじゃないぜ。ただの通りすがりよ。俺は街でこの女を見かけて一目惚れしたんだよ。本気で惚れた。こんなの初めてだ。こいつの気を引こうと、俺は偶然を装い何度も目の前に現れてやった。なのに、全然俺に気づきもしやがらねえ。エレベーターの中、電車の中、レジに並んでいる時、いつも後ろにいて、振り向くのを待ってやってたんだ。それでも一向に気づく気配も無い。俺は、こいつのすぐ後ろに立って、こいつの匂いを嗅いで、こいつの服に、髪に、何度も触れ、体温を感じ、家での、職場での、生活を観察し続け、ますます好きになっていくばかりなのに! なのに、なのに、こいつは俺の顔を覚えてもいねえ、俺にすり寄ろうともしねえ、俺の愛を受け取ろうともしねえ! 俺は毎日毎日、こいつの後をつけ、朝から晩まで見守ってやってるのによ!」


 男はナイフを振り回しつつ叫び続ける。その男から女の霊は逃げようともがいている。しかし男の生き霊がそれを許していない。しっかりと捕まえながら、女の顔を、首を、肩を、胸を、腰を、撫で回し続けている。


「へへっ、俺はこいつの全てを知っているぜ。こいつは服を着てると分からねえが、意外といい体をしてるんだ。何度も覗いて見てたからな。俺は知ってるんだ。この体は、あんな旦那のもんじゃねえ。俺のもんだ。俺の為に、毎日手入れをしてるんだ。俺の為に、俺に抱かれる為に!」

「オイッ!」と宇梶が男に向かい駆け出そうとする。その肩を生二狼がしっかりと掴み離さない。

「アニ、キ。何で止める、っすか!」

「あの男の望みを叶える為です」

「あんな奴の望みなんかどうでもいいっす! 妊婦が嫌がってるっす!」


 顔を強ばらせ、身をよじり、逃げようとしている女の霊を、男は楽しそうに見ている。同時に男の生き霊が体を撫で回している。

「へへっ、これからもっと楽しい事をしてやるよ」

 じっと女の顔を見ていた男が、生二狼と宇梶にナイフを向け、わざと呆れた顔をする。

「あれ、まだ居たの? 帰っていいよ。もう用は無いから。あっ、礼だけは言っとくわ。ありがとね。まさか本当にこんな事が出来るなんてよ。おかげで実佐子を抱いてあげる事が出来るわ。アハハ、凄いね~、これで他の女を犯さなくて済むわ……俺は実佐子を抱きたくて我慢出来なくなってさ、この階段のとこで待ってたの。あの日は実佐子が鍵閉めに来んの分かってたし、時間遅くて誰も居ないし、グランドの端まで連れて行けば誰にも見られないし、ちょっと騒がれても聞こえねえしね。そこでいっぱい愛し合おうと思ってたのにさ……実佐子、思いっきり逃げちゃってさ~。階段あんのに、あんなに勢いつけて降りちゃったら、そりゃ、下まで落ちちゃうよね。かわいそうに実佐子、頭から血を流して、それっきり動かなくなっちゃったよ。手をついてりゃ途中で止まれたろうに、かばうようにずっとお腹に手を当ててたりするからさ、下までゴロゴロって転がり続けてよ。バカだね」


「もう、辛抱ならないっす!」

 生二狼に押さえられたまま、宇梶が男を睨む。男はナイフを向けながら少しずつ暗闇へと姿を隠していく。

「実佐子、死んじゃったからさ……仕方なく他の女で我慢しようとしたんだけどさ、ダメなんだよね。いろんな女を犯したけど、やっぱ、実佐子じゃなきゃダメなんだよ。他の女じゃ興奮出来ないんだよ。実佐子みたいないい女はいないしさ、そのうち警察に目つけられるしさ……困ってたら、お前らの事を知って。いやぁ、マジ感謝だわ。じゃっ、そういう事で、へへっ」


 男が、嫌がる女の霊を連れたまま暗闇へと消えた。暗闇へと消える直前、女の霊が生二狼と宇梶の方を見た。この時、女の霊はゆっくりと口角をあげ、満足そうに微笑んだ。それから小さく頭を下げた。宇梶には「これでいいのよ」と言うように、生二狼には「これで成仏出来ます」と言うように。


「アニキ……」と宇梶が生二狼を見る。

 生二狼は暗闇に目を向けたままである。

「男が欲望を叶えた時、あの女性は子を産む事が出来ます」


 冷たい風が流れた。暗闇の中へ吸い込まれるように。

「そして…………男への恨みが晴らされます」






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