子宿し幽霊 〖子、宿し〗
真夜中、遊び足りないのか、若者数人が運動公園の近くをブラブラと歩いていた。
町の外れにあるその運動公園は、昼間は公園内にあるグランドや施設を利用する人達、木陰が多く整備されている遊歩道を涼みがてらに散歩する人達などで、この広めの公園もそれなりに賑わっている。しかし日が暮れると、外灯が少なく月の明かりも木々が遮ってしまう公園内は、暗い夜道よりも更に暗い闇となり、散歩はおろか近づく人もいない。
公園内の施設や、ナイター設備の無いグラウンドは17時までの利用となり、片付けや施錠を終えた職員が帰る頃には、すでに人影も無く、敷地内は不気味なほどに暗く静かになる。
「肝だめししようぜ」とガムを噛みながら誰かが言った。
「マジ? ここ本当に出るらしいぜ」
「女の幽霊だろ? 妊婦の」
「ない、ない。そんなの出ないって」
「いや、マジここで妊婦死んでるッし」
「マジ? 殺されたん?」
「いや、事故らしいけど……階段から落ちて死んだって」
「ここで働いてた人な」
「上のグラウンドに登る階段だろ。あれ長ぇもんな」
「妊婦登っちゃダメだろ」
「妊婦っちゅうか、子供出来たのが分かってすぐぐらい?」
「お腹出てないんだ」
「まだまだ先なのに、嬉しくて赤ちゃん用品買い揃えてたって」
「ガラガラとか?」
「紙オムツとか」
「ランドセル?」
「いや、ランドセルは早すぎっしょ」
「おっ、階段、あれか?」
若者達はすでに遊歩道を歩き、グラウンドへ続く長い階段の手前まで歩いて来ていた。
その階段を指差し、皆で登ろうぜ、と歩いて行く。
敷地内の建物等は鍵が掛けられているが、公園への入り口に柵などは無く夜でも入る事が出来る。グラウンドへと続く階段も登る事は出来るが、グラウンド内へと入る金網の扉には施錠がしてあり中へ入る事は出来ない。時間になるとここの職員が鍵を掛けて回っている。
グラウンドは駐車場の近くに有り、そのせいで利用する人達が時間いっぱいまで使う。中には時間を過ぎても使う人達もいる。その為、定時をだいぶ過ぎなければ施錠する事が出来ない。なので、職員はいつも後回しにし、最後にこのグラウンドの鍵を掛ける時にはすでに辺りは暗くなり始めている。去年、この扉に施錠をして戻る時に、女性職員が階段で足を踏み外し、下まで転げ落ちて死亡する事故があった。結婚五年目で待望の第一子をお腹の中に授かって間もない女性であった。
「誰かサッカーボール持ってねえの?」
階段を登りきり、金網越しに暗いグラウンドを眺めてる時に誰かが言った。
「あるわけねえし」
ガンガン、ガンガン、と金網が揺れる。
「鍵閉まってるし」
「暗くて見えねえし」
「幽霊いねえし」
「帰るか……」
グラウンドを眺めてた若者達は一斉に振り返り階段へと向かう。上から見る階段は長く急で、暗さの為に下まではよく見えない。何とはなしに各々が不気味なものを覚えた。
「長ええ、急だし」
「下、見えてねえし」
「落ちたら死ぬかもな」
「かもなじゃなく、死んでるし」
「でもこれ、下まで落ちるか?」
その階段は確かに長く急ではあるが、足を踏み外したぐらいで下まで転げ落ちるか疑問に思えた。よほど勢いがなければ途中で止まりそうでもある。現に職員の何人かは足を踏み外し転んだ事があるが、二段か三段程で済んでいる。その為、突き落とされたという噂も出たが、警察は事故と判断し処理している。
「なんか、ストーカーに落とされたとか」
「旦那の浮気相手がやったとか」
「昔、ここは水子供養の場所で、子供の霊が女の足を掴み……」
「うわっ!」
階段を降りていた若者達の先頭の者が前につんのめり下へ落ちた。それを見て、すぐに後ろで笑い声がする。
「ちょっ、やめろよ」
「アハハ、焦ってやんの」
「焦るわ!」
押された若者は階段を下りきった所で、振り返り怒っていた。押した者は三段上で笑っている。押した場所もそこであった。下りきる直前で押された若者は、二段飛ばしただけで下に着き、少し姿勢を崩しただけで済んだ。
「焦ったわ」
「わりい、わりい」
「てか、幽霊いねえし」
「出るのここだろ」
「階段の一番下な」
辺りを見回しても幽霊らしきものは見当たらない。それらしき物も無い。
「なっ、いねえだろ」
「振り返ると、そこに……いない」
「わっ! 幽霊!」
「いやいや、オレ、オレ」
「出た、オレオレ幽霊!」
「アハハハハ」
「もう、帰ろうぜ」
若者達は帰り始める。談笑し、ふざけ合いながら歩いて行く。その中で、一番後ろの者が小さな声らしき音を聞いた気がして振り返った。
「ああああ、あれ、あれ、あれ……」
「何だよ」
皆がその声に振り返り、指差す方を見ると、階段のとこに人影があった。
その影は俯き僅かばかりに膨らんだお腹を擦っている。姿がはっきり見えているのに薄くぼやけ揺れていた。小さく、しくしく、と泣く声も聞こえた。
「で、で、出た、出た。ゆ、幽霊……」
若者達が驚き固まっていると、女がゆっくりと顔を上げた。まるで、若者達の顔を確かめるように顔を向ける。その顔には、ダラダラと、割れた額から真っ赤な血が流れていた。若者達は腰を抜かし悲鳴を上げた。慌てて逃げようとするも足がもつれ上手く走れなかった。それでもどうにか訳の分からぬ悲鳴を上げながらその場から走り逃げて行った。
再び園内に、静寂と闇が訪れた。誰も居ない何も見えないその中で、女の霊は階段に佇み泣き続けていた。しくしく、と悲しそうに。
いつまでも、いとおしそうに、哀れむように、庇うように、お腹を擦り、一人泣いていた。
しくしく、といつまでも。
しくしく、と悲しそうに。
自分のお腹を擦りながら、いつまでも、しくしく……と。
部屋に置かれた姿見の前で、宇梶が変な動きをしている。
「宇梶くん、何をしているんですか?」
生二狼が問い掛ける。その生二狼は宇梶を見ずに、宇梶が写る鏡のずっと奥に目を凝らしている。
「鏡は不思議っす。毛一本まで全く同じオイラが写っているのに、オイラが右手を上げれば、鏡のアイツは左手をあげてるっす。オイラの事をバカにしてるように逆の事ばかりするっす」
鏡の奥を覗くように凝視していた生二狼の目が、鏡に写る宇梶の顔に移った。相変わらず宇梶は変な動きをしている。
「宇梶くん知っていますか、この宇宙を作る物質にも、反物質と言う、鏡に写る宇梶くんのように、物質とそっくりだけど、反対の性質を持った物があるそうです」
「鏡の世界があるって事っすか?」
宇梶は変な動きを止め、鏡に写る生二狼を見た。生二狼は立ち上がり鏡に向かって歩き始めている。
「どうでしょう、有るかも知れませんし、無いかも知れません。それを知る術が有りません」
生二狼が鏡の横に立つ。宇梶は再び鏡に写る自分の姿に目を移す。
「何で術が無いんすか、反物質を調べればいいっす」
「そのあるはずの反物質が何処にも見当たらないそうです。必ずあるはずなのに、誰にも見つけられないそうです」
「反物質はどこに行ったっすか?」
それには答えず、生二狼は姿見に布をかけた。バサリ、と音をたて布が鏡を隠す。それまで写っていた鏡の宇梶も消える。
「わっ! オイラが消えたっす! 鏡のオイラが消えたっす」
慌てる宇梶を静かに眺めながら、生二狼が呟く。
「鏡の宇梶くんと、反物質は、何処へ行ったんでしょうね……」
宇梶がキョロキョロと辺りを探していると、コンコン、とドアが鳴った。
「おっ、鏡のオイラが帰って来たっす」
「宇梶くん、違います。お客様ですよ」
「なんだ、お客様っすか。はいはい、今開けるっす」
ドアを開けると、冴えない顔の男が立っていた。
宇梶が、ドンとお茶を置き、向かいの椅子に座る。
「で、要件はなんすか」
男は訝しそうに、生二狼と宇梶を交互に見てからボソボソと口を開いた。
「ここって、あれなんですよね、霊を成仏とか出来るんですよね?」
「そうっす。オイラと兄貴が悪い邪を成仏させてるっす」
男の目が交互に二人を見比べる。その目は疑いを持っている。
「本当ですか? 霊を本当に……成仏?」
「オイラにかかれば、どんな悪い邪もすぐに成仏っす」
「す、すごいですね……あ、あれですか、成仏させる時って、やっぱり霊を呼び寄せるんですか?」
「呼び寄せるんじゃなくて、悪さをしている邪を成仏させるっす」
「や、やっぱり、戦ったりとか……」
「オイラがゲンコツで殴ってやるっす」
胡散臭げに見ていた男の目が変わった。
「ゲ、ゲンコツですか? じゃあ、やっぱり、殴ったり、蹴ったり、掴んだり、投げ飛ばしたり……」
「オイラがボコボコにしてやるっす」
「捕まえて、抱きしめ……いや、羽交い締めにしたり?」
「必殺ビームもお見舞いしてやるっす」
「羽交い締めにした時って……あの、その、れ、霊でも、感触とかって……あ、あ、あるんですか?」
「感触、っすか?」
宇梶が首をひねり考える。その間、男はじっと宇梶を見つめ、途中でごくりと唾を飲み込んだ。
「感触はあるっすね。とても気持ち……」
とても気持ち悪い、と宇梶は言うつもりであった。悪い邪を相手にしているのだから当然である。しかしそこまで聞いて、男が頼み込んできた。
「お願いします。お願いします。どうか、霊を、実佐子を、実佐子を呼び出して下さい! お願いします! お願いします!」
男は、霊に合わせて欲しいと懇願した。
その霊とは、最近噂になっていた運動公園にあるグラウンドへと登る階段に現れる霊だと言う。
足を滑らせ階段から転げ落ちて死んだ女性と、男は幼なじみで仲が良かったという。
「彼女……実佐子は、本当に良いやつで誰からも愛されてました。優しくて、気立てが良くて、思いやりがあって、本当に良い、女……良いやつだったんです。俺と実佐子は子供の頃からずっと仲が良くて、今でも会って飲んだりしてたんです。実佐子が死ぬ数日前にも、一緒に飲んで愚痴を言い合ったりしてました。……もちろん、その時は、実佐子、子供が出来た事を凄く喜んでいて、俺ばっかり愚痴をこぼして、実佐子はほとんど子供の事ばっかり話してましたけど」
「なんか、階段に出る幽霊、聞いた気がするっすね」と宇梶は相づちをうちながら聞いている。生二狼はずっと顔を少し上へ向け、男の後ろ上方を見ている。
「実佐子は、実佐子は、無念だと思うんです。子供が生まれて来る事を凄く、凄く楽しみにしていたんです。それなのに、それなのに……」
男は「うぅぅっ」と声を詰まらせる。こぶしを強く握り、机を叩く。
「くそっ!…………」
生二狼が目を瞑り、次に目を開けた時、その目は男に向いていた。
「あなたは何をお望みでしょうか?」
男が、ハッと顔を上げる。今にも泣きそうに目を潤ませている。
「実佐子を、実佐子をちゃんと成仏させてやりたいんです! ちゃんと成仏出来るように抱きしめてやりたいんです! 抱きしめて慰めてやりたいんです! 強く、強く、抱きしめてやりたいんです!」
暫くの沈黙の後、生二狼が口を開き、もう一度男に聞いた。
「それがあなたのお望みですね?」
「は、はいっ! お願いします!……出来れば、俺も、実佐子をいつまでも忘れず、実佐子が生きていた事を忘れ無いよう……しっかりと実佐子を感じたいんです。生きていた時の、実佐子の、実佐子の感触を、実佐子の肌のぬくもりを、しっかり抱きしめて、感じたいんです!」
お願いします、と男は何度も頭を下げた。椅子から体をずらし、土下座までした。
「お願いします、お願いします、実佐子のため、実佐子の無念のため!」
「出来ますか?」と、顔を上げ男が聞いた。
「あなたが、お望みならば……」と、生二狼は男の後ろ上方を見つめ答えた。
男が帰ったあと、首を傾げながら宇梶が生二狼に聞いた。
「それにしても、階段の幽霊って、本当にいるんすかね?」
生二狼は、悲しげに答える。
「……ええ、居ましたよ」
「おわっ、兄貴知ってたんすか! って、居ましたって、兄貴見た事あるんすか?」
「ええ……今、此処に、男と一緒に入って来ました」
「お、おわわ、いたんすか、ここに、いたんすか!」
「はい、居ました。ずっと泣いていました。しくしく、と。泣きながら男の方に顔を向けていました。とても……とても恐ろしい形相で、男の事を、睨んでいました」




