子宿し幽霊 〖子、産みし〗
男が、欲望を果たす為に女の霊を暗闇の中へと引きずり込んで行き、二つの影が闇へと消えた。
生二狼と宇梶の前では、階段が艶かしく瞬いている。それは、消えてしまうほどに薄くなり、またすぐに闇から抜け出てくるように濃くなるを繰り返していた。まるでこの世とあの世を繋ぐ輪の上を行き来する篝火のように。生まれでる赤子の心臓の鼓動の如くに、生と死の間の波動の如くに、明と暗を艶かしく瞬き続けていた。
「これで、あの女性は子を産んで、成仏する事が出来ます」
暗闇を見つめたまま生二狼が呟く。宇梶は、暗闇と生二狼の顔を交互に見やりながらも言葉が出て来ないでいた。暗闇に消える直前に見せた女の霊の笑顔の意味も解らなかった。
「ア、ア、アニキ……」
「宇梶くん、帰りましょう」
「え、え? でも、あの男を取っ捕まえないとダメっす」
「これでいいのでしょう。あの男が望んだ事です」
「で、でも、妊婦の霊を助けて……」
「子を産み、成仏する為に、あの女性が望んだ事です」
階段がひときわ強く瞬く。
「子を産む……成仏……って、どうやって霊が子を産むんすか?」
「生気です。あの男の生気を吸い取ります」
生二狼は言う。止まった時間に存在している霊が子を産む為には、時を動かす為の物質が必要だと。そのためには男の生気ーー生きた細胞がいると。
「細胞っすか! 男の細胞を全部吸い取っちゃうすか!」
「いえ、ほんの百個ほどです」
「ひゃっこ……すか? それで全部っすか?」
「人の体は何十兆もの細胞で出来ています。その内の百個ほどだけを吸い取ります。一日に何千億もの細胞が死に、同等数の細胞が新しく生まれてきます。百個なんて数は、人体にとってなんてことない数でしょう」
「なんてことない┅┅そんなんじゃ意味ないっす!」
暗闇から、男が欲望を果たす不快な声が聞こえてきた。おぉぉ、おぉぉ、と快楽に悶えている。キッと宇梶が暗闇を睨む。
「子を産みたいか知らないっすけど、あんな男の欲望まで叶えてやる意味ないっす! それなら旦那に頼めばいいっす! その方がいいっす!」
生二狼は、瞬く階段を静かに見つめている。
「あの男でなければだめなのです┅┅恨みを晴らすためには」
階段が眩しく光る。
欲望がほとばし出るのを押さえて、少しでも長く快感を得ようとする、雄叫びとも絶叫ともとれる男の低く不快な声がせせら響く。同時に、嫌悪し抵抗する音も聞こえる。そして、小さく悲しく途切れとぎれに流れ落ちる水のような音もすすり聞こえる。
暗闇の中、まるで浮かび上がるように宇梶には見えた。男の憎たらしい光悦の顔と、女性の憎悪と哀しみの顔が。
宇梶は睨むように生二狼を振り向く。
生二狼は眩しく光る階段を見ている。
「あの女性は、止まった時間の中で、子を産む為に生きた細胞を取り入れました。それにより子を産む事が出来ます。とてもかわいい愛らしい子を産むのでしょう。生前あの女性は、自分の体よりお腹の中の子をかばったのです。生まれ来る子の為に身を投げ出し、命まで投げ出し守ろうとしたのです。残念ながらお腹の中の子も命を落としてしまいましたが、あの女性は死ぬ間際まで、そして死してなお、お腹の中の子を思い続けているのです。止まった時間の中で┅┅お腹の中の子が決して生まれ来る事の無い止まった時間の中で、生まれ来る事を待ち続けているのです」
「だからって┅┅あんまりっす!」
男が遠吠えのように欲望を吐き出す高い声を出した。
直後に階段の瞬きが消える。
辺りが暗闇に包まれ、鼓動の音が、ドクンドクンと響きだす。
「とてもかわいい子供が生まれて来るのでしょう。これほどまでに待ち望み、そして犠牲を払ってまで産むことを選んだのです。かわいくないはずがありません」
鼓動の音が更に強くなり、暗闇に小さな光が瞬き出した。その光から階段が現れ延びて来る。一つ、また一つと、それぞれに色が違う階段が四つ現れた。それらは長く延び、やがて螺旋状に絡みだして、更にどこまでも伸びていった。そして四つの色の違う階段が螺旋状に絡みながら延びていき、やがて一つとなる。四つの色の違う階段が複雑に組み合わさって一つの階段と成り、そして明るく輝き上へ上へと延びていった。
「宇梶くん、可愛い子が生まれましたよ」
見ると、階段を女性が昇っている。胸には赤子を大事に抱えている。女性も赤子も幸せそうに笑い、階段の明るさよりも輝いていた。
「そんなことよりっ! ┅┅おっ、本当にかわいいっす」
生二狼の言葉に、睨むように階段を見た宇梶も、赤子の可愛さに思わず顔がほころんだ。先ほどまでの怒りも忘れ、女性と赤子を見つめ続けた。
「かわいい子が生まれて良かったっす。成仏出来るっすね。これで全部終わったっすね」
生二狼がポケットから小筒を出し見詰める。
「あの女性は子を産む為に、こちらの物質を取り入れました。それは許されぬ事なのです。あちらの世界には本来あるはずの無い物が増えたのです。理が破られてしまいます。増えた分を減らさなければいけません」
階段を高く昇っていく女性が振り向き一度お辞儀した。幸せな微笑みを携えている。赤子も手足を動かし無邪気に笑っている。宇梶も微笑みながら手を振った。
「あんなかわいい子は見たことないっす。世界で一番かわいいっす」
母親と赤子がキラキラ光りながらどこまでも昇っていき、小さくなっていく。それでも二人の笑い声が聞こえてくる。
「幸せそうっす。┅┅で、何を減らすんすか?」
「あの世の物質です」
「あの世の?」
「ええ、あの世の物質。こちらから送り込まれたものと同じ、しかし性質が全く逆の物。こちらに無く、あちらに在るもの。あの世の物質。反物質です」
「反物質┅┅?」
突然、暗闇で男の悲鳴が轟いた。ギョッとして宇梶が暗闇に目を向ける。
「な、なんすか┅┅あの男どうしたっすか?」
「反物質が届いたのでしょう」
「反物質┅┅て、鏡みたいに全部反対のやつっすか?」
男の悲鳴が続いている。逃げるように、振り払うように、おののき戦慄し狂うように、男は悲鳴を上げ続ける。暗闇から転げ出て来てなお叫び続け、引き剥がすように、むしりとるように、絡み付く濡れ縄に締め上げられるように、転げ回り、手足を振り回し、目を剥き、胃液を吐き、青ざめ苦しみ悲鳴を上げ続ける。
「あの男、何で、あ、あんなに暴れてるっすか」
「反物質が見えているのでしょう」
首を振り、向きを変え、叫び、吠え、悲鳴を上げ暴れまわる男の後ろで、階段が静かに消えていく。辺りを仄かに包んでいた光が薄れていき、恐怖にのたうち回る男の声だけが、公園内に響きわたる。
「オイラには何も見えないっすけど、あの男には何が見えてるっすか?」
「僕にも見えませんが┅┅生まれたばかりの、かわいい子の真逆のもの┅┅」
「鏡に映るオイラは、変わらずかっこよくてキュートだったっす。それより反物質て、この世に存在してないんじゃないっすか?」
「ええ、この世には存在していません。存在し得ないのです」
「なのに、あの男には見えてるっすか」
男は悲鳴を上げ続けている。喉を潰し掠れた声でなお叫び暴れ続けている。
「本来この世に存在しないものが、存在しうる場所が一つだけあります」
存在しない物が存在しうる場所、宇梶は首をかしげ考える。その前を、男が転がり通り過ぎて行く。悲鳴は、聞き取れ無いくらいに掠れて小さくなっていた。振り回している頭の髪は白くなり、バサリ、バサリ、と抜け落ち始めていた。頬は痩け、目は血走り、抜け落ちそうなくらいに飛び出していた。その目を、助けを乞うように二人に向ける。しかしすぐに顔を辺りに向け、声にならぬ悲鳴を上げ、何かから逃げるようにもつれながら走り去って行った。
宇梶がキョロキョロと辺りを見る。
「どこに反物質があるっすか」
生二狼は、指で転がしていた小筒をそのままポケットに戻す。
「この世には存在しません」
「えっ、でも在るんすよね? 存在出来る場所が」
「この世に存在出来ない物が、唯一存在出来る場所┅┅」
離れた場所から、男の掠れた悲鳴がひときわ高く聞こえた。
「この世に存在出来ない物が、唯一存在出来る場所┅┅それは、あの男の脳内です。この世に存在しない物が、あの男の脳には視えているはずです。この世に存在せず、誰にも見えない物が、あの男にははっきりと視えているのです。今、あの男は、自らの希望で、生き霊と重ね合わせの状態にあります。よりはっきりと視え、触れる事も触れられる事も出来ます。生まれたばかりのかわいい赤子の真逆のもの┅┅とても、おぞましいものが┅┅」
「おぞましい、って、どれくらいすか」
宇梶がゴクリと唾を飲み込み聞く。
「宇梶くん、帰りましょう」
生二狼が歩き出す。そのあとを追い、もう一度聞く。
「どれくらい、おぞましいすか」
「恐ろしくて 想像するのも おぞましいほどに┅┅」
【非世の中処】
世ニ非ズモノ承リマス




